呉勝浩×有栖川有栖「だからミステリーは面白い!」――『爆弾』『捜査線上の夕映え』の核心に迫る初対談
◆有栖川作品でミステリーの面白さを知った
呉 まずは、なぜ今日、有栖川先生にお越しいただいたのか、その理由からお話しさせてください。それはひとえに、僕にとって唯一無二の方だからです。僕が小学生の頃、初めて読んだ大人向けのミステリーが有栖川先生の『月光ゲーム』でした。続けて『孤島パズル』を読み、以来、ミステリーが大好きになったんです。
有栖川 ちょっと、先生はやめましょうよ(笑)。
呉 そうおっしゃるだろうなと思ったんですが、最初だけお許しください。「何だこいつ ”有栖川さん” なんて生意気だ」と会場のみなさんに思われたくなくて予防線を張ってます(笑)。大阪の有栖川ファンは怖いんですよ。阪神ファンみたいなもので。
それはともかく、それ以来僕は文芸に限らずドラマや映画、漫画と、様々なジャンルのミステリーを読み続け、見続けてきました。途中でいったん映画に興味が移るんですが、大学卒業後に再びミステリー小説にハマり、小説を書き始めました。その時に夢中で読んだのも、有栖川先生の著作でした。結局その後、江戸川乱歩賞を受賞しデビューするんですが、なんとその時選考委員をされていたのが有栖川先生だったんです。つまり僕は有栖川さんの一ファンなんです。今日は、基本的には私が有栖川さんを質問攻めにする会になるだろうと思います(笑)。
有栖川 いやいや、今日は呉さんの「咲くやこの花賞」受賞記念のイベントなので、主役は呉さんです。呉さん、あらためておめでとうございます。実は「咲くやこの花賞」は私もいただいておりまして、受賞したのが作家デビューから六年目、呉さんもデビューして六年目という奇縁があります。違っているのは、呉さんはこれまでたくさん賞をもらっていること。「呉先生」ですよ。
呉 やめてください!(笑) さあ、さっそく本題に入りましょう。有栖川さんはずっと本格ミステリーと呼ばれる作品を書いてらっしゃいますよね。
有栖川 最近は怪談も書いていますが、基本的には謎解き小説ですね。
呉 僕は一応、ミステリーをベースにしているんですけど、いろんなジャンルにまたがっていて、自分でも統一感がないなと思います。飽きっぽい性格だからかなと思うんですが。
有栖川 飽きっぽいからというよりは、呉さんはいろんな人に会いたいんじゃない? 自分が書く小説のキャラクターって、書きながら出会っていく感じがあるじゃないですか。執筆中は、その人物とじっくりつきあって対話する。それが小説を書く喜びになっているんじゃないですか。
呉 なんていい言い方!
有栖川 いい言い方しかしないから(笑)。
呉 有栖川さんはシリーズものをお書きになっていますから、いわば同じ人とつきあい続けているわけですが、そのモチベーションはどこから来るんでしょうか。
有栖川 私の場合は「反復」がすごく好きみたいです。同じことを繰り返すことが。この人が探偵役です。事件が次々に起きて、探偵役が解決しました。次の事件に遭遇して、今度はこんな推理で解決しました—―反復しているわけですよね。探偵役が事件を解決するたびに成長して、最終的な目的に近づいていくという設定にはしていないので、ただ反復しているだけ。私はね、この「ただ反復しているだけ」に快感を覚えるタイプ。
呉 だからシリーズものなんですね。作家アリスシリーズ(火村英生シリーズ)は何年になりますか。
有栖川 一九九二年が最初ですから、三十年経ちました。
呉 三十年で主要登場人物の火村英生と作家アリスは変わったとお感じですか。
有栖川 変わりませんね。同じ人物ですから。しかも彼らは三十四歳から年を取らない。
呉 サザエさん方式ですね。三十年間も同じキャラクターを書いていると、自分になりませんか? 作家アリスは、作家で名前も同じ「有栖川有栖」ですし。
有栖川 語り手が「作家の有栖川有栖」ということにしていますから、逆にあまり自分に似ないようにしようと思ってはいます。
呉 それは意識しているんですか。
有栖川 作中の作家アリスと作者の私とでは、スペックに二つ違いがあるんですよ。彼はクルマに乗ります。私はペーパードライバー。免許を取ってから一回も乗ってなくて、一メートルも運転したことがないんですよ。二つ目は、彼はお酒を飲みます。私はまったく飲みません。飲めたほうが行ける場所が多いから便利なんですけどね。かっこいいバーとか私は入れないからね、怖くて(笑)。
