見出し画像

岩井圭也が「どうしても南方熊楠を書きたかった!」その理由――和歌山で撮影した40枚超の写真とともにお届け

TOPページへ

 小説家にとっては、すべての作品が勝負作である。苦心して執筆した作品は作者の分身同然であり、我が子のような存在だ。大切でない作品など一つとして存在しない。それを承知のうえでなお、私は断言する。
 2024年5月15日に刊行した長編小説『われはくまぐす』は、私にとって特別な作品である。

 小説は、ときに書き手の意志を超えて展開することがある。『われは熊楠』を書いている間、何度もそれを思い知った。
 本作は、一八六七(慶応三)年生まれのみなかた熊楠という研究者を主人公に据えた小説だ。主に現代小説を書いてきた私にとって、初めて実在の人物を扱う作品である。熊楠は研究者でありながら、生涯、特定の研究機関に属さなかったことで知られる。在野を貫いた熊楠だが、『ネイチャー』をはじめとした学術雑誌におびただしい数の論文を書き、新種のねんきん(変形菌)を発見するなど数々の功績を残している。

和歌山県田辺市にいまも残る南方熊楠邸。庭には大楠や安藤みかんの木が茂る


 これまで熊楠は、博物学や民俗学の分野に足跡を残す「知の巨人」として語られてきた。しかし彼の生涯を追っていくうち、その業績の偉大さだけでなく、知に対する貪欲さが目につくようになった。おそらく彼は、「巨人」になることを欲していたのではない。意志の赴くままに知をむさぼり、血肉へと変えてきた、いわば「知のじん」なのだ。
 熊楠はその功績だけでなく、常人離れした知的りよりよくでも知られる。少年時代から山野を駆けまわり、植物や昆虫の採集に励み、百科事典を抜き書きしてはその内容をそらんじた。洋の東西を問わずあらゆる学問に通じ、民俗学のたいやなぎくにに「日本人の可能性の極限」と言わしめた。

よくぞここまで記録し尽くしたものだと、その執念にも感服する


 熊楠は東大予備門を中退して以後、まともに学校へ通っていない。彼の教師となったのは広大な自然であり、万巻の書物だ。数多あまたの専門家と交流があったのは確かだが、あくまで学究の徒としての対等な関係であった。彼は己の力のみで学問の世界を開拓し、膨大な知識を我がものとした。私は執筆に入る前から確信していた。そんな型破りの研究者を描いた小説が、面白くならないはずがない、と。
 熊楠は著作や標本、日記など、大量の資料を遺している。私はそれらと格闘しながら、構成を練った。熊楠と名のつくものを片端から読みあさり、その生涯を描くための要素を取捨選択した。自分なりに綿密に準備を整えたうえで、執筆に入ったのだ。
 しかし、である。
 書いているそばから、熊楠は当初の構成を無視して自由に動きはじめたのだ。小説のなかの熊楠は好き勝手に暴れまわり、紀州弁をまくし立てる。まるで私ではない何者かが、私の肉体を借りて執筆しているようだった。小説を書いていて「怖い」と思ったのは、初めてだった。
 かつてない執筆体験をさせてくれた『われは熊楠』は、やはり私にとって特別な作品だと言わざるを得ない。

 本作が特別な位置を占めている理由は他にもある。
 熊楠が生まれ育った紀州は、私の父母の出身地だ。また熊楠が研究対象とした菌類は、私の大学院時代の研究テーマでもある。共通のバックグラウンドを持っているという意味でも、熊楠には思い入れがある。
 ただし、彼が後半生を過ごした和歌山県なべ市には行ったことがなかった。父母の出身は県北の和歌山市であり、南紀の田辺はやや離れている。
 私は『別冊文藝春秋』で本作を連載する前に一度、連載後の改稿中にもう一度、田辺に足を運んだ。滞在中は、熊楠が歩いたとうけい神社やこうざんおうぎはまといった各所を巡ることができた。寺社に漂う静謐さや浜辺に吹く風の冷たさは、熊楠の心根を想像する最上の材料となった。南方熊楠顕彰館にもご協力いただき、貴重な資料の数々を閲覧することもできた。
 何より幸運だったのは、南方家と縁があるはしもとくにさんと知り合えたことだ。𣘺本さんは熊楠や関係者たちの暮らしぶり、かつての田辺市の様子について細部まで教えてくださっただけでなく、方言に関する助言までしてくださった。刊行前ではあるが、この場を借りて御礼申し上げたい。
 二度の田辺行では、二度とも熊楠の墓に参った。高山寺の墓地にある熊楠の墓石はいたって質素で、ぼくとつとしている。だがそのたたずまいこそが、「知の野人」にふさわしく思える。熊楠には、装飾も能書きも必要ない。「南方熊楠である」というその一事によって、彼の存在は光を放ち続ける。

 小説『われは熊楠』は、満を持して刊行された。
 最終的な枚数は五百数十枚だが、実際には倍近くの枚数を書いた。書いては直し、書いては直しを繰り返しているうちにそうなってしまったのだ。はたからはずいぶん遠回りに見えるかもしれない。だが、今の私にはわかる。それだけの労力を費やさなければ、この物語を完成させることはできなかった。
 ただ、私はなぜか今でも執筆が終わった気がしない。作者である私のあずかり知らないところで、延々と物語が続いているように思える。それは熊楠という人物に入り込みすぎたせいなのか、あるいは小説という媒体がもつ宿命なのか。
 最後に、この文章を読んでくれたあなたにお願いがある。どうか『われは熊楠』を手に取っていただきたい。そして、この物語を完結させてほしい。読者に読まれない限り、小説が本当の意味で完結することはないのだから。

