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五十嵐律人、最新作! 『魔女の原罪』カバー&冒頭初公開☆

 デビュー作『法廷遊戯』の映画化も決定し(永瀬廉さん主演で2023年11月に公開予定!)、ますます話題の五十嵐律人さんの最新長篇『魔女の原罪』を4月24日に発売します!!

 現役弁護士作家としてリーガルミステリーに定評のある五十嵐さんが贈る ‟特殊設定リーガルミステリー” にして、完全書き下ろしの新作『魔女の原罪』(文藝春秋刊)。

 法律が絶対視される学校生活、魔女の影に怯える大人、血を抜き取られた少女の変死体… 
 

 一連の事件の真相と共に、街に隠された秘密が浮かび上がります。

 五十嵐さんも「伏線と絶望をたっぷり染み込ませた」と自信をのぞかせる本作。
 なぜ法律だけが重視される高校が出来たのか?
  ‟魔女” とは何を指すのか?
 街に根深く残る地元民と移住者との断絶の原因は?

 何とか上辺の平穏を保ってきた街の均衡は、少女の死体が見つかることで崩れ去る…

 衝撃の結末を迎えたとき待ち受けるのは真の絶望か、それとも……⁉
 是非ご一読ください!

<以下、冒頭を無料公開でお届けします>


『魔女の原罪』

第一部 異端の街

「魔女と魔法使いの違いを知ってる?」
 なぞなぞを出すような軽い口調で、水瀬みなせ杏梨あいりは僕に訊いた。
 魔女、魔法使い――。僕が知る限りでは、どちらも現実世界には存在しない。架空の存在だからこそ、好き勝手に想像を膨らませることができる。
「杖を振って呪文を唱えるのが魔法使い。大鍋で薬を煮るのが魔女」まどろみから目覚めて、真っ白な天井を見上げたまま答えた。
 箒に跨って飛び回る老婆を思い浮かべた。とんがり帽子、大きな鉤鼻、風にはためくローブ。そのシルエットは、魔女と呼んだ方が適している気がした。
和泉いずみくんらしい答えだね」
「どの辺が?」
「地に足がついている」
「魔女も魔法使いも、浮かんでるイメージだけど」
「だから、そういうところ」
 正解ではないらしい。そもそも、模範解答が存在するのかも怪しい。
 病室には、消毒用エタノールの匂いが染みついている。呼吸をする度に、清潔な空間が吐息で蝕まれていく気がする。
「魔女は悪者で、魔法使いは味方?」
「うーん、惜しい」
「惜しいんだ」
「黒魔術とか白魔術みたいに、魔法の中にも善悪はあるよね」
 僕と杏梨は、隣同士のベッドの上に寝ている。仲良く昼寝を楽しんでいるわけではなく、透析治療の真っ最中なのだ。機械に血液を循環させて、体内に溜まった老廃物や不要な水分を除去する。要するに、血液を人工的に浄化する治療である。
 血液を浄化……。何だか物騒な響きだ。
 実際、僕たちの血液は透析治療のおかげで清潔さを保っている。この病室に撒かれている消毒液と同じように、体内の異物を取り除く役割を担っているらしい。
 これが僕たちの日常。融通が利かない治療の日々である。
 同じ時間にクリニックを訪れ、同じベッドに通される。体重の測定、消毒、穿刺、脱血、返血。治療という実感も希薄で、寝る前に歯を磨くのと同じように、ルーティンの一つとして生活に組み込まれている。
 四時間の治療を週に三回。一カ月後も、一年後も、十年後も。適応する腎移植のドナーが見つからない限り、僕たちは透析治療を受け続けなければならない。
 終わりが見えないマラソンみたいだ。一度転んだら、簡単には立ち上がれない。
 杏梨が隣にいない日は、スマホばかり見てしまう。たいして興味もない芸能人に恋人がいるのかを調べたり、炎上しているニュースのコメント欄を遡ったり――。チューブの中を通る血液を眺めながら時間を潰すしかない。
 退屈すぎて、注射針を抜きたい衝動に駆られることもある。
 今日みたいに杏梨と言葉を交わしていると、あっという間に時間が過ぎていく。
 僕たちが通っている鏡沢かがみさわ高校の噂話。部活や授業の話。近況報告は一時間もあれば済んでしまう。そこから先は、雑学を披露する時間になる。僕はネットニュースやSNSで収集した芸能ゴシップを脚色して伝え、杏梨はオカルティックな知識を好んで話す。
 ときには、魔女の話だって繰り広げられる。
 しばらく考えてから、「なぞなぞではないんだよね」と確認した。
「うん。理屈の通った答えを求めてる」
「お手上げ」注射針が刺さっているので左手は上げられない。
 モニターの表示や僕たちの体調を確認するために、濃紺のシャツを着た母さんが近づいてくる。周りに人がいると、杏梨は口を閉ざしてしまう。
 母さんが立ち去った後、再び杏梨の声が聞こえた。
「魔法使いの中にも善人はいる。でも魔女は、存在自体が悪なの」
「存在が、悪?」
「世界を穢す存在なんだよ」
 その答えの本当の意味を、僕は忘れかけた頃に知ることになる。

