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世の中に〝リカバリー〟をもたらす小説を――青山美智子が描いたあたたかな5つの物語

作家の書き出し Vol.27
〈インタビュー・構成:瀧井朝世〉



◆ほのかな光を集めたお話

——新刊『リカバリー・カバヒコ』は、とある町の新築分譲マンションに住む、悩みを抱えた人々と、公園のカバのアニマルライドをめぐる連作短篇集。読者の背中をそっと押してくれる青山さんらしい作品ですが、出発点はどこにあったのですか。

青山 連載のお話をいただいたのが三年半くらい前で、ちょうどコロナ禍のさなかだったんです。社会全体がピリピリしていて、編集者さんと打ち合わせをしたカフェでも、テーブルの上にアクリル板が立てられていました。誰もがすごく緊張していて、しかもいつそれが終わるのか分からない状況だったので、世の中に〝リカバリー〟をもたらすような小説を……という話になりました。

 打ち合わせの時、七つくらい案を出したんですよ。その最後に「決め球」みたいに出した案が、ずっと前から書きたいと思っていた「とげぬき地蔵」でした。みんな具合が悪くなると病院に行ったり、薬を飲んだりするけれど、もし「とげぬき地蔵」みたいな——自分の身体の治したいところと同じ箇所を洗うと良くなるという「洗い観音」みたいな——ものがあったら、お参りするんじゃないかな、そういうご利益を信じている人も多いんじゃないかなって。私、前に体調を崩してネットでいろいろと調べていた時、あるお医者さんのサイトに行きついたんです。そこには様々な対処法が書かれていたのですが、その最後に「祈ることです」とあって。「医者としては不思議なんだけれど、『絶対治りますように』と祈ることで本当に治ることがあるんです」と。そういうことってあなどれないと自分でも体感していたので、小説で書きたい! と思いました。

——連作の主人公は皆、新築分譲マンション、アドヴァンス・ヒルの住人です。近くの公園に古いカバのアニマルライドがあって、自分が治したい部分と同じ部分を触ると回復すると噂されている。人呼んでリカバリー・カバヒコです。なぜカバのアニマルライドだったんでしょう。

青山 なんでだったんだろう……(笑)。治したい部分を触るというところから、動物がいいかなという話になったんだと思います。それで打ち合わせの際に、編集さんと三人でカバのアニマルライドの画像を検索したら、ぴったりのカバがいたんです(笑)。公園にある普通のカバなんですが、瞳の黒い部分がはげて涙目になっていて。見つけた瞬間「この子だ!」って叫んじゃいました。この写真なんですけれど……(と、スマホの画像を見せる)。

——わあ、まさにカバヒコですね。なぜお地蔵さんではなく、都市伝説的な存在にしたのでしょうか。

青山 ご利益を求めて大勢が訪ねてくるような存在ではなく、知る人ぞ知る、というのがいいね、と。こぢんまりした世界の中の広さを書きたかったというか。傍から見たら地味だけれど、だからこそ一人一人が見つけるほのかな光が浮かび上がるようなものが書きたかったんです。

 当時のメモによると、打ち合わせの場で章立てもできていますね。高校生と三十代の母親と小学生の男の子と、働いている女性と……。それぞれどこを治したいのかもすぐ決まりました。

——むちゃくちゃ早くないですか。そんなすぐストーリーも浮かぶものなんですか。

青山 他の方がどうやって書いているのか分からないんですが、私がいつも感じるのは、小説って生き物なんだということですね。生き物が勝手に動いてくれて、私はそれを転写しているような気持ちです。小説が生きていて、勝手に育ったり、急に元気になったり、急に立ち止まったりする。なので出来上がるたびに、「これ誰が書いたんだろう」って思うんです。