ただ、やっぱり、自分と同じ名前の作家を語り手にして、私とまったく違う価値観にはできなかった。自分から遠く離すのは無理だなと思って、細部を変えることにしたんです。そういうところで違いをつくって「私じゃない」と。それと三十四歳で年齢を固定しているので、だんだん作者の実年齢と解離していく。それはいいなと。
◆初めて犯人を中心に据えて書いたのが『爆弾』
呉 登場人物と出会うというお話をされましたが、犯人は毎回違うわけじゃないですか。そのたびに新たに出会えますよね。そこでお聞きしたいんですが、容疑者止まりの人間と真犯人では、描き方とか自分の中での位置づけが違いませんか。
有栖川 難しいところですね。犯人のことを書き込みたいのはやまやまなんですけど、ほかの登場人物と差がつくと「扱いが違う。こいつが犯人だ」と読者に見抜かれるから、とぼけないと。そこはたしかに制約になっていて、「だから本格ミステリーは面白くないんだよ」という人がいるのはわかります。でも、「えっ、この人がそうだったんですか」というのは現実にあるじゃないですか。真相がわかってから、そういえば、と印象が変わったり。それはそれで人間のリアルな描写だと思いますね。
呉 僕なんか犯人とかまったく考えずに書き始めてしまうので、よく読むと犯人だけちょっと描写が多かったり、というところがあると思うんですね。それで今回、『爆弾』という作品では、問答無用で「この人が犯人です」と読者に提示してから始めようとしたんです。
有栖川 そうそう、『爆弾』は『このミステリーがすごい! 2023年版』の第1位でしたね。おめでとうございます。
呉 ありがとうございます。有栖川さんの『捜査線上の夕映え』だって第3位でしたが(笑)。
それで、『爆弾』は犯人を書くのが一番のモチベーションだったんです。犯人が中心にいて、ほかの登場人物たちをその周囲に配置していくという感じでした。
有栖川 『爆弾』はまさに犯人を書く小説です。スズキタゴサクというおっさんが逮捕されて、取調中に「これから爆破事件が起きるぞ」と言い出して、本当に事件が起きてしまう。呉さんの小説には、作中で登場人物たちが長いディスカッションをする場面がたびたび登場しますけど、『爆弾』はとくにそこに絞り込んだ感がありましたね。取調室でスズキタゴサクがクイズみたいなものを出してきて、解かないと爆弾が爆発してしまう。東京のどこに爆弾が仕掛けられているのか。この男は何の目的でそんなことをしているのか。動機すらわからない。最初から「この人物はどういう人間なのか?」という点に興味を絞り込んでいる。ということは、作者はすごく長い時間、スズキタゴサクと対話しているわけですよね。
呉 長かったですね。で、ああいう作品を書いて、難しいなと思ったのは、物語としてはスズキタゴサク的なものを否定したいわけですよ。でも、もの書きは、スズキタゴサク的なものを書く時に、解放されるものが必ずあるんですよね。小説としてもスズキタゴサクの言動がチープすぎると読者に思われたらマズいから、程度の低いことをさも深いように言わせている。
有栖川 そこは『爆弾』の読みどころです。
◆「最後の一行」を光らせたい
呉 この言葉を言ったら読者はすげえ嫌な気分になるだろうなと、書く側もテクニックを駆使するわけですよ。そんな嫌なダイアローグを書くのはどんな気分だったのか。これが楽しかったんですよ、残念なことに。
有栖川 呉さんの小説はね、けっこう胸くそ悪い場面が出てくるんですよ。なんでそこまで書くかなというような残酷な場面、嫌な展開、暴力。その時に作者が読者に「面白いでしょう?」とか、「誰でも暴れたいっていう暴力願望がありますよね?」って感じで書いていたら、本当に嫌なものを書く人だなあと思うんですけど、呉さんはそうじゃない。いま「否定したい」っておっしゃいましたけど、呉さんは小説を信じていると思う。信じているから胸くそ悪い部分を書いていても、「嫌だなあ」で終わらないんですよ。心が悪いほうに振れることもあるけど、それも含めて人間だ、と。『スワン』の冒頭のショッピングモールの無差別銃撃事件とか。『雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール』の—――
呉 そう、『雛口依子』はもっと読まれてほしいんですよ、俺としては!
