「試されるのは、家族です」熾烈で過酷な〝小学校受験〟の世界――外山薫『君の背中に見た夢は』インタビュー
デビュー作『息が詰まるようなこの場所で』で、東京のタワーマンションに住む人々の焦燥や葛藤を描いた外山薫さん。第二作となる最新刊『君の背中に見た夢は』で挑んだのは、いわゆる〝お受験〟——小学校受験だ。
「かつて小学校受験というと、専業主婦の世界の話という印象が強かったように思います。共働き家庭は、中学校受験が主流でした。私の家庭も共働きで子どもがいますが、小学校受験という言葉こそ知っているものの、別世界というか、自分には関係のない話だと思ってきました。しかし、数年前から、周囲の共働き家庭の間で、小受の話をよく耳にするようになって。明確にその変化を感じたのはコロナ禍においてです。公立小学校は、デジタル化が遅れていて、休校が続く学校が多かったのですが、私立はいち早くリモート授業を導入するなど、時世に柔軟に対応していた。そんな違いを目の当たりにして、『私立の小学校っていいな』と思った親が多かったようなんです。また、親の在宅勤務が広がったことで、子どもの教育に時間をかけられるようになった。そしてダブルインカムだと、教育費を多く捻出できる。さらに、先輩ママやパパから、『中受は大変だよ』という話を散々聞いている人が多いので、『できれば中受は回避したい』と考え、一貫校を目指す層が増えた……こういった要因が重なって、小学校受験に向かう親子が増えたのだと思います。これは物語になりそうだ、とまずはネットを中心に情報を集めていきました」
主人公の新田茜は、五歳の娘・結衣と二歳の息子を育てながら大手化粧品メーカーで働いている。ある日、茜は祖母の葬儀で、親として中受を経験した従姉妹・さやかに、軽い気持ちで受験の話を振るが……返って来たのはこんな言葉だった。
「え、結衣ちゃんも中受すんの? あー、そいつはご愁傷さまです」
「でも結衣ちゃん、まだ五歳でしょ? なら間に合うんじゃない? 小受!」
さやかの話を聞くうちに、茜は小学校受験に興味を持ち始める。そしてお受験向けの幼児教室に入会したことを皮切りに、茜と結衣の怒濤の一年が始まった。
執筆にあたって、小受経験のある友人や幼児教室の先生等、取材を重ねたという外山さん。まず驚いたのは、志望校によって対策の仕方が大きく違うということだった。リアリティを追求すべく、最初に設定したのは、第一志望校や併願校。そこから逆算するように、登場人物の造型を綿密に作っていった。取材の過程で、小学校受験そのものに対するイメージも変化していったという。
「実は取材を始める前、小受にはあまり良い印象を持っていなかったんです。自分の子どもをロボットのように扱い、無理やり大人の言うことを聞かせているイメージがあって……。でも、取材した多くのご家庭が、口を揃えて『楽しかった』『あんなに充実した期間はなかった』と話していて、次第にイメージが変わっていきました。中受と違って、小受はペーパーテスト、つまり偏差値という数字のみで合否が決まるわけではありません。では何が必要なのか。それは小説にもたくさん書いていますが、例えば季節の行事を大切にしたり、植物や動物と触れ合ったり、そういう親子で過ごす何気ない日常がすごく大事になってくるんですね。かつて大家族で過ごしていた時代には、子どもは祖父母などを通じて、こういった経験を自然とすることができたのですが、核家族化した今は難しい。小受へ向かう日々は、親子の貴重な時間になり得るんだ、それはとてもいいことだなと思いました」
「結衣さんは筋がいいです」——お教室の〝名物先生〟に激励を受けた茜は、日に日に娘の教育にのめり込んでいく。一方、テレビ局記者として多忙を極める夫とはすれ違いの日々が続き、はじめこそ順調だった結衣も、ライバルたちに突き上げられて……。「娘のために」と始めたお受験は、いつのまにか母親のみならず、娘をも追い込んでしまう。
「取材した多くの親御さんが、最初は興味本位で教室に通い始めたのに、数か月経ったらどっぷりお受験の世界にハマっていた、と話していました。中受もそうですが、小受にも、子どもの向き不向きがあるんですよね。でも、『ここまで頑張ったのだから』と親側が引くに引けない状態になってしまう。
茜は関東近郊出身で、大学から東京に来ていますが、東京には自分よりも〝持っている〟人々がいるという現実を目の当たりにして、自分の生い立ちに劣等感を感じています。結衣の受験は、そんな茜自身の〝リベンジ〟のような側面もあるんですよね。でも、こんな風に、自分の行動が娘のためなのか自分のためなのか分からなくなる、という状態は、お受験に限らず、子育てで普遍的なことだと思うんです。私自身も思い当たることがあって、本業で英語をよく使うのですが、いわゆるカタカナ英語なんですよ。それがコンプレックスだからこそ、子どもたちに『英語だけはしっかり!』と教育しています。だから子どもが良い発音で英語を喋っていると、なぜか私が誇らしくなる(笑)」
悩み多き茜の相談相手となるのは、意外にも同じ幼児教室に通うママ友たちだ。
「小受は情報戦でもあるので、基本的に親同士の繫がりが濃い。志望校が違えばなおさら、励まし合って、仲良くなるご家庭も多いようでした。別々の小学校に行っても、共に受験を乗り越えた同士、家族ぐるみで仲良くしているという話もたくさん聞きました。ただ、志望校によっては、子どもが同じ月齢というだけで口も利かないという話も聞いたことがあります(笑)」
外山さんが本書で描きたかったもうひとつのテーマが、〝アラフォー女性のキャリア〟だ。共働き家庭が増えてなお、子育ての比重は母親に偏ることが多い。
「同級生と話していると、男同士は仕事の話がメインで、子育ての話をほとんどしないんです。話題に上ったとしても『妻が一生懸命やってるよ』くらいのテンション。一方で、女性と話すと、仕事よりむしろ子どもの教育の話を熱心にする人が多い。キャリアを追求したくても、子育てのためにセーブせざるを得ない現実があるのだと思います。子どもが生まれる前は男女関係なく同じように働いていたはずなのに、どうして女性だけが何かを諦めなくてはならないのか。男は仕事さえしていればいい、という雰囲気が今なお残っている気がして、それに対するモヤモヤもこの小説では描きたかった」
母娘でもがきながら必死に駆け抜けた一年間。茜と結衣、そしてこの家族を待ち受けるのは、一体どんな景色なのか。
「合否だけを小説のゴールにはしないと決めていました。お受験を通じて自分自身と向き合った茜が、ひとりの人間としてどんな変化を遂げたのか、楽しみに読んでいただきたいです」
まだまだ東京で生きる人々への興味は尽きないという。
「小説は、その時代の空気を映し出すものだと思うんです。デビュー作と本作には、二〇二〇年前後の東京にはびこる息苦しい雰囲気が滲んでいると思います。何十年後かに作品を読んだ読者に『当時の東京ってこんな感じだったんだ』と思ってもらえたら嬉しいですし、これからも時代を象徴するような作品に挑戦していきたいです」
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