木村朗子│フェミニズムをアップデートする
清水晶子さんの待望のフェミニズム本だ。研究者であれば学術論文を書くのが本領だろうが、しかし学術論文というのはすでにある程度、問題意識を共有した人に向けて書かれるもので門外漢には少し難しいのである。さらにいえば学術論文というものには、論に固有の理路があって、個人の見解を縷々述べることはできない。それゆえに清水晶子さんご自身の考えを読んでみたいとずっと願ってきた。
本書は『フェミニズムってなんですか?』という問いに答えるようにして書かれているから、フェミニズムをまったく知らない読者に開かれていることはいうまでもないが、むしろフェミニズムについてはわかっていると思っているような読者にこそうってつけの一書だと思う。
というのも、フェミニズムというのは日進月歩、変化しつづけており、常にアップデートを必要とする学問領域なのである。昔、勉強した女性学などではまったく太刀打ちできないのである。たとえば本書のトピックの一つにあがっている「LGBTQ+」をみればわかりやすい。そもそもLGBTQ+という用語が現れたのは比較的最近のことであり、なおかつ少し前には(このまとめ方がいかにも雑なくくりであることはさておき)LGBTといっていたはずなのだ。そこにQをつけるのが通例となり、さらに+がつくのが好ましいといった塩梅である。こうしてフェミニズムが考えるべき主題は常に拡張していっているのだから目が離せない。
ことは新たなトピックが加わっていくというにとどまらない。フェミニズムという語の含みもつ意味さえも変化変容しているのである。本書でフェミニズムは「女性たちの生の可能性を広げる」ための方法だとひとまずは説明される。この「女性たち」は、既存の社会構造の下でなんらかのかたちで不利益を被っており、それゆえにフェミニズムという思想によって社会を変革しようとするのである。ところが、「女性たち」(もちろんここにはトランス女性たちも含まれる)が被る不利益というのは、人種や階級、セクシュアリティその他もろもろによって実に多様であり、それぞれのニーズも多種多様だということになる。その意味でフェミニズムは一つの思想であるとか、一本化しなくてはいけないなどと考える必要はまったくない。このことは当たり前のようでいて、実はある時期までのフェミニズムの議論にとっては自明のことではなかった。たとえばウーマン・リブ運動のなかでかかげられた性の解放は、現在のように「他者に性的欲望を感じない」アセクシュアル(asexual)、「恋愛感情を抱かない」アロマンティック(aromantic)というあり方を含み込めば、必ずしも女性の解放とはいえないということになる。
このように女性たちのニーズが多種多様ならば、もはやそれらをフェミニズムという一つの思想にまとめあげることはできないのではないか、当事者研究という枠組みで各々が固有の問題を議論すればよいのであって部外者はただ傍観するしかないのではないか、という疑問がわく。しかし本書は「フェミニストたちの意見が一致しない」ことを以て「その不一致にこそ、変革の力としてのフェミニズムの可能性」があるとして、あくまでもフェミニズムという連帯の意義を放棄しない。私たちは様々な論点をフェミニズムという思考の枠組みで共有することができる、と力強く示してくれているのだ。
本書にはフェミニズムの歴史をふまえ、現在の最前線の課題へとつないでいくていねいな解説の部分に加えて、三つの対談が含まれる。写真家として美術界にいる長島有里枝さんは、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』という著書で、男性ばかりの美術界での女性写真家の語られ方に抵抗して「ガーリーフォト」を打ち出したのだが、一見すると「ガーリー」は「女の子」よりもよけいにかわいげのある語に感じられる。しかしそれは、フェミニズム運動の内にある「ガールパワー」から名づけられていることが、対談の前段の「ガール」の解説にうまく接続していてわかりやすい。
本書でなによりも刺激的だったのは、トランス女性の差別をめぐる問題である。スポーツにおけるジェンダー・セクシュアリティの研究をしている井谷聡子さんは東京2020オリンピックでも話題となった男女で競技が分けられているスポーツ界のトランスジェンダーの問題を扱い、芥川賞作家でクィア文学の書き手でもある李琴峰さんとの対談ではフェミニズム内部のトランス排除について切り込んでいる。トランスジェンダーという事案もまた時々刻々と変化しつづけており、それこそかつて考えられていたことは全く通用しない。
井谷聡子さんによると、オリンピックなどのスポーツ競技の出場資格がテストステロン値ではかられている現状があって、その値が運動能力を分ける根拠がない上に女性選手でもテストステロン値が高いことで参加資格を失った例があるという。この問題ひとつをとっても、考えるべきことは時代とともに変化していることがわかる。『フェミニズムってなんですか?』という問いについて、本書の読後に手に入れた答えは、フェミニズムはこうした変化、変容を受け入れながら、分断ではなく、なおも連帯する場をあたえてくれる信頼すべき思想だということだ。
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