有栖川 じゃあ、アピールしておこう。『雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール』。呉さんのベストスリーの一冊ですね。あれはめちゃくちゃ面白い。
呉 ほんとですか? もっと言ってください。
有栖川 最後の一行。あれは小説を信じている証しですね。皆さん、ぜひ読んでみてください。あれはすごいわ。
呉 あの作品は自分の中でも思い出深い作品で、すごく気に入っているんですよ。先ほど有栖川さんがおっしゃったように、世の中に残酷なこととか、ひどいことがたくさんあるんだよ、と書くのってそんなに難しくない。恥と外聞だけ捨てれば誰でも書けると言っても過言ではないんです。
それでもこの世界で生きることを肯定したい。そういう気持ちをどういうかたちで提出すればいいのかが難しい。そこをどう書くかが勝負所になるのかなと思うんです。『雛口依子』は僕の中でも圧倒的に下世話感があって、下品で、ひどいことがたくさん起こる小説なんですが、まさに最後の一行、その一行を説得力を持って光らせたい。そういうところから書いた小説なので、コンセプトがちゃんと実現できたなと初めて思えた作品です。
有栖川 現実は嫌悪すべきものだなんて言っていたら、生きている甲斐もないしね。かといってきれいごとだけでも絶望しますよね。「明日がある」とかお気楽に言われると嫌になるじゃないですか。今日より明日がもっと悪いことなんていっぱいあるやん。
呉 それを言っちゃあ、おしまいですよ(笑)。
◆ミステリー作家にとっての「倫理」
有栖川 明日には希望があるかもしれないんだけど、決まり文句の「明日がある」だけで片づけずにもうちょっと言い方ないかとか、まわりを固めてから言えないかとか思ったりしますよ。
呉 わかります。なんでこんなに工夫のないものを出してくるの、と思いますよね。ただ、最近、それなりに年を取ってきたせいかもしれないんですが、もっと野蛮に、自由にやったほうがフィクションの魅力が増したはずなのに、って後から思うことがけっこうありますね。自分の思想を入れすぎてるんじゃないかって。世の中をこう見てほしい、こう感じてほしい、という主張が強すぎたら、それはある意味きれいごとを言っているのと同じじゃないですか。そのバランスにいますごく悩んでいます。
有栖川 そこは悩むべきところじゃないですかね。
呉 自分が倫理にとらわれているなと思う瞬間があるんですよ。有栖川さんはどちらかと言うと倫理に踏みとどまる側の探偵を設定していますよね。学生アリスシリーズの江神二郎もそうですし、作家アリスシリーズの火村英生もそうだと思いますけど、ミステリー小説、つまり人が殺される小説を書く作家は、倫理とどう向き合うべきだと思いますか。
有栖川 小説家が倫理、倫理ってうるさいこと言うと話がつまらなくなるんじゃない? と思う方もいるかもしれませんが、価値観のアップデートが進む昨今、倫理はますます大事なんじゃないかと思っています。というのも、私、新人賞の選考委員をやってるでしょう。「これは倫理がないな」という作品が時々あるんです。
たとえば、悲惨な場面には必ず不幸がともなっていますよね。誰かが不幸になる展開って物語性を帯びるから、それだけでお話が書けるんですよ。ことにミステリーは書きやすい。でも、読んでいて「作劇上の都合から作者は不幸が三つほしかったかのようだ」と思えてしまうとつまらないんです。作者にその気がなくても不幸を道具のように使った書き方になっていたら、物語が「ただ、そういうもの」になってしまう。倫理に敏感になれないと、小説の建て付けが悪くなると思うんですよ。結果として歪んだ作品ができる。
