オンラインゲームで出会った“ヒーロー”に憧れ、日々成長する息子。その頼もしい背中が、僕にこの物語を書かせた――冲方丁ロングインタビュー
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◆小学生の息子がゲームで出会った“ヒーロー”
——新作『マイ・リトル・ヒーロー』は、交通事故で意識不明状態の中学二年生の息子から、オンラインゲーム内でメッセージを受け取った父親、朝倉暢光の物語です。執筆のきっかけはどこにあったのですか。
冲方 数年前、当時小学六年生だった息子にオンラインゲーム「フォートナイト」で、ボコボコに負かされたんです。僕は昔オンラインゲームをやりこんでいた時期がありましたし、ゲームのシナリオ開発もしていましたから、ゲームには結構自信があったのですけれど。同じチームになっても足手まといになってしまうし、全くついていけなかった……。
その時、息子の成長を強く感じました。ゲームというのはスポーツと同じで、トライ・アンド・エラーのやり方を学んだり、自分で必勝法を学んで応用していくなど、人生そのものなんだなと思いました。
それに、息子のプレイスタイルが紳士的で格好良かったんですよ。プレイが下手な僕でも、ちゃんとバトルが楽しめるように配慮してくれていたんです。そんな振る舞いをどこで学んだのかと尋ねたら、“やさプレイ”をしてくれたプレイヤーに憧れているのだと。以前、上手な大人が優しいプレイで息子を助けてくれたらしくて。相手は有名なプレイヤーだったようで、後日また出くわしたら今度は瞬殺されて、格の違いを感じたと。それを聞いた時、ゲームは教育に近いなと思いました。
それで息子に「ずっとゲームをやってていいよ」と言っていたら、すごく頑張ってランキングでかなり上位に食い込んだそうです。もうやりきって満足したようで、今はまた違うことにトライしていますけれど。世間では子どものゲーム依存を心配する声もありますが、あのとき中途半端にゲームを止めなくてよかったなと思いました。
——作中にも登場しましたが、ゲームの“やさプレイ”というのは面白いですね。
冲方 他人と空間を共有するとはどういうことなのか、それを教えてくれたんでしょうね。圧勝して悦に入るという段階を通り抜けた人たちが、ゲーム空間全体をもっと楽しい場にしようとして、自身にハンデを背負わせて弱いプレイヤーのために尽くす。息子から“やさプレイ”の話を聞いた時、それってヒーローじゃないかと感動したんです。今作では、そういうヒーローのロールモデルを提供したいと思いました。
ロールモデルとなるものを書こうと思ったのは、『天地明察』以来ですね。『天地明察』では僕個人のロールモデルになる人物を書いたのですけれども、今回はより広い、自分もこういうふうになりたいね、と言ってもらえるような、みんなにとってのロールモデルを提示できたらと思いました。
◆息子が父を導いて、一緒に成長する
——暢光は暢気で騙されやすい性格。詐欺にあって事業に失敗、妻の亜夕美とは離婚し、子どもたちは亜夕美と暮らしています。一発逆転の成功を夢見がちな暢光に関しては、どんなイメージがありましたか。
冲方 亡くなった父親が貿易商として成功していたことが、彼のなかである種のコンプレックスとトラウマになっているんですね。いつでも親と張り合おうとして、自分の適性に目を向けずに、親はこうしたから自分は逆の道を行く、などと考えてしまう。
暢光がなぜ失敗し続けるのかというと、自分が主人公になりたいからですよね。彼をこういう人物にしたのは、SNSがもたらした「みんなが主人公になれる」という巨大なフィクションに対するカウンターを用意したかったからなんです。
ネット空間において、確かに自分の意見を発信することは容易になりましたが、だからといって当然自分の意見に世界が従うわけではない。自分が輝きたいなら誰かを輝かせることにも貢献しないと、ネット社会はいつまでたっても成熟できない。それで、主人公になりたがっている駄目な父親が、息子のために尽くすことにより、結果的に本来の自分の適性に目覚めていく、という物語を書こうと思いました。
——息子の凜一郎を助けるために、暢光は彼と一緒にオンラインゲームの世界大会に参加することを決意します。