——今回も様々な立場の人のいろんな悩みが丁寧に描かれます。青山さんの中にそれだけ多くの人物や心情のサンプルがあるんでしょうか。

青山 自分は明るいか暗いかで言うと完全に暗い人間なんですね。恩も忘れないかわりに、根に持つところもあって。例えば小学校の時にあの子がこう言った、とか昔のこともすごく憶えている。そうしたウェットな部分が、小説を書く上では、たまたまいいふうに働いてくれているというか。自分の体験だけじゃなくて、人から聞いた話やテレビや本で見聞きした話も地層のように積み重なっていて、小説という生き物がそこからつまんできてくれる、みたいなところがあります。

——主人公となるのは成績が下がった高校生、話下手な若い母親、足が遅いことに悩む小学生、耳管開放症になって休職中の女性、老眼の五十代男性編集者……。身体の不調だけでなく、それぞれが抱える事情と悩みが丁寧に描かれます。登場人物の性別や年齢をばらけさせることは意識したのですか。

青山 それは意識しました。カバヒコ自体が老若男女関係ない存在ということもあるので。今までも小説の中にキーパーソンを出してきましたけれど、カバヒコって、そのなかでも圧倒的に何もしない存在なんですよ。ただそこにいるだけで喋らないし、動かないし、もちろん風貌も変わらないし。書き手としてはチャレンジだったからこそ、同じものでも人によって見え方が違う、そこから受け取るものも違うっていうことをちゃんと書きたいなと。

◆小説の神様を信じている

——主要人物をすべて同じ分譲マンションの住人にしたのはどうしてですか。

青山 どのお話でも、主人公をカバヒコに初めて会う人にしたかったんです。ずっとその町に住んでいて昔からカバヒコを知っている人ではなく、「こんなところにこんな子がいたの?」と思う人たちにしたかったので、新参者にしました。分譲マンションに越してきた設定であればいろんな人を出せますし。

 順番については、第一話は一番読者が入りやすい高校生のキャラクターにして、最後の第五話は締めになるキャラクターにしよう、などと考えました。ちなみに第五話の編集者は、連載していた『小説宝石』の編集長をモデルにして、かなり取材しました。

——いつもプロットを作る時に人物表も作成されていますよね。登場人物のプロフィールはもちろん、外見も有名人の顔でイメージするという。

青山 各回、主人公の名前と年齢と、どういう話なのかをざっくり表にまとめて、ビジュアルは、ネットでいろんな方の写真を見ながら勝手にオーディションをして選んでいます(笑)。私の想像なので、年齢も超越して「何歳の時のこの人」だったり、それこそオードリー・ヘプバーンとかにもお出まし頂いているので、楽しいです(笑)。これを作ると編集さんとしっかりイメージが共有できるのですごくいいんですよ。でも読者さんには自由に読んでいただきたいので、あまり誰を選んだかは言わないようにしています。

——執筆中、脳内でその俳優たちが動いているわけですか。

青山 めちゃくちゃ動いています。だから書き終わると、連ドラが終わってしまった時のようなさみしさがありますし、テレビを見ていてその俳優さんが出てくると、思わず自分が書いた人物に出会えたような気がしたり(笑)。作家さんもいろいろだと思うんですけれど、私は完全に映像型です。

——一人一人、カバヒコに治してほしい箇所も違いますよね。耳管開放症以外は、病気とはいえないものだったりする。

青山 まず、医学的な病気の話はやめようと思いました。そこは私のエリアではないので、触ってはいけない部分のような気がしたんです。あえて病気ではない形で、頭とか足とか目とかにまつわる悩みを浮かび上がらせました。

 たとえば第四話では、小学生の男の子が仮病を使ってしまう場面がありますが、私は病気よりもそうせざるを得ないその心の痛みのほうを書きたかったんですよね。「ここが痛い」ということよりも、元気でいられない、こんなはずじゃないという状況を書きたかったんです。

