登録者数72万人のYouTuber・コウイチの〈ショートノベル〉。第1回「マサルの冷たい部屋」をお届けします!
マサルの冷たい部屋
冷房が強く効いた部屋で、マサルは空のペットボトルにまみれた机に突っ伏していた。エアコンはオンオフを頻繁にするよりも、点けっぱなしにしていた方が電気代がかからないらしい。そんなことをマサルはどこかで聞いた覚えがあった。
床には脱ぎっぱなしの服が散らばり、台所には使用済みのカップ、フローリングはホコリまみれで、都内の高級タワーマンションにはふさわしくない光景だった。
「もう俺は終わりなんだ」
一人でそう呟くマサルの声に相槌を打つ者はいなかった。点けっぱなしのパソコンのモニターにはYouTuber・マサルの動画の分析画面が表示されている。
「今月の総再生回数は128万回です」
「推定収益は1025ドル」
今月の収入はここ数ヶ月で一番低い数字だった。マサルは自身の収益が下がる度に酷く落ち込み、部屋から出られない状態が続いていた。
「このままじゃこのマンションの家賃も払えなくなる」
YouTuberとしての賞味期限はとっくの昔に切れていた。それは誰が見ても明らかなことだった。
マサルがYouTubeを始めたのは大学3年の夏だった。
夏休みで特にやることもなく、家賃4万円のワンルームで、天井のシミを眺めながら考え事をしていた。
来年は就活で忙しくなる。今回の夏休みが自由に使える最後の長期休暇になるのかもしれない。何か生産的なことをしなければいけない。
マサルは窓から吹き込む涼しい風を浴びながら、ふとYouTubeでお笑いをやるのはどうだろうと考えた。
当時、YouTuberはこれからくる職業として大きく注目されていた。そのバブルに乗っかるのも悪くないと、マサルは安易な気持ちでチャンネルを開設することにした。思いついたその日にアカウントを作り、チャンネルのアイコン用の撮影をして準備を整えた。最初にアップした動画は「夏休みあるある」で、その動画はチャンネル登録者数が0人にもかかわらず、2日で3200回の再生回数を記録した。YouTubeにさして詳しくないマサルにはとても大きな数字に思えた。
チャンネル登録者数は1ヶ月もしないうちに1000人を超え、加速するようにその数字は伸びていき、半年後には1万人、1年後には30万人を超えるまでに成長した。
マサルがチャンネルにアップする動画は中高生向けのあるあるネタがメインだった。
あるあるというものは視聴者からの共感を得やすく、笑いも取りやすいため、最初に選ぶジャンルとしては適切なものだったのだろう。マサルは偶然にもこのジャンルを選択し、功を奏することができた。
ちょろいな。というのが率直な感想だった。なぜこんな簡単なことを皆やらないのだろう。もしかすると、これは自分に与えられた才能によるものなのだろうかとマサルは次第に自らを過信するようになった。
大学4年になり、周囲の友人たちが就職活動に励むなか、マサルはそれを優越感に浸りながら眺めていた。社会の退屈なレールから逃れ、刺激的で新しいことをやっているという自負が自尊心を大きくしていた。
マサルは、大学卒業後もYouTuberとして生計を立てていくつもりになっていた。週3本の投稿にもかかわらず、月収は既に大卒の平均初任給の5倍は稼いでいた。毎日外食をし、好きなものを好きな時に買う生活を満喫していた。
そんな余裕ぶりを見ていた友人たちは、次第にマサルとの関係に距離を置くようになった。就活で苦労するなか、早いうちに成功者のレールに乗った友人の姿を見るのは良い気分ではなかったのだろう。マサルはその冷たい視線に薄々勘づいていたが、単なる嫉妬と解釈し、やがて彼らとも疎遠になった。
大学卒業を控えたある日、マサルのもとに一通のメールが届いた。それはトップYouTuberが多く所属する事務所からのスカウトメールだった。迷惑メールの可能性も考えたが、メールアドレスを調べると、紛れもなく本物の事務所からだった。ついに自分もここまできたと友人に自慢しようとした。しかしマサルにはこの喜びを分かち合える相手が残っていなかった。
大学卒業間際というタイミングでこのメールが届くとは何かのお膳立てのようだと、二つ返事でそれを快諾し、事務所に所属することになった。
マサルはそれからもあるあるネタを投稿し続け、卒業してから半年でチャンネル登録者数は100万人を超えた。この頃から都内の高級タワーマンションに住むようになった。事務所の後ろ盾もあり、マンションの審査はすんなりと通った。ワンルームの部屋からタワマンの2LDKに引っ越した時、マサルは物がない部屋では声が響くということを思い出した。声の響く部屋で歓喜の雄叫びを上げた。壁の厚い部屋では、雄叫びは誰の迷惑にもならなかった。成功というのはこういうことかと、マサルは空っぽの部屋で大の字に寝転がり、目をつむりながら思った。
事務所に所属したことで、企業からのPR案件も舞い込むようになり、収入は増えていく一方だった。本の執筆依頼も届き、『共感の魔術』という書籍も出版した。書籍は5万部も売れ、3日間だけ売上ランキング一位にもなった。マサルの人生は誰がどう見ても順風満帆だった。
しかし、大学を卒業してから一年半が経ったころ、動画の再生回数が頭打ちになり始めた。平均100万回再生の壁をどうしても越えることができなかった。右肩上がりだったチャンネル登録者数の折れ線グラフも真っ直ぐな横線に変化し始めた。
不安に思ったマサルは事務所のマネージャーにLINEを送り、原因を尋ねた。マサルからマネージャーにこのような連絡を取るのは初めてだった。マネージャーの分析によると、マサルのアップするあるある動画にマンネリの傾向があるとのことだった。「昼休みあるある」「5分休憩あるある」「帰りのホームルームあるある」とマサルのあるあるネタがワンパターン化してきていたのは事実だった。
しかし、マサルにはあるある動画しか武器がなかった。マネージャーの分析もお構いなしに、普段通り、学校にまつわるあるある動画をアップし続けた。すると、チャンネルの再生回数は成長しないどころか、徐々に減少するようになった。今までは上手くいっていたはずのことができなくなり、マサルは身に危険が迫っているような身体的な不安を感じた。
マサルは再びマネージャーにLINEを送ろうとした。しかし、前回のLINEでのやりとりが目に入り、同じことを言われるような気がしてならなかった。新しいことをやっていかないと、どうしても飽きられてしまう。薄々自分でもわかっていたことであったが、見ないようにしていた。
マサルはその後、トレンドを調べ、普段とは違う、ウーバーイーツで注文したものを食べながら雑談をするという動画をアップした。このフォーマットの動画は若手YouTuberの間で流行っていた。きっと自分もこれをすれば、再生回数が復活するはずだとマサルは確信していた。しかし、その動画はバズるどころか、普段の再生回数にも満たない程度しか再生されなかった。おかしい。トレンドに乗っかったはずなのに、と次第に焦りを感じ始めた。
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