今日を生き抜くため、少女たちは犯罪に手を染めた――川上未映子が、クライム・サスペンスに挑んだ理由
◆「カネ」「家」「犯罪」、そして「カーニヴァル」
——新作の『黄色い家』、夢中になって読み、胸が熱くなりました。これは新聞に連載された長篇ですね。
川上 ありがとうございます。そう言って頂けて、ほっとしました。新聞連載を始めるにあたって、最初になんとなく、女の人たちが疑似家族みたいに暮らしているイメージが浮かんだんです。そのコミュニティがどうやって成り立ち、どう変容していくのかを書きたいと思いました。
——第一章の「再会」は、二〇二〇年が舞台です。主人公の四十歳の伊藤花は、小さなネット記事を見つけて動揺する。それは吉川黄美子という六十歳の女性が捕まり、裁判が行われたという記事。どうやら花は少女の頃に黄美子や、蘭や桃子という少女と一緒に暮らしていたらしい。さらに当時、彼女たちは何か犯罪に手を染めていたらしい。一体何があったのか……と思わせて、第二章からは九〇年代に遡り、花と黄美子の出会いからが語られていく。着想の段階では犯罪が絡んでくる話になるとは思っていなかったのですか。
川上 誰かが何かをやって、その疑似コミュニティの中の関係が変わっていくのかな、というくらいの感じでした。
まず、新聞連載だということを考えたんですよね。新聞って限られた行数で「こんな事件がありました」という事実を伝えるけれど、その事実の後ろには見えないものがある。事実の後ろにある個別性を書くのも小説の大事な仕事だと思うので、新聞連載をやるなら何かの記事から始めて、それを読んで受ける印象が、必ずしも現実や、経験した本人の記憶と重なるわけではないし、本人でさえ真実がどこにあるのかわからない、そういう感触をつかみたいと、書きながらプロットを作っていきました。
——え、こんなに一級のミステリーになっているのに、事前にプロットは作らなかったのですか。
川上 私もわからなかったんです。最初の、花の中学生時代を書いているうちに、だんだん花や黄美子さんの性格がわかってきて、じゃあこういうことかな、って。
——東京の東村山でスナックで働く母親と暮らす花は、十五歳の夏、帰ってこない母の代わりに黄美子と過ごす。二年後、十七歳で黄美子と再会した花は、家を出て彼女と一緒に三軒茶屋でスナックを開きます。わたしは読んでいて、この先、黄美子が主犯格となって犯罪に手を染めていくんだろうと思ったんですよね。
川上 そう、最初はそういう印象を持ちますよね。でも、誰だって生きていると加害してしまうこともあれば被害を受けることもある。常々そのバランスは非対称ではないかと思っていたので、敢えて「主犯」を作らないようにしました。
あと、これは勝手に感じている傾向なんですけど、長篇を書くと暗い小説にならないんですよね。大阪人だからなのか、どこかに明るさと面白さを求めてしまう。だからということもないのですが、とにかく今回は、「カネ」「家」「犯罪」、そして「カーニヴァル」でいこうと思いました(笑)。どんな仕事にも必死さがあって、その必死さは笑いや滑稽さに通じるんですよね。みんなで家の壁に黄色のペンキを塗る場面があるんですけど、ああいうカタルシスのあるシーンを作りたかったんですよね。
◆一九九〇年代の「青春」を描くなら?
