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藤井太洋「オーグメンテッド・スカイ」 #001

2024年、鹿児島。
寮で高校生活を送る僕たちは、インターネットの向こう側の世界に「ゲリラ戦」を挑むことにした。自由を獲得するために――。
SF小説の旗手が挑む、最旬青春小説

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 食堂のテーブルに置いたタブレットには、桜並木に挟まれたコンクリート舗装の急な坂を、大きな荷物を抱えて登ってくる少年たちと、その父母の姿が映し出されていた。

 坂を登った先にある鹿児島県立なんごう高等学校の理数科に合格し、そうくう寮に入ってくる新入生たちだ。彼らは卒業までの三年間を、親と離れて過ごすことになる。いま坂を登ってきている生徒たちは、十二時三十五分に到着する便で、坂の下のひらかわ駅にやってきた第一陣というわけだ。

「やっと来たねえ」
 タブレットを見ていた二年生のくらまもるが口火を切ると、同じ学年の寮生たちがめいめいに頷いた。
「やらいよ(全くだ)」「待とっとと」「おいらあげんかたっどな(俺ら、あんなに可愛らしかったのかな)?」「見てみい、初々しいがなあ」「はげぇ、きゃぬやっとぅ後輩ぬできゅんちな(うわあ、俺らもようやく後輩持ちかよ)。信じられんがな」

 寮生たちの話す言葉は様々だ。慣れていなければなんでも「とっとっと」と聞こえてしまう薩摩半島南部の鹿児島弁に、間延びしたような大隅半島の方言。もはや宮崎弁といった方がいい霧島やあたりの言葉と、マモルの耳には違いのわからない離島の言葉が何種類か。
 まるで県下の方言をすべて集めたかのように聞こえるが、鹿児島市の市街地で話される、おっとりとした言葉だけは聞こえてこない。
 おそらく坂を登ってくる新入生たちも同じだろう。

 南郷高校理数科に入れる成績なら県で一番の進学校、城山高校に楽々と進学できる。東京と地方の格差が激しくなっている中で毎年十名ほどの東大進学者を輩出している城山高校は、自由な校風も有名で、人気がある。
 城山高校以外にも、鹿児島市内には魅力的な高校が多い。英語に強い山岡台高校や、部活動の盛んな竜南高校、武道に強い松嶺高校などがある。高校生活を楽しみながら国公立大学や有名私大へ行きたいのなら市内の高校を選ぶべきだ。
 マモル自身も成績だけで入学が決まるなら、特に受験勉強などせずに城山高校に入れたはずだ―もしも、鹿児島市内に住んでいれば。

 鹿児島の教育委員会は、県立高校の普通科に学区制限を設けている。学区外から普通科に入るには、数少ない越境枠に入らなければならない。例えば城山高校ならば、入試の成績が上位十人に入らなければ合格はおぼつかないというが、そこまでの成績優秀者なら全国的に知られている鹿児島の私立進学校、サン・ローラン高校にすら楽々と入れるだろう。偏差値75超えの世界だ。

 そんな中で、南郷高校は市外や離島の中学生にとって大きな救いとなっていた。
 創立六十周年を迎える南郷高校は、各学年8クラス、二〇二四年度の生徒数は九百五十四人の大型高校だ。普通科の6クラスは進学校とは言えないのだが、学区制限のない2クラスの理数科には、鹿児島市外から毎年九十名の秀才たちが集まってくる。

 通学できない地域の生徒が暮らすのが、敷地内に建てられた男子寮、蒼空寮だ。二棟ある三階建の鉄筋コンクリート造の居室棟には合計三十一の部屋があり、現在は理数科の生徒のおよそ三分の一にあたる九十三名の生徒たちが集団生活を送っている。
 平成後期には定員割れしてしまうほど人気が低迷した理数科だが、四年前に行った寮制改革で強制的に学習時間を確保するようになってからは、進学実績も目に見えて改善し、人気校に返り咲きつつある。

 散りかけの桜並木の間には、午後の光に輝くきんこう湾と、その上に浮かぶヨットが何そうか見える。帆に染め抜かれた矢尻のようなマークは、南郷高校のヨット部のものだ。
 先頭を歩いてきた生徒と、その横でしきりに何かを話しかけている母親が、校門を通り過ぎた。坂を登り始めたばかりの生徒まで数えると、七組はいるだろうか。
 ちょうどいい頃合いだ。

「望遠鏡、動かしていい?」
 マモルは、テーブルの向かい側で大きなノートPCを操作しているとおるなおに声をかけた。
「いま?」
 手を止められたナオキは、不満そうに頰を膨らませる。
「そう、いまがちょうどいい感じなんだ。先頭の五人が画面に入ったよね。先輩から写真を撮っとけって言われてるんだ」
 ナオキは、食堂の入り口に集まっている三年生のグループに顎をしゃくった。
「三年生のドローンがあの辺飛んでるでしょ。あっちを借りなよ」
「無理だよ。お前が兄貴に頼んでくれるならいいけどさ」