冲方 父が子を導くだけではなくて、子のほうも父を導いて、一緒に成長する物語にしようというコンセプトがありました。頑張っているけれども空回りしている大人と、純粋に頑張ろうとしている子どもの組み合わせで、努力するとはどういうことかを書こう、と。
——大会に参加するためにはチームを結成することが必要で、暢光はさまざまな人に協力を求めます。家族だけではなく、凜一郎の入院先の医師や、凜一郎を車で撥ねたカップル、かつて自分を騙した元詐欺師の裕介にまで声をかけていく。
冲方 チームの人数が多いとゲームプレイの描写が大変になるぞ、とは思ったんですけどね(笑)。凜一郎に親友がいると世界が広がるなとか、妹もいたほうがよいだろうなとか、シングルマザーの娘を助けるおばあちゃん、利害の真っただ中に立つ年配の弁護士も一緒にゲームをしたら面白いだろう、なんて構想が膨らんでしまって。
なんといっても、異なる世代が合流するお話にしたかったんですよね。テクノロジーによって各世代の常識が大きく分断されてしまった世の中で、もう一回一体感を取り戻す物語が必要なのではないかと思いました。だから、一人も外せなかったですね。
——暢光が、凜一郎を車で撥ねた善仁君にゲーム内で運転をお願いするところなんかは、周囲もちょっと引いてますね(笑)。
冲方 暢光も、事故を起こした善仁君に対してさすがに最初は怒るけれど、本気で謝罪されると一瞬で許してしまう。暢光は、相手の側になって考えることができる、想像力豊かで、同時に無頓着という、非常に稀有な人格なんですね。「目には目を」という発想をまったくしないところが良いなと思っています。「目のことは目のことでいいから、これお願いできる?」みたいな(笑)。しかも、強要していないんですよね。「こんなに迷惑をかけたんだから、これくらい恩返ししろよ」なんて言わない。暢光を書いていて、人徳のある人は、周囲にチャンスをあげられるんだなと合点がいきました。
だから彼は、事故を起こした人間はもう二度と運転してはいけないという発想もしない。なぜかというと、そんなのは誰にでもありうることだから。
現代では、何か問題が起こると誰かのせいにして、その人を社会から退場させれば問題は解決する、という風潮が強まっている。このことは非常に危険だと感じています。
この小説は、被害者と加害者が和解する物語でもありますね。被害者か加害者か、というのは状況のある一面にすぎないのに、SNSではその関係を固定して、対立を恒久的なものにしがちだと思うんです。でも、こういうふうにすれば対立は解消できるものだし、解消したほうがよい、というメッセージをこめたかった。だから、息子を撥ねた善仁君とその彼女の美香さんや、過去に暢光を騙した裕介君にもチームに参加してもらいました。
——チームのメンバー全員がいい味を出しています。途中から出てくるマシューという有名プレイヤーも重要な存在ですね。
冲方 経験豊富な大人のプレイヤーが子どもを蹴散らす話にはしたくなかったんです。世界トッププレイヤーであるマシューも、正々堂々と、健全な競争心で凜一郎たちと闘う。
結果的に、悪い人が出てこない作品になりました。エンタメ作品は悪い人を出しがちですし、いま、特にネット社会において絶対的な悪や敵を作ってしまう風潮が強いですが、本来、ひとはそこまで互いに敵対しあう必要なんてないのに、と思っていて。だからこそ、人間は善意に則って行動できるのだということを書いておきたかったんです。
◆それぞれの持ち場で戦えるのがゲームの面白さ
——全体的にコミカルなテイストで、思わず笑ってしまう場面もあります。
冲方 意識してそうしたわけではなくて、これは主人公の暢光の引力によるものですね。彼と一緒にいるだけで、みんながちょっとコミカルになっていく。その人たちの素が出てくるというか。暢光って、基本的に相手が言うことを否定しないんですよね。だから周りがどんどん素直になり、オープンになって憎めない空間ができあがるのではないかな、と思います。
暢光っていわゆる駄目な人ですけれど、彼の性格については誰も否定していないんです。「暢気なのが悪いわけではないけど……」みたいな言い方をされている。
本当に駄目な人って、家族の金を平気で盗んだりと、邪悪になっていく。暢光はそうではなく、社会と自分をうまく嚙み合わせる方法を見つけられていないだけ。自分が持つ一部の願望ばかり追い求めてしまうのが難点である、というだけ。今回、邪悪ではない駄目の書き方がつかめた気がします。