 耳管開放症は、二十代後半の時の私の実体験を基にしています。ひどい失恋をした時に急に十キロくらい痩せて、耳の中で音が反響してパコパコしちゃって。いろんな検査をしたんですが、耳自体に大きな異常があるわけではなかった。その時にお医者さんに言われたことをそのまま作品に使いました。体重を戻して、心が健康になれば大丈夫というようなことだったんですけれど。でも治るまでに丸一年くらいかかりました。

——主人公たちがカバヒコに触ってお願いをした後、彼らがどういうきっかけで前向きになっていくかも、すぐに浮かんだのですか。

青山 これも自分でどうしてなのか分からないんですけれど、いつも最初の一行と最後の一行がはじめに浮かびます。そこから、最後の一行にどうやって持っていくのかを考えていくんです。数学の証明問題のお題と答えが出ていて、答えを証明するために何をするか考えていく感じですね。

——では、行き詰まることはない?

青山 途中で何も悩まないというと噓になるんですけれど、物語が教えてくれる感じがあります。自動筆記とかそういうのではないんですけれども。

 私、自分の体調に自信がないんですよ。でも小説が書けなくなるんじゃないかという不安はまったくない。それに関しては自信というより確信があって、小説の神様を絶対的に信じています。自分の小説のことも信頼していますし。

 それと、ここ二年くらいで大きく変わったのは、読者さんを信頼できるようになったことです。それまでは、自分の小説は本当に読まれているのかとか、もっともっと丁寧に書かないと伝わらないんじゃないかといった心配がありましたが、ここ二、三年で、そうじゃないなと。どんな読み方をされてもそれがベストだと思えるようになってきたんです。それは読者さんが決めることだなって、託せるようになりました。だから私は、自分の小説への信頼と、読者さんへの信頼と、あと編集さんと大事にしたい部分を共有できているという信頼、そうした信頼関係で書いています。

——だから初の連載も乗り切れたのかもしれないですね。

青山 そうなんですよ、『リカバリー・カバヒコ』で生まれてはじめて「連載」というものを経験して。じつは私、去年の四月に体調を崩して、秋ごろに入院した時期があったんです。世界のリカバリーの祈りをこめて書き始めた連載中に、自分の体調が悪くなって、本当に申し訳ないことだったんですが、最終話の直前で休載までしてしまって。自分の調子が悪いことと小説の出来は関係ないことなので、公には言っていなかったんですけれど。

 自分としては初の連載で休載なんてありえないことをしてしまったという気持ちでいました。でも、その時に編集さんが、「お休みすれば、また書きたくなりますよ」「リカバリーしていく人々の話の最終話を、リカバリーした青山さんがどんなふうに書くのか楽しみです」と言ってくださったんです。それを反映させた台詞を最終話で書きました。退院後も具合が悪くて他の出版社さんの仕事も全部ペンディングにしたんですが、「カバヒコ」はなんとしても最初に仕上げたいと思いました。その時に、第五話に関して、それまで全然考えていなかった設定が浮かんで、自分でも「そうだったんだ!」と大興奮して。

——ああ、ネタバレなので書きませんが、意外な繫がりが分かりますよね。

青山 そうなんです。私が病んでいる間に小説という生き物が作ってくれた設定というか。休んでいる間に、一番いいところに着地してくれました。あのままストップしないで書いていたら、最終話の重みは書けなかったと思います。

 正直まだ全快ではなくて、お仕事はセーブさせていただいていますが、編集者さんたちが本当にご理解くださっていて、私は恵まれた作家だなと思います。私も今まさにリカバリー中なので、この作品には、上からの「がんばろう!」という気持ちじゃなくて「一緒にリカバリーしていこうね」という思いがすごく入っています。

◆裏テーマは「相棒」

——さきほど編集者さんの言葉を作中に書いたとおっしゃっていましたが、『赤と青とエスキース』でも、作中に出てくる「タカシマさんが運のいい人だなんて思ったこと、一度もないですよ」って言葉は、青山さんが実際に言われた台詞だったそうですね。

