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夢枕獏「ダライ・ラマの密使」序章 #001

シャーロック・ホームズが登場する異色冒険譚。序章を公開

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 チベットは厳重なる鎖国なり。世人呼んで世界の秘密国と言う。その果たしてしかるや否やは容易に断ずるを得ざるも、天然のけんによりて世界と隔絶し、別に一乾坤けんこんをなして自ら仏陀ぶっだの国土、観音の浄土と誇称せるごとき、見るべきの異彩あり。その風物習俗の奇異、耳目じもく聳動しょうどうせしむるに足るものなきにあらず。童幼聞きて楽しむべく、学者学びて蘊蓄うんちくを深からしむべし。これそもそも世界の冒険家が幾多の蹉跌さてつに屈せず、奮進する所以ゆえんなるか。

 のこの地に進入せしは勇敢なる冒険家諸士になろうて、探検のこうまっとうし、広く世界の文明に資せんとの大志願ありしにあらず。仏教未伝の経典の、かの国に蔵せられおるを聞き、これを求むるの外、他意あらざりしかば、探検家としての資格においては、ほとんど欠如せるものあり。探検家として余を迎えられたる諸士に十分なる満足を供するあたわざりしを、深く自らうらみとす。

『チベット旅行記』河口慧海(かわぐちえかい)(講談社学術文庫)「序」より

 ロンドンでのことの運びは、ぼくが思ったようにはゆかず、モリアーティ一味の裁判は、もっとも危険な連中を二人、つまり、ぼくをいちばん執念ぶかくねらっているやつらを、野放しにする結果におわってしまった。だから、ぼくは二年間チベット旅行に出かけ、ラサへ行ってダライ・ラマと数日をともにすごしたりして、なかなかおもしろかった。シーゲルソンと称するノルウェー人のおどろくべき探検旅行のことは、君もなにかで読んだかもしれないが、読みながら、じつはこれが親友の消息だとは、まさか思ってもみなかっただろう。ぼくはそれからペルシャを通過し、メッカに立ちより、カルトゥームで回教教主カリフとみじかいが興味ある会見をして、このことは外務省へ報告を出しておいた。

『シャーロック・ホームズの生還』コナン・ドイル(創元推理文庫、阿部知二・訳)
/「空家事件」より

序章 1

一九〇一年三月七日——楼蘭ローラン

 ああ——なんという運命のもとにわたしはいるのだろう。
 今のわたしほど、身近く至福に寄り添われている人間が、この地上にいるだろうか。
 わたしの眠っている天幕をしんしんと押し包んでくる夜の砂漠の静寂を、わたしは、母の心音に耳を澄ます胎児のように聴いている。わたしが今、横たわっているこの砂の下に、古代の王国が眠っていようとは、いったい誰が想像できるだろうか。

 昼の熱気が、砂の内部に残っていて、その温もりが、背から届いてくる。わたしは今、砂漠という、わたしの愛してやまない母の胎内で眠りにつこうとしている。この温もりは、わたしの母なる大地、中央アジアの温もりだ。   
 わずかに吹く風が、静かに天幕をゆすっているが、その音は、静寂をいっそう深めるばかりである。

 外で、駱駝ラクダが身動きするたびに、駱駝が首から下げた鈴が音をたてる。この快い鈴の音に、天幕の中で耳を傾けているというのは、なんという贅沢であろうか。
 初めて、この中央アジアの高原を訪れた時から、これまでこの音を、わたしは、幾夜にわたって耳にしたことだろう。

 この音に誘われて、ある夜、わたしは天幕の外へ抜け出したことがある。
 砂漠の夜の空には、ストックホルムの街しか知らない人間にとっては、驚愕するほどの数の星が出る。これだけの量の星が、天にあったのかと圧倒されてしまうほどだ。天のいただきから地平線すれすれの空まで、びっしりと同じ量の星がさざめいているのである。