呉 なるほど。そうですね、たしかに。
◆謎だけつくって書き始める
有栖川 呉さんは胸くそ悪い場面を書くとか言いましたけど、まだ読んでいない人にそんな人なの? と思われないように言っておくと、すごく洗練された書き手なんですよ。本格ミステリーを読んできたというだけあって、狭い意味でのトリック、アリバイをこうつくった、みたいなものも出てくるし、叙述に仕掛けがあったり、ミステリーらしいアイディアがいっぱい入っていたりする。うまいなあ、と思います。でも、あらかじめトリックを考えておいて、どう演出すればきれいに見えるかという書き方ではないらしい。お話が勢いで進んでいく中で必然的にトリックが浮かぶんでしょうね。
呉 うーん。ちゃんと浮かんでいるのかがわからなくて。僕はほぼすべての小説をプロットをつくらずに書いているので、トリックがまずあって、それを生かすために小説を書くという順番にならないんですよね。
謎が最初にあってほしいとは思っていて、つかみになる謎なり事件なりは用意するんです。でも、最初の事件が起こった段階では何のトリックも考えていないし、真相も考えていないんですよ。なんとかこの物語を面白くしたい。そう思って書いていくと、はい、謎が解けなくなっていくんですね。
そこでマズいなあ、となるんです。これは解けんぞと。頭をフル回転させるんですけど難しい。これまで二回かな、明日こそ編集さんに電話して「この作品はやめます」と言おうって、夜歩きながら思った記憶がありますね。
だから連載はできないですね。怖すぎて。だってどうするんですか、最後まで謎が解けなかったら!
有栖川 呉さんは、まじめ。
呉 小心者なんです(笑)。有栖川さんはどこまで考えてから連載を始めます?
有栖川 頭のなかで七割、八割はできてないと一枚も書けない。書き出せないんですよ。とりあえず書き始める、は私の場合は困難ですね。呉さんはたぶん、一割二割で突っ込んでいったりするでしょ。
呉 行きますね。企画だけで突っ込んでいきます。
有栖川 それはかっこいい。まったく違う書き方です。
呉 違いますね。だから本格ミステリーにはならない。ずっと好きで、書きたいという気持ちがあるにもかかわらず。
有栖川 本格ミステリー、書いてるじゃない? 『蜃気楼の犬』なんか本当によくできた本格ですよ。
呉 確かにあれは、僕の中で一番本格っぽい作品ですね。あれ、第一話が乱歩賞の受賞後第一作だったんですよ。デビュー作が本格ミステリーとはぜんぜん違う作品だったので、本ミスを書けるところを見せようと気負って書いたんです。でもあれも、死体が発見される場面から始まるのに、その先のことを何も考えてなかった。
有栖川 うっそー。
呉 何も。どうしようと思って。
有栖川 すごいね。あれはいい短篇ですよ。
呉 なんとか書きましたけど。締切があったからですね。いまはもう採用していない「締切」という制度がまだあったんで。
有栖川 採用していない(笑)。呉さんのなかではね。「弊社では締切というものを採用しておりません」(笑)。
◆感情を刺激するミステリー
呉 有栖川作品は反復には違いないんですが、時折、理詰めのロジックじゃない部分がどばっと出てくることがあって、それがまたいいんですよね。怒りがぼろっと出てきたり、抒情がほとばしったりする瞬間があって。理詰めの作品を書き続けている方の作品だからこそ、不意にナマの感情に出会った時に感動するんです。