青山 そうなんです。「青山さんが運がいいなんて私は思ったことがない。あなたは努力の人です」と言われて痺れたんです。一方で、「青山さんは運がいい」、つまり運を持ってるという意味で励ましてくれる編集者さんもいて、私はどちらも嬉しいし、どちらも本当だと思っています。

——編集者さんたち、素敵な言葉をくれますね。

青山 はい。それと、今回はイラストレーターの合田里美ごうださとみさんに素敵な挿絵をいただきました。連載第一話の扉のイラストをいただいた時、もう、感動して涙が出たんですよ。合田さんは人の心の傷みたいなものが分かるイラストレーターさんだと思います。

 今回、はじめて単行本の表紙が写真ではなくイラストなんです。表紙について編集者さんに「合田さんの絵でいこうと思うんです」と言われて、「私もそう思っていました!」と答えました。本がお手元にある方はぜひカバーを広げて見てみてください。各話の主人公が全員揃っているし、夜の闇からだんだん夜明けになっていく様子が分かります。これは本当に嬉しかったです。

——青山さんにとっての編集者さんのように、本書の主人公たちにも、ちょっと背中を押してくれたり、気づきを与えてくれる存在がいますよね。

青山 それ、実は、裏テーマなんですよ。裏テーマは「相棒」で、主人公がそういう存在に気づく話でもあるんです。それは気づいてくれたら嬉しいなという感じで、編集者さんにも話していなかったので、気づいてくださって嬉しいです。

 私たちの現実世界ではそういう相棒的な存在こそがファンタジーかもしれませんよね。でも、そういう存在に気づくことも、本人の能力だと思うんです。たとえば第四話で足が遅いことに悩む小学生の勇哉ゆうやくんが、同級生のスグルくんのすごさに気づきますが、それは勇哉くん自身のものの見方が変わってきたことで気づけたことなんですよね。それはファンタジーじゃない。だから、『リカバリー・カバヒコ』の話はたぶん、ファンタジーではないんですよ。

 スグルくんに関しては、私はめちゃくちゃ贔屓ひいきにしているんです。彼、実は『ただいま神様当番』に出てくる千帆ちほちゃんという小学生の女の子の弟なんですよ。私がまたスグルくんに会いたかったから書きました。

——ああ、スグルくん、そうでした! ということは、これは同じ町の話ってことですか。

青山 そうです。私の小説は全部、同じ町の話なんです。だから『猫のお告げは樹の下で』に出てくる小学生の男の子も、勇哉くんたちと同じ小学校に通っていますね、私の中では。

——じゃあ、町の図書室のレファレンスカウンターには、『お探し物は図書室まで』に出てくる小町こまちさんもいるんですか。

青山 そうそう、います。時系列がちょっとおかしいんですけれど、そこは許して、という(笑)。

——青山さんというと連作短篇集を書く方というイメージですが、ご自身でも連作を書きたい気持ちは強いのですか。

青山 はい。私の小説って、たとえば「どんな小説を書いているの?」と訊かれても、SFですとかミステリーですって説明できない。特徴として「連作短篇の人」と憶えてもらえたら本望です。

 先ほども言いましたが、私の中ではどの小説も全部繫がっているので、壮大な長篇を書いているつもりでいるんです。それを連作短篇という形で続けていきたい気持ちがあります。

 さきほど「小説が書けなくなる不安はない」と言った根拠は、たぶんそこにあるんですね。小説を書けば書くほど、ネタが増えるんですよ。この人をもっと出したいとか、またあの子に会いたいとか、あの子は小学生だったけれど、今はもう高校生だよなとか思うと、止まらないんです。そういうふうに私の中で小説たちも育っていくので、そこを書かずにはいられない衝動があります。なので書かせてもらう場があることが、もう信じられないくらい嬉しいです。

