馬場典子│「先輩アナウンサー」への詫び状──『全力でアナウンサーしています。』を読んで
大学3年の冬休み、祖母の家で就職活動のハガキを何通も書いていた私は、舌打ちをした。
バブルはとっくに弾けている1995年の暮れ、当時はまさか30年も続くことになるとは思わなかったが、景気は沈み、団塊ジュニアは就職氷河期に直面していた。
のちに、同じ大学でも男性にだけ資料が送られていたことを知った。今にして思えば、採る気もないのに資料を送ってくるより良心的とも言えなくはないのだが……。
でも、舌打ちをしたのはそんなご時世に対してではない。
見えない未来にペンダコよろしく必死な中、耳に飛び込んできたキャッキャとはしゃいでいる(かのように感じた)女性アナウンサーの声が、癇に障ったのだ。
「風雲!たけし城」には出たかったし、「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターには憧れた。「高校生クイズ」に参加したくらいには、テレビが好きだった。
当時は女子アナブーム全盛の頃だったが、アナウンサーの仕事のことはよく知らなかった。むしろ心のどこかに「アンチ女子アナ」精神があったように思う。
なりたかったのは、コンサルタントやマーケッター。その面接練習のために、いち早く採用を行うアナウンサー試験を受けた。
その途中で、アナウンサーは言葉の職人である、と知って感銘を受けた。学芸会のような朗読しか出来ず、メイクもろくに出来なかったのに、日本テレビにだけ、奇跡のような内定をいただけた。
職人アナウンサーに憧れて入社したところで、「アンチ女子アナ」精神が抜けたわけではなかった。むしろ「女子アナ」と揶揄されないアナウンサーになりたいと思っていた。地味すぎて、あるスポーツ紙に「趣味は盆栽」と書かれた。……サボテンを枯らしたことなら、ある。
日テレ時代は社の内外を問わず、かなりの確率で「女子アナっぽくないね」と言われ、その全てが良い意味ではなかったかもしれないが、密かに嬉しかった。
職人としてコツコツ生きていければ……と思っていたが、入社5年目、初めてゴールデンの番組を担当することになった。それが、今も愛され長寿番組となっている「ザ!世界仰天ニュース」。
収録なのに生放送のような密度で、流れも空気も一瞬にして変わる。一応、スタッフから託された役割があり、今入れる! と思って息を吸ったら、もうタイミングを逃している、なんてことはしょっちゅうだった。何の役にも立てていないのに、カメラ目線で「ザ!世界が仰天!」と笑うだけの自分が情けなかった。そんな私に、隣に座っていた中居正広さんは、さりげなく「ばばっち」と振って、タイミングを作ってくれた。
原稿があるナレーションでさえ、絶対の正解はない、と言われる。だからこそ、難しくて、だからこそ、面白い。
ましてや百戦錬磨の人たちが多く関わるバラエティ番組は、まさに「生きもの」。時に「バケモノ」。台本はあってないようなもので、原稿を読むより何倍も難しいということを、知る。
技術だけではない、人間力が問われる仕事なのだ、と思い知る。
舌打ちをしてしまった、あの時のアナウンサーさま、ごめんなさい。
アンチ女子アナだった私は今、女子アナと呼ばれてもビクともしない。何なら50歳を目前にして、自ら女子会などと抜かしている。
女性の「あの人、すごいよね」とか「私には出来ない!」という言葉は、賛辞のようでいて、ただの嫌味ややっかみだったりすることが少なくない。もしルビを振るならどちらも「良くやるよね」、なのだ。
若い頃の私も、ぶりっ子、今で言うあざといことなど、「自分には出来ない」と思っていたし、やりたくもなかった。そもそも出来ないのだからやりたくないも何もないのだが。
他人の足を引っ張るようなことはいただけないが、何をどう頑張るかは、その人の自由で、周りがとやかく言うことではない、と今では思う。
だってみんな、一生懸命頑張っているんだもの。
このたび、こんな来し方を綴ったのも、「バラエティ」の世界をけん引してきた先輩プロデューサーの小説『全力でアナウンサーしています。』を読んだから。著者は、さすがは「バケモノ」の世界で戦ってきた方である。
今作は、キー局の女性アナウンサー3人が、社内にいる「敵」や「遅れたジェンダー問題」と闘う物語だ。
でも、これを読んだほとんどの女性アナウンサーが、さすがにこんなことはないよね、と否定するだろう。
本当にそんな人がいないからなのか、自分は違うという意味なのか。
私自身も、本当のところは分からない。
男性アナウンサーはどうだろう?
ディレクターやプロデューサーは?
そして、あなたは?
「事実は小説より奇なり」と言うが、『全力でアナウンサーしています。』に関して言えば、「小説は事実より奇なり」かもしれない。
[写真提供:AMUSE]
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