——彼らが参加するゲームにはモデルがあるのですか。
冲方 何種類かのゲームの面白いところを混ぜました。「フォートナイト」と「コール オブ デューティ」、「荒野行動」といったバトルロイヤルゲームに、「マインクラフト」の要素も加えています。ゲーム内のマップの構成や、特定のキャラクターを選ばないと特定の乗り物に乗れないといったルールは僕のオリジナルです。1チーム12人という設定は、おそらく現行のゲーム・システムだとなかなか難しいとは思いますが、将来実現したら楽しそうですね。
また、マシューが選択する剣豪のキャラクター「ソードマン」は、通常のバトルロイヤル方式のゲームにはほとんど登場しないんです。この「ソードマン」のイメージは、「モンスターハンター」から借りました。
——小説でゲームのプレイの状況を書くのは大変ではなかったですか。
冲方 そうなんですよ。誰がどこにいて何をしているのか、そして何をすると得で何をすると損なのかを全部書かなければいけないので、そこは結構チャレンジでした。でもこれまでにもアクションシーンを書いてきたので、その経験が下地になってくれたなと思います。
連載中はゲームをわかっている人向けに書いてしまったので、単行本にまとめる際に、かなり説明を増やしました。ゲーム初心者の担当編集さんにわかりづらいところを指摘してもらい、ゲームをやったことがない人でも楽しんでもらえるように改稿しました。
——芙美子さんや武藤先生のように、ゲーム初体験の年配の人もチームに参加して、頑張ってくれるところがよかったです。
冲方 反射神経という意味ではどうしても若者に勝てないですし、プレイヤーとしてのピークは10代から20代だと言われています。それでも、ゲームの中ではそれぞれの役割を持って、お互いに支え合い、助け合える。テクノロジーの発達で世代間の対立が顕著になっている今だからこそ、どの世代もお互いを尊重し合って持続する未来を予感させたかったですね。
◆トッププレイヤーのトレーニングから学ぶ
——凜一郎君はゲームの世界の中にずっといることもあり、ひたすら訓練して強くなっていく。ズルをせず成長しようとする姿に健全さを感じました。
冲方 ご都合主義になるのはよくないと思い、そこは頑張って描写しました。たとえば凜一郎がうまくいったプレイだけ録画して繰り返し見るというシーンは、リアルスポーツのトッププレイヤーのトレーニングを参考にしています。失敗したことばかり振り返っていると、その時の癖がついてしまうそうです。他にも、視野を広げる方法など、実際のeスポーツのノウハウからもピックアップしていきました。
——暢光が対戦前にラジオ体操をするのも、確かに有効だなと思って。
冲方 体がこわばると頭の反応が鈍くなりますから、準備運動はとても大事らしいです。暢光が大会の真っただ中でラジオ体操をする場面は書いていて楽しかったですね。
——一連の出来事を通して、ただやみくもに成功を求めていた暢光が、働くこと自体が純粋に楽しいのだと気づくのも印象的でした。
冲方 職業選択の自由って本来、自分が生きがいを持てること、楽しいと思えることを選べることだと思うんです。そこに気づかないと、巨大なマネーゲームにからめとられ、うまい儲け話ばかり追い求めて空回りしてしまう。自分が何を楽しいと思うかがわかった暢光が最後に、なにをどう選択するのかも書いておきたかったことですね。
暢光だけでなく、チームのみんなが成長してくれました。「お前まで成長するのか」という人まで成長したのは、嬉しいサプライズでした(笑)。
——こうしてオンラインで人と協力し合ってゲームしたり、世界大会があったりと、ゲームの世界もずいぶん変わりましたよね。
冲方 僕がゲーム業界にいた十数年前には「いつかこうなるといいね」と言われていたことが、ようやく技術的な問題をクリアし、実現しつつある。異なる文化同士の交流や教育の側面など、ゲームの社会的な意義が認められはじめているのは嬉しいですね。
一方で、ゲーム業界もまだまださまざまな問題を抱えているので、そこもさらっと書いておきました。僕が某ゲーム会社で働いていた時はコンプライアンスがめちゃくちゃだったし、ガバナンスも無きに等しかった。