『絶叫城殺人事件』なんかそうですね。作家アリスがものすごく怒りを表明する場面があって、僕は読んでいて胸ぐらをつかまれた気持ちになって、それがたまらない。有栖川さんにしかできない感動のつくり方だと思います。
有栖川 心に留めておきます(笑)。
呉 『ブラジル蝶の謎』に入っている「蝶々がはばたく」はまさにそういう作品ですし。それはやっぱり作家が積み重ねてきたものの力だと思います。
有栖川 本当に反復しているだけだったらもたないですから。反復しながら何ができるか。反復していると、隙あらば違うことをやろうという思いが湧いてくるというのはあると思います。
呉 僕は、『暗い宿』に入っている「ホテル・ラフレシア」も大好きですね。
有栖川 ビターな読み味ですけど、あれがいいっていう人もたまにいますね(笑)。
◆有栖川さんの世代を描いた小説
有栖川 呉さんの小説の話をもっとしましょう。呉さんの小説は「今回はこれが狙いか、こうきたか」と思わせてくれるんですが、『おれたちの歌をうたえ』だけは、私のなかでうまく消化しきれないところがあった。というのは、主人公が一九五九年生まれ。私と同じ年齢なんですよね。主人公は六十歳くらい。書いた頃呉さんは四十くらい?
呉 ちょうど四十歳でしたね。
有栖川 四十の大台に乗った感じが書かせたのかな。発売前に関係者やマスコミに配るプルーフという校正刷りがあるんですが、そこに、これまでの道のりを振り返り、これからさらに二十年生きたらそのとき自分はどんな後悔をしているだろう、と作者の言葉を寄せていたのを覚えています。つまり、二十年後の自分のことを考えながら、現実の六十代に投げている。
主人公には高校時代に「栄光の五人組」という仲間がいて、そのうちの一人が亡くなった。その男は金塊を隠し持っていたという。その謎を追っていくうちに、過去のことが思い出されて、現在と行ったり来たりするというストーリーです。
まずタイトルに違和感があった。私の世代は「おれたち」を始めとする一人称複数形が好きじゃないんですよ、「おれの歌」ならいいんだけど。肩組んで歌ったりは苦手。作中、まさかみんなでビートルズなんて歌わないだろうな、と警戒したわ。私の神はピンク・フロイドで、軽音はみんなディープ・パープルをやっていて、クイーンやエアロスミスのレコードを教室で貸し借りした世代だから。しかも学生運動の話が出てくる。それって団塊の世代の話じゃんと思って、「呉さん、これは外したな」と思った。そうしたら『青春の殺人者』という映画が出てくる。長谷川和彦第一回監督作品、水谷豊主演。呉さんにとって思い入れがある映画なんですか。
呉 ないです。この話を書くために観ました。
有栖川 まじか。私にとっては特別な映画なんですよ。タイトルが出てきただけで突き刺さった。
呉 失敗したな……。
有栖川 しかもよ、作中に「イエロー・センター・ライン」の歌詞が出てくる。
呉 『青春の殺人者』の主題歌だったので使っただけです。
有栖川 映画の中で、ゴダイゴの曲が何曲も使われていました。それも「ガンダーラ」とか「モンキー・マジック」が大ヒットする前のファーストアルバム、『新創世紀』からの曲が。ゴダイゴの音楽はいまも頭の中で鳴っている。歌詞はすべて英語だけれど、「イエロー・センター・ライン」だけでなく、映画で使われている曲はほとんどフルコーラス歌える。最後に流れた曲、覚えてる? 「IT’S GOOD TO BE HOME AGAIN」。あれ聴くとね、今も何回かに一度は泣きそうになるんですよ。
呉 主人公と同じ歳ってことは、『青春の殺人者』を高校の頃に見たんですか?