 三年生たちは、校舎を撮影しているドローンのカメラ映像を取り込むタブレットとノートPCに向き合って、映像を編集しているところだった。八台ある寮のドローンをまとめて操っているのは、テーブルの奥側の席にゲーム機のコントローラーを並べている303号室の道はじめ先輩。ナオキの兄だ。
 道先輩は、落ちてくる前髪を神経質そうに耳にかけていた。苛立っていることに、ナオキも気づいたらしい。
「……無理だな」
「だろう? 三年生のヴァーチャコン制作、やばいぐらい遅れてるじゃないか」
 三年生たちは、今月の二週目に県大会が行われる3D空間プレゼンテーション「ヴァーチャコン」の準備に集中しているところだった。

 蒼空寮はヴァーチャコンの強豪チームだ。指定された3Dエンジンを用いて、最大五分間のプレゼンテーションを行う第一回大会で、蒼空寮は全国大会のベスト8入りを果たした。
 今年は、ドローン撮影した樹木や校舎のテクスチャーで、映画並みの品質の3Dを披露する予定だが、準備がかなり遅れていることは、作業を手伝っているマモルたちもよく知っている。

「わかった。じゃ、望遠鏡どうぞ」
 ナオキが言い終えるのと同時に、タブレットの画面に上下左右の矢印が現れた。マモルが矢印をとんとんと叩くと、わずかに遅れてカメラが動く。
 これは理科棟の屋上に設置してある天体望遠鏡からの映像だ。普段は夜空に向けているが、昼間は真横に向けて定点映像タイムラプスを撮影していることも多い。

 錦江湾に浮かぶ活火山の桜島は、何日かに一度、噴煙を上げてくれる格好の素材だ。いい映像が撮れた日は、寮の下級生たちがコマごとに映り込む鳥や虫、変な形の雲、チラリと光る船の反射などのゴミを取り除いてから、蒼空寮のアカウントでストックフォトにアップロードする決まりになっている。最新型ではないが、高価な望遠鏡を使わせてもらっている上に、毎日のように撮影しては作業する手間暇をかけているおかげで品質は悪くない。月に二千円分ぐらいは売れていて、寮生活を楽しく、快適にするために使われている。主に、ピザとおやつ代だ。

 マモルは急いで角度調整のボタンをタップした。
 場所が固定された望遠鏡では、角度と画角しか調整のしようがないのに、坂を登ってくる新入生たちの顔が見える時間は限られているのだ。
 一度のタップで0.1秒角しか動かないボタンをマモルが連打して、角度を調整していると、学校指定の、緑色のトレーニングウェアに身を包んだいれあずさが画面を覗き込んできた。

 梓は一学年九十人の理数科に五人しかいない女生徒の一人だ。入寮する新一年生たちを、マモルたち二年生が見ていることをメッセージで知った彼女は、蒼空寮のすぐ下にある女子専用の下宿、あかつき荘から、スリッパをひっかけたラフな格好で訪れた。

 今は男子しか住んでいない蒼空寮だが、食堂までは女子が入ってきてもいいエリアだ。かつては女子部屋もあったのでトイレも備わっている。エアコンが効いていて、学校のWi―Fiにつなぐこともできる寮の食堂は、暁荘に寄宿している理数科の女生徒にとっては格好の自習室だ。
 もっとも、勉強をするでもなく入り浸る女子は梓ぐらいしかいないのだが。

 梓は、マモルが撮影しようとしている新入生の映像を指差して聞いた。
「こんな写真撮って、何に使うの? 広報?」
「三年が使うネタだよ」
「ネタって……?」
「スマホ見ながら歩くなとか、靴をぞろびって(引きずって)歩くなとか、腕時計は校則違反だ、とかかな」
「まじで! あんたたち、今年も説教するの?」
 梓のあげた声に、三年生たちが反応する。
「そうだよ喜入さん」「伝統だしね」「まあ、見守っててよ」「寮生かっこいいだろう? みんな、説教のおかげだよ」

「はーい」
 三年生の集団に笑顔を向けた梓は、振り返って鼻の上に皺を寄せた。
「ねえマモル。二十一世紀になって何年経つと思ってるわけ?」
「二十四年」
「そんなこと聞いてるんじゃないし、だいたい二十三年だし。とにかく時代遅れだって言いたいわけ」

 三年生たちは今夜、入寮してくる一年生たちを集会室に集めて正座させ、脅し、先輩・後輩の関係を叩き込む。
 つい四年前まではなかった「伝統」だ。

 二〇二〇年に新型コロナウイルスの集団感染を出してしまった蒼空寮は、全寮生の二割を超える二十五名もの退寮者を出して、半年の間、閉寮した。事態を憂慮した学校と教育委員会は、寮制を改めることを求めた。二十一世紀に入ってから緩めていた寮の規律を、名門進学科だった時代―平成初期まで巻き戻すことに決めたのだ。

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