「皆さん、おはようございます」
 狸のような顔立ちとフォルムの校長が壇上に立っている。突き出たお腹の中には、どれくらいの量の脂肪が詰め込まれているのだろう。一部の生徒からマスコット的な人気があり、狐顔の教頭と並んだときのバランスもいい。
 マイクのハウリング芸を披露してから、校長は演台に手をついた。
「さて、遂に新学期が始まります。有意義な夏休みを過ごすことができましたか? 一年生にとっては最初の夏休み、二年生にとっては二度目の夏休み、三年生にとっては最後の夏休みだったわけです。残念ながら、時間を巻き戻すことはできません」
 当たり前だろ、と後ろに立つ宇野うの涼介りようすけが呟く。
 学校っていうのは、当たり前のことを偉そうに語って学費を巻き上げるアコギな商売だ。以前に涼介が、そう悪態をついていたのを思い出す。その日の透析治療中に〝アコギ〟の語源を調べて、アコースティックギターは無関係だと知った。
 僕たちは二年生なので、まだ最後の夏休みが控えている。これまでと同じように、透析治療のルーティンを繰り返す退屈な時間を過ごすことになるだろう。
「時は金なりという諺は――」
 緑色のセンターライン、赤色のフリースローライン、青色は……、何に使っているテープなのか忘れてしまった。カラフルなラインテープで彩られた体育館で、緩やかに弧を描くスリーポイントラインにつま先を乗せながら、校長の長話に耳を傾ける。
 三年間の高校生活はあっという間に過ぎ去ってしまう。振り返ったときに楽しい思い出で満たされるように、一期一会を大切にかけがえのない日々を送ろう。
 なるほど。確かにありふれたメッセージだ。
「まだまだ暑い日が続きそうですが、新たな気持ちで再スタートを切りましょう。とはいえ、涼し気な服装の皆さんは平気そうですね。私はセンスがないので、スーツばかり選んでしまうのですが……。豊かでカラフルな髪の毛も羨ましい限りです」
 涼介が、僕の襟足を軽く引っ張る。首を動かして抵抗すると、すぐに放してくれた。
 半年くらい前から思い付きで髪を伸ばしているが、鏡沢高校の中にいるとまったく目立たない。黒髪の生徒の方が少ないし、ハイトーンのメッシュやグラデーションカラーといった派手なヘアスタイルもちらほら見かける。
 凝ったカラーに挑戦できるのは、美容院で一万円近くを支払える生徒だけだ。ほとんどの生徒は、市販のカラー剤を使い友人同士で染め合っているのでムラが目立つ。
「無視すんなー」
 肩をつつかれたので振り返ると、赤く染めた髪を無造作に立ち上げている涼介が、にやりと笑った。細い眉毛も脱色済み、ビッグサイズの黒シャツと四分音符のデザインのピアス。十人に尋ねれば、二人が今時の若者と答えて、八人が不良と答えるだろう。
佐瀬させセン、睨んでるぞ」
 担任の名前を出したが、涼介は「女子しか見てないだろ」と鼻で笑う。壁に寄りかかっている我らが担任は目を閉じているので、男子も女子も視界に入っていない。
 僕に用事があるわけではなく、校長が話している最中でも臆せずにちょっかいを出せるというアピールだろう。それを本人に指摘するのは野暮だ。
「校長の話、僕は好きだけど」
 退屈な時間に耐性があるだけで、正確には好きでも嫌いでもない。
「さすが優等生」
「不良認定されるよりはマシだと思う」
「アウトサイダーの精神だよ」
「ああ、そう」
 会話を打ち切って、壇上の方に向き直る。
「金髪、アロハシャツ……。大いに結構です。好きなファッションで、ありのままの自分を表現してください。私服通学を認める高校は増えてきましたが、ここまで個性豊かな全校集会を開けるのは当校くらいでしょう。とても誇らしく思っています」
 耳にピアスホールを開けてもいいし、サンダルを上履きに使ってもいい。仲良し女子グループやペアルックのカップルを除けば、服装の統一感はまるでない。僕は、古着屋で買ったジャージばかり着ている。この伸縮性は、何物にも代えがたい。
 一般的な全校集会の光景と乖離していることは、知識として知っている。
 ツーブロックすら禁止されていたり、地毛証明書を提出しないと茶髪が許されない高校があるらしい。多様性が尊重されるのが、令和の時代のはずなのに。
 ネットニュースのコメント欄では、『時代遅れ』、『思考停止のルール』などと批判の言葉が並んでいたが、そういった校則の存在自体に僕は驚いた。
「鏡沢高校には校則が存在しません。日本でもっとも自由に学生生活を送れる高校だと自負しています。自由闊達という校訓に噓偽りはありません」
 短い間を置いてから校長は続けた。
「そもそも、ルールは何のために存在すると思いますか?」
 また始まった―、という空気を感じる。いや、僕自身がそう思っただけか。全校集会が開かれる度に、校長はルールについての持論を展開する。