 そのような星空の下を、何十頭もの駱駝の群が、足音もたてずにしずしずと移動してゆくのを、そこで、わたしは見たのだった。カシュガルの綿花を積んだ、駱駝のキャラバンであった。予定が遅れ、それを取りもどすための夜の行軍であったのか、それとも、一刻も早く目的のオアシスへたどりつこうとしているのか、それはわたしにはわからなかったが、この晩に見た駱駝のキャラバンほど美しい神秘的な光景を、わたしは他に知らない。
 聴こえるのは、駱駝が首から下げた、鈍いが、澄んだ無数の鈴の音だけである。
 なんと荘厳な、気高い足取りで駱駝は歩くのだろう。
 あの時から、駱駝は、わたしにとって、聖なる砂漠の動物となったのだった。

 天幕の中に聴こえてくる、単調な鈴の音は、わたしを眠りにひきずり込んでゆく最良の音楽である。
 かつて、この鈴の音と共に、わたしはタクラマカン砂漠を横断したことがある。
 そのおりは、この鈴の音が、我々を死の淵へと導いたのである。キャラバンの隊員のほとんどが、喉の渇きのため、屍体となって乾いた砂上に伏した。生き残ったのは、わたしと従者のただふたりであった。

 同じ鈴の音を聴きながら、モンゴルの草原や、北シナの大地も、わたしは旅したことがある。
 長い旅の途上にあって、わたしは、常にこの朗々とした音楽と共にあった。
 わたしの心の底に、今、その鈴の音は棲みついてしまっている。

 故郷の、なに不自由のない柔らかなベッドの上で眠っている時も、何度となく砂漠の夢を見、この鈴の音を耳にすることがある。胸が熱くなって、寝台の上で眼を覚まし、そこが自分の家の自分の部屋であることを知って、啞然となる。鈴の音は聴こえてはおらず、その淋しさに呼吸さえも苦しくなってしまいそうになる。そして、つい今しがたまで夢の中で聴こえていたはずの鈴の音をなんとか聴こうとして、わたしは、思わず闇の中で耳を澄ませてしまうのだ。

 それが夢であったことを知った時の、落胆、焦燥は、いかばかりであったろう。
 ふいに目覚めた夜の寝台の上で、わたしはどれほどこの地にこがれたことであろう。だが、今、わたしはまぎれもなく、中央アジアの大地の上で、星をいただいて、天幕の中で横になっているのである。

 わたしの胸には、あの鈴の音が常に響いている。
 ストックホルムにいる時、わたしは何を耳にしてもこの鈴の音を思い出してしまうのだ。教会で葬儀の鐘が鳴れば、砂漠の風を思い出し、砂漠の彼方かなたに見える、雪を戴いた山々の神々こうごうしい姿を脳裏に描いてしまうのだ。

 わたしにはわかっている。
 いつかは、このわたし自身の意識や肉体も、その教会の鐘か、砂漠の鈴の音の響きに見送られ、人々が死と呼ぶものの中に運ばれてゆくのだということを——。
 その時までに、わたしは何度この地を訪れることができるだろう。

 二度目の中央アジアだった。
 今回の旅の目的は、前回にゆけなかった、中央アジアの様々な土地への探検であった。タリム川をボートで下り、タクラマカン砂漠を横断してチベットに向かい、最終的には、チベットの首都であるラサに入るつもりだった。

 この旅のため、わたしが、祖国に別れを告げてバルト海を渡ったのは、一八九九年の六月二十四日、ヨハネ祭の時である。
 故郷の友人たちや、わたしの知っている街の風景と、次に会うことができるのは数年後であった。いや、もしかしたら、二度と彼らと会う機会はないのかもしれない。わたしの選んだ旅は、そういう旅であった。

 今、中央アジアを挟んで、イギリス、中国、ロシアの列強がにらみ合っており、極東の地では、日本とロシアが砲火を交えようとしているのである。
 チベットが、外国人の入国を、たやすく許すとも思えなかった。
 他にも、砂漠自身がもたらす危険や、病、盗賊や、自然の天変地異に出会うことになるだろう。現に、わたしは何度か死ぬような目に遭い、多くの隊員を中央アジアの高原で亡くしてきた。しかし、わたしの身を滅すかもしれないそのような危険も何もかも、全て含めて、わたしはの地を愛しているのである。

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