有栖川 そうです。あの小説で描かれていた子たちは長野県上田のあたりで育っている。ちょっと田舎の子たち。街育ちの私からすると同世代でもぜんぜん違うんですよ。だからそのギャップもあって『おれたちの歌をうたえ』は、私の世代のことを書いているようにはあまり感じられなかった。
ところが、一人が「イエロー・センター・ライン」をカラオケで歌うねん。この世代を象徴していると私を含めて誰も思っていない歌を。「呉さん、恐ろしいやつだな」と思いましたよ。しかも有栖川有栖の本が出てくる。どうでもいい場面にぽんと。作者名は書いていなくて、知ってる人はわかるやろ、みたいな感じで。どうです、刺さりましたか、と作者に問われた気がして、「おいおい」と狼狽した。
呉 『おれたちの歌をうたえ』は難しい作品だったんですよ。おっしゃる通り、「団塊の世代」の下の、団塊じゃない世代、つまり「そうじゃない世代」を書こうと思ったんです。
有栖川 「団塊の世代」の下の私たちは「シラケ世代」ですよ。
呉 そうなんですけどね。僕はあの作品を書いたときに、自分たちは「そうじゃない世代」に属している、と思っている人たちを書きたかったんです。自分自身がそういう世代だと思っているんですよ。バブル世代の後だということもあるし、思春期の頃にあった二つの大きな事件—―酒鬼薔薇事件とオウム真理教事件—―と、自分の距離感が気になっていて、自分はそこにいなかったなあ、と思っているんですよね。藤原伊織の『テロリストのパラソル』をその頃に読んで、全共闘世代に歪んだ憧れが生じたこともあって、その下の世代と自分の世代とを重ねてみたくなったんです。
有栖川 わかる気もするけど、シラケ世代は全共闘世代に対するあこがれをいちばん持ってない世代です。言うたらあれですよ、サッカーワールドカップが終わった後ですよ。大きな祭りが終わった後。醒めた目でゴミが散らばるスタジアムを見ていました。
呉 『おれたちの歌をうたえ』では上の世代に対する幻滅も書いたつもりなんですよ。団塊の世代の下の世代に、ああいう主人公たちがいてもおかしくなかろうと思って書いたので。そういう意味ではいちばんチャレンジした作品ですね。
有栖川 学生運動の余熱、余波が下の世代に伝わっている部分もあるだろうから、あの主人公たちはそうだったと考えれば、もちろん小説としておかしくはない。でも、その世代は上の世代を自分たちから切り離したがり、シラケ世代と呼ばれた幻滅の世代にあたる。社会に対する幻滅から先に進み、別の何かを築けなかったことがこの世代の罪だと思うんですよ。自分たちの世代は何をしたのか。「あなたは何をしたの?」「あれ以来、時代に流されたりしながらずっとシラケてました」。それって罪ですよね。
それはともかく、別の世代に、四十歳の自分が思っていることを託すというのは大変なチャレンジだったと思いますよ。
呉 いま振り返ると、難しすぎたなと思う部分もたくさんありますね。『おれたちの歌をうたえ』は自分と距離のある登場人物を描き、自分が実感できているという確証がないテーマを扱おうとした。チャレンジだったし、冒険だったなと思いますね。でも、だからこそ、ぜひ、読んでほしい作品です。
有栖川 読んでみてほしいですね。そしてゴダイゴの「イエロー・センター・ライン」を聴いてほしい。
◆「ミステリーって面白いよね」をあらゆる角度から示したい
呉 有栖川さんが最近、これはチャレンジしたなという作品はありますか。
有栖川 最新作の『捜査線上の夕映え』ですね。アリバイ崩しの話なんですが、トリックがわりとどうでもいい(笑)。
あれ、いいトリックだったらダメなんですよ。そう思いません?