「自由を守るために、自由を制限する。それがルールの本質です。信号を設置したり制限速度を決めることで交通事故を防ぐ。窃盗を禁止して個人の財産を守る……。このような交通ルールや刑法が違和感なく受け入れられているのは、それらがなくなったときの混乱が簡単に想像できるからだと思います。交通事故や窃盗が多発するような社会では、安心して生活できませんよね。それでは、服装や髪型を指定する校則を定めることで、どんな自由が守られるのでしょう」
 マイクが渡されることはないので、答えを思い浮かべる必要もない。
「校内で着ていいのは制服と体操着だけ。化粧、染髪、アクセサリー、全て禁止。このように細かくルールを決めてしまえば、例外に頭を悩ませる心配がなくなります。例えば……、皆さんからタトゥーを入れても良いかと相談を受けたとき、校則があれば楽に説得できるのかもしれません。不適切な表現かもしれませんが、学校側にとって自由を制限できるルールは便利なものです。ですが、例外的なケースは、その都度検討すれば済む話でしょう。楽をするために生徒の自由を奪うのは本末転倒だと、私は考えています」
 学校の創立から携わっている校長は微笑を浮かべた。
 鏡沢中学校と共に中高一貫校として創立された鏡沢高校は、六年の歴史しか刻んでいない。校則を定めず〝自由闊達〟な学生生活を送るという校訓も、初年度から維持されているらしい。きっと校長が発案者だったのだろう。
「校則を定めないと、一体感が損なわれて風紀が乱れる。知り合いの教師から、そのような助言を受けたことがあります。ですが、制服の着用を義務付けて髪の長さを決めるだけで、見せかけではない本物の一体感が得られるのでしょうか。皆さんの様子を見ていても、風紀が乱れていると感じたことはありません。先生方の話をよく聞いてくれているし、夏休み中に校外で問題を起こした生徒は一人もいません」
 鏡沢高校では、あらゆる選択において生徒の自主性が尊重される。
 部活も委員会も加入は義務付けられていない。一方、新たに団体を設立すれば、活動内容に応じて補助金が支給される。文化祭や体育祭といったイベントも、実施するか否かの判断から具体的なプログラムの決定に至るまで、毎年一から検討を重ねていく。
「生徒を信頼していれば、細かいルールを定める必要はありません。解釈の余地が残されていても、自分の頭で考えて結論を導けるはずだからです。そして私は……、皆さんのことを信じています。おそらく、他の先生方も同じ気持ちでしょう」
 狸親父――、と涼介が呟いた。同感である。
「校則を定めなかったからといって、学校が無法地帯になるわけではありません。タピオカミルクティーの持ち込みは認めていますが、飲酒は禁止です。派手な格好をするのは認めていますが、全裸で廊下を歩き回るのは禁止です。煙草、シンナー、覚醒剤……、もちろん、全て禁止です。法律に違反しない範囲で、自由を謳歌してください」
 入学式が終わった後、僕たちは生徒手帳と共に分厚い六法を受け取った。
 一人一冊。そこに鏡沢高校のルールが書かれていると、担任に告げられた。中学の入学式後に受け取った簡易版の六法より、ページ数が倍近く増えていた。
 法律に違反しなければ、自由が保障される。その代わり、違法行為を行った場合は厳重に処罰される。過去には退学処分を下された生徒もいるらしい。
「せっかく始業式の日なので、新学期に向けた明るい話で締め括ろうと思っていました。ですが、夏休み中に起きてしまった事件について、お伝えしなければなりません。先ほど私は、校外で問題を起こした生徒は一人もいなかったと言いました。間違った事実を伝えたわけではなく、この事件は校内で起きたのです」
 夏休みモードが抜け切っていないからか、校長の話が始まっても私語を交わしている生徒が、少なからずいた。けれど、今の前置きによって体育館の空気が張り詰めた。
 定期テストの順位を掲示板に貼りだして勉強のモチベーションを高めるように、鏡沢高校では不祥事を起こした生徒の名前が公表される。何をして、どんな処分を下されたか。
 不祥事とは、犯罪行為を意味している。
「犯した罪と向き合い、立ち直ってもらいたいと願っています。晒し者にするために事件の内容を明らかにするわけではありません。自分が同じ立場だったら、どのような選択をしたか。どうして思い留まることができなかったのか。一人一人が考えてください」
 もっともらしい理由を並べ立てたところで、犯人が後ろ指を指される事実は変わらない。犯罪者のレッテルを貼られ、白い目で見られる。それが正しいことなのか、僕には判断がつかない。
 演台に手をついたまま、校長は続けた。
「二週間の停学処分を下されたのは、一年一組の柴田しばた達弥たつやくんです。女子硬式テニス部の部室に侵入して、二年生の部員の財布を抜き取りました――」
 後方に並ぶ一年生の列に視線を向けた生徒が、大勢いた。


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『魔女の原罪』
2023年4月24日発売!

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