天祢涼の読みきり短篇!「一七歳の目撃」――仲田シリーズ最新作
引ったくりを目撃した高校生。
犯人の正体を刑事にも黙っていたのにはある理由が――
神奈川県警・仲田蛍刑事の活躍を描いた「仲田シリーズ」の最新短篇、お届けします!
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教室の手前で足をとめるとスマホのインカメラを起動させ、ディスプレイに自分の顔を映した。目の下にできたクマは、薄くてほとんど目立たない。クラスメートには、いつもの僕に見えるはずだ。一つ頷いてから教室に入る。
「昨日の夜もひったくりがあったらしいじゃん」「部活で遅くなる日はこわいわー」「この二ヵ月で五件目だね」
耳に飛び込んできたのは、予想したとおりの会話だった。
僕が住んでいるのは、神奈川県川崎市の登戸。この街では最近、ひったくり事件が続発している。「夜道を歩いているところを自転車で背後から猛スピードで迫り、追い抜きざまに荷物を奪い去る」というシンプルな犯行ゆえに証拠が残りにくいのか、警察は犯人を捕まえられていない。
この川崎第一高校は登戸にあり、二年生の女子も被害に遭ったので、生徒たちの事件への関心は高い。
「グンシは、犯人を捕まえるにはどうしたらいいと思う?」
席に着いた僕に、後ろから男子が訊ねてきた。
「さあね」
「なにかアイデアがあるだろ、頭がいいんだから」
「勉強ができることと頭がいいことは違うし、そもそも事件に興味がない。そんなことを考えている暇があったら受験に備えるさ」
仰々しく肩をすくめてみせた僕に、質問してきた当人だけでなく、その周囲にいる男子たちも笑い声を上げた。
「さすが」「冷静沈着すぎ」「やっぱり川崎第一高校の軍師だな」
僕が「まあね」と返しながら右手の人差し指で眼鏡のフレーム中央を押し上げると、男子たちの笑い声が大きくなった。教室の後方では、成績のいい女子三人組が眉をひそめている。でも僕は、期待されたリアクションをしただけだ。彼女たちにどう思われようと、トラブルのない高校生活を送るにはこれでいい。その証拠に、髪を茶色に染めた女子と、制服をほどよく着崩した女子が笑顔で近づいてきた。
沢野カオリさんと、高村美羽さんだ。
「グンシって、本当にマイペースだよね」「弁護士になっても喜ばなそう」
沢野さんと高村さんがこんな風に気安く声をかけるのは、一部の男子のみ。その男子には、運動神経抜群、容姿端麗など、なにかしら秀でた点がある。僕の場合は成績優秀であることだけでなく、「勉強最優先のクールキャラ」を徹底して演じていることが気に入られたのだろう。
「黒山くんって頭いいよね」「『弘明』って名前、読み方を変えれば『孔明』になるじゃん。三国志の諸葛孔明じゃん」「本当に軍師だ!」と騒いで、僕に「グンシ」というあだ名をつけたのも、この二人だ。
「さすがに僕でも、弁護士になったら喜んでガッツポーズくらいするよ、ものすごいやつをね」
僕が真顔をつくって言うと、狙いどおり、沢野さんと高村さんは「そんなことを大まじめに言わないでよ」「でもガッツポーズするグンシは見たい!」とはしゃぎ出した。高校生活は、残り一年と少し。この調子でやっていけば問題なくすごせると思っていた——昨日の夜までは。
「俺もガッツポーズするグンシを見たいよ」
その一言とともに近づいてきたのは、宇佐美来都だった。後ろから、栗原怜治と中嶋宗輔もついてくる。来都の身長は一七〇センチ台後半。栗原と中嶋は背丈こそ来都ほど高くないものの肩幅ががっしりしているので、三人そろうと威圧感がすさまじい。
「あ、来都だ」「おはよう、来都」
沢野さんと高村さんが顔を輝かせる。来都は彼女たちに「おはよう」と返すと、僕の目の前で足をとめた。
「いまここでガッツポーズしてくれないか、グンシ?」
「——断る。弁護士になるまで楽しみに取っておきたいからね」
「いつもの僕ならどう応じるか」を考え、答えを返すまでに微妙な間が空いてしまった。来都はそれに気づかなかったのか、笑いながら言う。
「残念だな。じゃあグンシが弁護士になるために、俺が勉強を教えてやるよ」
「来都がグンシに教えられることなんてあるわけないじゃん」
沢野さんが右手で、来都の二の腕をぱしぱしたたく。
「痛え! 骨が折れた!」
僕は「また始まった」と言わんばかりに首を横に振りつつ、わざとらしく痛がる来都の双眸をそっと見遣る。
目尻の切れ込みが深く、瞳の色は青。祖母がアメリカ人である影響らしい。来都は「この目のおかげでモテて困る」と、ことあるごとに自慢している。
だから昨夜も、目出し帽から覗く双眸と同じだと一目でわかった。
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