呉 答えづらいですけど(笑)、びっくりするようなトリックだったら何かが損なわれるということですよね。
有栖川 すごいことを考えたね、盲点を突きましたね、というトリックを使うと、あの話の場合は失うもののほうが大きい。その兼ね合いですね。派手なトリックがない代わりに犯人がどういう人物だったかとか、ドラマが浮かび上がってくる。若い時にはできなかったと思います。
呉 比重があると思うんですよ。人間を描くことに重きを置くか、あくまでも謎解きをメインにするのか。とくに本格ミステリーの場合、犯人の内面を描けないという制約があるじゃないですか。『捜査線上の夕映え』に関しては、本格ミステリーの驚きよりも、小説としての驚きに比重があるんじゃないですか。
有栖川 でも、本格ミステリーだから書けた。だから、あくまでも本格ミステリーなんですよ。
呉 ドラマのほうに体重が何グラムか多く載ってるな、とは思っていませんか?
有栖川 比重は作品ごとに違う。でも、どっちに体重が多く載ったとしてもミステリーなんです。ミステリーが好きで、ミステリーって面白いよねってことを表現したいというのが作家としてのベースだから。ミステリーにはこんなにいろいろな面白さがあるというのが出せたらいいかなと。そこは呉さんと一緒でしょう。
呉 そうですね。面白いものを書いて、読者に面白く読んでほしい。作家にとってそれしかないと言っても過言ではないですからね。
◆会場からの質問タイム
呉 さあ、ここからは今日会場にいらしているみなさんからの質問にお答えしていきましょう。
Q 呉さんにお尋ねします。自分と主人公の年代や性別が違う時にどうやって主人公の気持ちを思い浮かべますか。
呉 これは難しくてですね、僕はもう半分以上あきらめていますね。というのも、女性の登場人物を出して、これが女性の気持ちなんだ、と書くことはできないし、それをやれてると思っている自分が怖すぎて。ヘンに勘違いして「わかってる」と思って書くことが怖いんです。なので、自分より二十歳くらい上の世代を主人公にした『おれたちの歌をうたえ』は挑戦でしたね。書く時には「この登場人物は」というエクスキューズを必ずつけます。「この登場人物はこういう考え方をする」と考えることで、自分を納得させますね。
Q 有栖川先生、先生は霊感が強いのでしょうか。
呉 濱地健三郎シリーズの読者の方かな。
有栖川 霊感はまったくないです。幽霊はいないというのが現実認識のベースにあります。死んだ人は生き返らない。そういう世界だから探偵や推理小説が必要なのかなと思います。もしも幽霊がいたら、という発想で怪談も書いていますが、それは、人間は幽霊がいるって考えたくなったりするよね、ということです。
Q 呉さんに質問です。『爆弾』というシンプルなタイトルにした意図は? ほかにタイトル候補はありましたか。
呉 いろいろありました。でもぜんぶダメでしたね。一つ、これでいきたいというのがあったんですが、四方八方から止められました。
有栖川 後学のためにぜひうかがいたいですね。
呉 永遠に封印したので、公表できません(笑)。ある編集さんからは「そのタイトルで売れたら自分の編集人生の否定だ」とまで言われました。タイトルはいつも悩みますね。『スワン』もずっと仮タイトルで、それが結局タイトルになりました。
有栖川 タイトルを決めないまま書くんですか?
呉 仮タイトルはつけるので、だいたい仮タイトルがそのままタイトルになります。『爆弾』もそうです。そういう意味では完成してから決めることは滅多になくて、『雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール』だけですね。あれだけは最後になんとかひねり出しました。
Q お二人にお尋ねします。海外に旅行して印象的だったところはありますか。
呉 海外旅行、行ったことないんです。唯一子供の頃、韓国に親が連れて行ってくれたらしいんですが、三歳くらいだったので覚えてません。
有栖川 興味ない?
呉 ものぐさなんです。パスポートを取るのが面倒くさくて、持ってません。
有栖川 私は、印象的だったのは、二〇一九年の七月の旅ですね。ロシアに行ったんです。サンクトペテルブルグとモスクワに行っただけですけど。ドイツ製の新幹線に乗る時、荷物検査があってものものしい雰囲気でしたね。この国はテロを恐れ、戦っているんだなと肌で感じました。それで……。
呉 有栖川さん、もう時間です。そんな面白い話、残り二分のタイミングでしちゃダメですよ!
構成:タカザワケンジ
写真提供:大阪市
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