——青山さんの中に、町の地図みたいなものが出来上がっているのですか。

青山 あります。今、作家生活六周年を迎えたところなんですが、無事に十周年を迎えられたら、いつも表紙の写真をお願いしているミニチュア写真家の田中達也たなかたつやさんに、登場人物が全員出てくるジオラマを作ってもらいたいってリクエストしています。

◆長期計画で学校に行き生徒さんたちと話したい

——青山さんは大学卒業後にオーストラリアで記者や編集の仕事などを始め、帰国後も編集者、ライターとして活動し、六年前に小説家デビューされています。社会人経験を経てからのデビューでよかったと思いますか。

青山 そうですね。私は四十七歳で作家デビューしましたが、それまでのいろんな情景とか言葉とかを憶えているので、アーカイブが多いことはプラスだったなと思います。

 プロフィールにはそこまで書かれませんが、フリーライターの時代は東京で一人暮らしをしていて、仕事がなくて家賃が払えなかったり、そういうへっぽこな時代もあったわけです。「元編集者」とか「元ライター」とだけ書かれているとキラキラしたイメージだけれど、実際の私はそればかりじゃなかった。悔しい思いもいろいろしたのはよかったです。

 作家になってからも、想定していなかったことがたくさん起こるんですよね。もし自分が二十代でデビューしていたら、はたしてそこに向き合う知恵や対応力はあったかな? と思うんです。小説を書かせてもらえて本にしてもらえるのが、どれだけありがたいことかが身に沁みているのも、いろいろなものを見てきたからだと思う。四十七歳でデビューというと「遅咲き」と言われることが多いんですが、それが私のタイミングだったな、というのは日々感じています。

——青山さんの作品は、どれも読んでいる人に寄り添ってくれたり、背中を押してくれたり、前向きな気持ちにさせてくれますよね。ご自身の作風についてはどのように感じていますか。

青山 私の小説はよく「大きな事件が起きるわけではない」と書かれるんです。でも、私の中では、すごく事件が起きている感覚なんです。

 たとえば法に反するような行為や事件には、ちゃんとそれを処理してくれる警察とか弁護士がいるじゃないですか。でも私たちの人生に起きる大半のことは、そういうことじゃない。法とは関係ない、裁いてくれる人もいない、何が正しいか分からない、もしかして自分の考え過ぎかもしれない、そういうところで悩んでいる人が多い。私は、そっちを書きたいです。

『月の立つ林で』で靴ずれの話を書きましたが、靴ずれは人から見えないし、靴ずれ自体は「大したことない」と言われてしまいますよね。でもあれってむちゃくちゃ痛くないですか。歩けないし、お風呂でも沁みるし、なかなか治らないし。そうした、〝靴ずれのしんどさ〟みたいなものを書いていきたいです。

 私は昔から「気にしすぎだよ」「考えすぎだよ」と言われることが多いんです。「誰も気にしてないよ」と言われても、私は気にしちゃうし、ひとり反省会も毎晩やっている。それっておかしいのかなとか、こんな面倒くさい性格は自分だけなのかなと思っていたけれど、そういうことを小説に書くと、読者さんたちから「すごく分かります」「私のことかと思いました」というお声をいただくんです。こんなに仲間がいたということにびっくりしているし、心強いと思っています。私のほうが読者の方に対して「ああ、仲間!」みたいな気持ちになっています。

——ままならない思いを抱えている人たちを上から励まそうとしているのではなく、同じ目線にいるんですね。

青山 そう言っていただけると嬉しいです。だから『お探し物は図書室まで』の小町さんとか、『猫のお告げは樹の下で』の宮司ぐうじさんみたいに達観していて、人にもいいことが言える人間だと誤解されると困っちゃう(笑)。私はそっちじゃないので。登場人物でいうと、いつもウジウジ悩んでいる側の人間だし、小町さんみたいな人がいてくれたらという願望を持って生きています。自分が誰かに言ってほしいことを小説に書いているのかもしれないですね。カバヒコは何も言わないけれど。