***

岩井圭也・和歌山紀行
「知の野人 南方熊楠を訪ねて」


 紀州の自然が生んだ偉人・みなかたくまぐす
 熊楠にとって、森羅万象そのすべてが己を覚醒させるものだった。誰よりも貪欲に世界を吸収し、生命の本流に迫らんとした男——。
 その足跡を、気鋭の作家・岩井圭也が訪ねた。

JR 紀勢本線紀伊田辺駅から歩いて15 分の高台に、南方熊楠が眠る「高山寺」はあった
階段を上った先には、ひときわ目を引く多宝塔が待ち構えていた
広大な境内を、豊かな植物たちが覆い尽くす
熊楠はここで存分に、粘菌(変形菌)や隠花植物の採集を行っていたという
静謐さに、頭が研ぎ澄まされていく
飾らない墓が、南方熊楠という唯一無二の存在を浮かびあがらせる
墓地からは、夕陽にきらめく田辺湾が一望できた
熊楠が愛した安藤みかん
寒さが緩むと境内は花であふれる
山門をくだると、目の前をゆっくりと会津川が流れていた
夕暮れの町を、猫が駆けて行く
田辺湾に浮かぶ神島。
亜熱帯性の植物に恵まれたこの島は、熊楠にとってかけがえのない採集場所だった
鬪雞神社の書庫には古典籍が潤沢にあり、ある時は書物目当てに、またある時は植物の採集場所と して、熊楠は通った
熊楠の妻・松枝は鬪雞神社の宮司の娘で、鬪雞神社と熊楠の縁もまた分かち難いものとなった
社殿の背後には仮庵山が控える。熊楠はこの山を「クラガリ山」と呼び、親しんだ
南方熊楠顕彰館。ここには熊楠の蔵書約4000点、標本やノートなどの資料がおよそ21000点保管されている
熊楠は、マッチ箱や石鹼の箱も標本箱として活用していた
もともと田辺藩士の屋敷だったここには土蔵があり、熊楠は25000点以上の資料を収納していた
熊楠を手繰り寄せる旅のなかで、南方家とゆかりの深い橋本邦子さんからお話を聞くことができたのは大変な僥倖だった
いまもこの町で暮らす橋本さんからは、南方家のことはもちろん、地元の文化や言葉などたくさんのことを教えていただいた
数百種に及ぶ顕花植物が息づき、粘菌(変形菌)や地衣類を育む自宅の庭は、熊楠にとって実験場そのものだった
南方熊楠顕彰館では、粘菌(変形菌)の観察が体験できる
熊楠が見ていた景色を想像する
熊楠の自筆原稿や採集の記録はインスピレーションの宝庫だった。手書き原稿の余白には熊楠のあ ふれ出した思考が躍っていて、いつまでたっても見飽きることがない
[南方熊楠顕彰館(田辺市)所蔵]
[南方熊楠顕彰館(田辺市)所蔵]
[南方熊楠顕彰館(田辺市)所蔵]
[南方熊楠顕彰館(田辺市)所蔵]
熊楠が13歳の時に自作した教科書「動物学」。序文からして「宇宙間諸体森羅万象 にして、これを見るにますます多く、これを求むればいよいよ蕃く、実に涯限あらざるなり」。中学生にしてこの意欲。「動物学」はこの後、第二稿、第三稿とアップグレードし たものまで作られている
[南方熊楠顕彰館(田辺市)所蔵]
採集時に愛用していた胴乱。円筒状になっていて、ビニール袋がない時代の植物採集には欠かせないものだった
[南方熊楠顕彰館(田辺市)所蔵]
世界を見たいと19歳で日本を出立。サンフランシスコからミシガン、フロリダ、そしてキューバ、 ニューヨークを経て最後はロンドンで8年を過ごし、1900年帰国。その後田辺に定住してからも この海の向こう、海外の学術誌に論文を送り続けた
和歌山にルーツを持ち、大学院では菌類の研究をしていた自分が書かずして誰が書く――その想いがいま一冊の本になった

 

◆プロフィール
岩井圭也(いわい・けいや)
 一九八七年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。二〇一八年「永遠についての証明」で第九回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。二三年『完全なる白銀』で第三六回山本周五郎賞候補、『最後の鑑定人』で第七六回日本推理作家協会賞候補。『文身』で勝木書店「KaBoSコレクション2024」金賞受賞。現在、『楽園の犬』が第七七回日本推理作家協会賞〈長編および連作短編集部門〉ノミネート中。
 他の著書に『夏の陰』『プリズン・ドクター』『水よ踊れ』『この夜が明ければ』『竜血の山』『生者のポエトリー』『付き添うひと』「横浜ネイバーズ」シリーズなど。二四年五月、最新作『われは熊楠』刊行。

 奇人にして天才——カテゴライズ不能の「知の巨人」、その数奇な運命とは?
 慶応3年、和歌山に生まれた南方熊楠。少年時代は人並外れた好奇心で山野を駆け巡り、植物や昆虫を採集。百科事典を抜き書きしては、その内容を諳んじる。
 長じて海を渡り学問を続けるも、在野を貫く熊楠の研究はなかなか陽の目を見ない。世に認められぬ苦悩と困窮、家族との軋轢、学者としての栄光と最愛の息子との別離……。
 かつてない熊楠像で綴る、エモーショナルな歴史小説。

TOPページへ

ここから先は

0字

《読んで楽しむ、つながる》小説好きのためのコミュニティ! 月額800円で、人気作家の作品&インタビューや対談、エッセイが読み放題。作家の素…

「#別冊文藝春秋」まで、作品の感想・ご質問をお待ちしております!