——作中でもゲーム会社のとんでもないCEOが出てきますよね。他にサーバーの問題や、著作権の問題なども、なるほどと思いました。
冲方 昔はもっと野放図で、平気でデザインをパクったりしていましたしね。まだまだ新しいテクノロジーなので、ルール作りが追い付いていなくて、今もさまざまな問題をどう解決すればよいのか、みんなで議論している最中なのかなと。
今後、新たな問題だって出てくるでしょう。たとえばeスポーツ大会の賞金の額や、集まるお客さんや同時視聴する人の数が桁違いになっていくと、賭博に利用されかねない、とか。でも参加人口が増えれば問題もどんどん可視化されていきますし、可視化されるということは解決可能になっていくということなので、それは希望でもありますよね。
——技術面でも著作権などのルール面でも、ゲーム界はまだまだ変化していくんですね。
冲方 ファミコン時代が黎明期だとすると、オンラインゲームのプレイヤー人口が一気に増えた今は勃興期だと思います。
今回の作品で敢えて出さなかったのはVRです。僕もやってみたことがありますが、VRゲームはまだまだ進化の途中という感じがします。視覚と聴覚をすべて電子情報に委ねてしまう世界は未知なので、今作ではそこまでは書かないことにしました。
◆変化する社会の中で、作品を届ける意味
——冲方さんの息子さんはこの作品をもう読まれたのですか。
冲方 息子は今高校生なんですが、先日はじめて「お父さんの作品、なにから読んだらいい?」って訊かれたので、最近刊行された『骨灰』を渡しました。それと、『天地明察』も。
今回の作品を読ませるのはやや恥ずかしい(笑)。こういう感情は今まで味わったことがなかったのですが。暢光というキャラクターは僕そのものではないけれど、子どもに対する想いなど、あまりにストレートな気持ちで書いているので、ちょっと照れ臭いんですよね。もうちょっと大きくなったら読んでほしいです。
——冲方さんからは、その時代に伝えたいメッセージを作品にこめる、という思いを強く感じます。
冲方 作家としてのキャリアを重ねるうちに、誰かに認めてもらおうとか自分を成長させようとかいうモチベーションよりも、微力でも、どうしたらこの社会をよくできるだろうか、というところに気持ちがシフトしてきています。
昔は出版業界のことしか見えていなかったのですが、もっと大きな社会や世界に目が向くようにもなりました。これからの社会がどうなるのか、どうあるべきなのかをもっと考えなければいけない。
他人と協調して生きていける健全さや、ひどいことに直面してもそれに呑み込まれない免疫力を、作品を通して提供できたらと願っています。そのためには、試行錯誤を続けるしかないですね。
——その時、こうした物語は書きたくない、と思うものは。
冲方 今は現実における絶望感が強いですよね。人はこれほどのパンデミックの中でも戦争をするのか、とか。個人の問題ではなく、社会的な構造として、人間のどうしようもない愚かさが露わになっている。その結果生まれた暴力や差別や偏見を増幅するようなものは、書いてはいけないし、自分は一生書かないと思います。
——ひとつの小説に取り組んでいる間に、時代が変わったと感じることは?
冲方 最近はしょっちゅうですね。コロナ以降、それぞれの正義の押し付け合いがひどくなったような気がしますし、ロシアのウクライナ侵攻によって、人々の平和や自由に対する考え方がまた大きく変わりました。人々の倫理を問う時に、前提にしなければいけないものが増えましたよね。だからこそ、小説を書くうえで、まったく気が抜けません。
そうは言っても、変化が豊富ということは日々題材がたくさん生まれているともいえますので、社会の変化の良い面をちゃんと取り入れて物語を作っていきたいです。
——今後のご予定は。
冲方 二〇二五年くらいまで決まっています。早川書房さんでやっている「マルドゥック」シリーズの連載はしっかり完結までもっていきますし、映画やゲームのシナリオの仕事もあります。「剣樹抄」シリーズの三作目を書き上げたところなので、二〇二三年度中には単行本が刊行されます。『アクティベイター』の続篇も書く約束をしていますので、それもやらないと、ですね。
撮影:今井知佑
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