 でも、カバヒコはお守りなのかなと思います。人にとって、お守りとか信仰ってすごく大切だと思うんです。有名な神社の何かじゃなくても、その人にだけ通じるお守りが大事で、カバヒコもそれなんだと思います。

——青山さんの本自体、誰かにとってのお守りになっていますよね、きっと。海外でも翻訳が出ているそうですね。

青山 まだ実感が湧かないんですけれど、二十二カ国二十言語で翻訳されています。最初は台湾とか韓国とか中国で『木曜日にはココアを』や『猫のお告げは樹の下で』や『ただいま神様当番』が出て、その後、『お探し物は図書室まで』からヨーロッパでも翻訳されるようになりました。イタリア、フランス、ポルトガル、スペイン、オランダ……。自分が行ったことのない、行くこともないかもしれない国々で読まれているって本当にすてきなことで。そして今回、UK版も出ることになって、ありがたいです。

 海外の出版社さんでも、作中に登場するアイテムが入った表紙を描いてくださったり、しおりをつけてくれたりするのが嬉しいですね。それと、翻訳者さんのあとがきがついていることがあって、分からない言語でも翻訳機能を使って読むと、本当に作品を愛してくださっているのが感じられて、すごく幸せです。

——国内では、作品を入試や教材に使われることが多いそうですね。

青山 試験問題や教材の場合は後日、問題用紙と解答、それから解説などが送られてくることもあるんですが、あれは涙なしに読めない。こんなにこの小説を分かってくれているんだって、問題の作り手の人の愛情を感じるんです。読者さんからのお手紙でも「入試で知りました」「受験対策で知りました」という方が結構いるんですよ。私、学校の先生になりたかった時があるので、そこにちょっと関われているのは嬉しいんですね。

 今すぐではないけど、長期計画で、学校で生徒さんと話したり、交流したいなと思っています。自分が十代だった頃の嫌なこととかもはっきり憶えているので、そんな話もして、みんなの話も聞いて、交歓会をしていけたら。そういう時に「あの人誰?」みたいな人が来てもみんな喜ばないでしょうから、ちゃんと作家としてもやっていかないと。

——そういう活動は、リカバリーした後で、ということですよね。

青山 はい。『リカバリー・カバヒコ』の最終話は「老い」がテーマでしたが、ここ一年くらい、自分でも迫りくる老いみたいなものを感じていたんです。でも最近、もう自分自身が若い必要はないんだなって思えるようになりました。これからの世代の方たちに何かを受け渡せるなら大人も悪くないなって、やっと思えるようになったんです。だから大人活動をしていけるような自分でありたいなと思っています。

撮影:深野未季


『リカバリー・カバヒコ』青山美智子・著/光文社

五階建ての新築分譲マンション、アドヴァンス・ヒル。近くの日の出公園には古くから設置されているカバのアニマルライドがあり、自分の治したい部分と同じ部分を触ると回復するという都市伝説がある。人呼んで"リカバリー・カバヒコ"。アドヴァンス・ヒルに住まう人々は、それぞれの悩みをカバヒコに打ち明ける。誰もが抱く小さな痛みにやさしく寄り添う、青山ワールドの真骨頂。

プロフィール

青山美智子(あおやま・みちこ) 1970年生まれ、愛知県出身。横浜市在住。大学卒業後、シドニーの日系新聞社で記者として勤務。2年間のオーストラリア生活ののち帰国、上京。出版社で雑誌編集者を経て執筆活動に入る。デビュー作『木曜日にはココアを』が第1回宮崎本大賞を受賞。『猫のお告げは樹の下で』が第13回天竜文学賞受賞。『お探し物は図書室まで』が2021年の、また『赤と青とエスキース』が22年の本屋大賞で第2位に選ばれる。他の著書に『鎌倉うずまき案内所』『ただいま神様当番』『月曜日の抹茶カフェ』『月の立つ林で』など。23年9月、最新刊『リカバリー・カバヒコ』刊行。

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