——一九九〇年代という時代はどのように意識されていましたか。
川上 私は七六年生まれなので、九〇年代に青春を過ごしました。今、Z世代と呼ばれる若い子たちの間で九〇年代がブームですよね。あの頃の音楽が流行ったり、映画の『ラン・ローラ・ラン』みたいな格好をしている子たちを見かけたりする。同じように、九〇年代には、その二十年前、つまり七〇年代の作品や音楽がリバイバルしていた。この周期問題というのはずっと頭にありました。
それと、たとえば村上春樹さんの『ノルウェイの森』は、村上さんが青春時代の学生運動のことを振り返って書かれていますが、村上さん世代の人なら、そういったみんなが共有している若さと直結した物語がある。一方で、私たち世代が青春時代を振り返る時、何が書けるんだろうという問いはずっと持っていました。もちろん、地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災といった、大きな出来事がありました。あるんだけれど、青春との重なり、という意味合いでは何が書けるのかな、って。
——当時の三軒茶屋の雰囲気、世の中の空気がリアルでした。
川上 当時は渋谷系の音楽が流行ったりもしたけれど、別のところでしのぎを削っていた子たちの話にしたくて、東村山や三軒茶屋を舞台にしました。
私が大阪から東京に出てきて三軒茶屋に住み始めたのがちょうど二〇〇〇年、二十四歳の時なんです。だから九〇年代の東京については肌で知ってるわけじゃなくて、ちょっと距離があるんですよね。
さらに花は私の四歳くらい年下で、彼女の世代とは流行が数年分ずれるんです。私の中学生時代のヤンキーを書こうとすると、着ているのがミキハウスになっちゃうわけです。このズレがけっこう切実で。瀧井さん、わかってくださる?(笑)
——すごくわかります(笑)。
川上 それだと花の世代にとっては古いんですよね。二、三年の差でファッションも全然違う。もう109の時代になっていたから、ルーズソックスだな、話題になるのはX JAPANとかディカプリオだろう、などと一つずつアジャストしていきました。
——花が未成年ながら黄美子さんのスナック「れもん」を手伝ってちゃきちゃき働いていく様子は痛快でした。花って、金額を非常に細かく把握していますよね。一日の売り上げとか、生活費とか、貯金額とか。
川上 金額は詳細に書きました。なんといっても、カネの小説なので(笑)。当時のスナックのこともちゃんと書いておきたかったんです。スナックって、地元のみんなが集まるあたたかい場所、みたいな幻想がありますよね。気心の知れたママがいて「おかえり」みたいな……。でも、素敵なスナックもあるけれど、ハードな側面もありますよね。夜の世界にもいろんなレイヤーがあることは書いておきたいな、と思っていました。
——花がすごくしっかり者で、応援したくなります。
川上 連載中も、SNSなどで「花ちゃんがんばれ」みたいな感想をいただくことが多くて、私まで嬉しかったです。
花は一生懸命なんですよね。地頭もいいし、真面目だし、ちょっとスタミナ系というか。同世代には受験勉強にエネルギーを注ぐ子もいればスタートアップにエネルギーを注ぐ子もいるだろうけれど、花にとっては、身ひとつで生き抜いていくぞという、夜の世界だったんでしょうね。
——彼女の視点から語られていきますが、本人が自覚していない幼さと、そこからの成長と変化がすごく伝わってきます。
川上 『黄色い家』も『夏物語』もどちらも一人称ですが、『夏物語』の夏子は作家だから言葉を持っている。でも、花は使える語彙が限られている。そんなところも新鮮で書いていて面白かったです。
——そのなかで、花から見た黄美子さんの印象が変わっていきますね。最初は優しい大人の女性という印象でしたが、花がしっかりするほどに、少しずつ黄美子さんの頼りない一面が見えてくる。
川上 そうそう、十五歳の頃に出会う大人って、その人にどんな事情があるかもわからないし、なんか違う世界の人だなって思えたり、ちょっと見上げる感じがありますよね。でも十五歳が得られる他人への洞察力と二十歳のそれとは違うから、花もだんだん黄美子さんへの印象が変わっていき、事情を知ることになる。
二人と繫がりのあるアウトローの映水が言うように、黄美子さんは利用される人なんですよね。弱い者がさらに弱い者を叩くような、搾取の構造の中にいる人。もちろん昼の世界もそうなんですが、夜の世界はさらに外からは見えない作りになっているのだと思います。
◆みんな、自分の人生を生きるのに一生懸命
——花は蘭や桃子という少女とも出会い、黄美子と四人で暮らすようになる。さきほどの「家」というのは住む家のことであり、そして疑似家族のことでもありますね。
川上 家という制度そのもののことでもありますよね。家族だけではなくて、ヤクザの家もあるし、テキヤの家もある。詐欺師のヴィヴさんが、「賭場で儲けた金は賭場から出ることはない、つまりその家から出ていかない」と言っていて「家」については書きながらいろんなことを考えました。
——そんななか、花のお母さんが突然訪ねてくる場面がありますよね。
川上 ああ、これですね(と、ピースサインをする)。
——あそこでもう、大号泣です。
川上 えーっ! あそこで⁉
——もう、あのピースサインの瞬間までの描き方、その前後の花の心の動きの描き方が、すごかったです。毒親を持つこどもの複雑な心情がこれでもかっていうほど伝わってきて、あそこは泣きますよ。号泣ですよ。
川上 そうでしたか……。今回は親と子についてもきちんと向き合ってみたかったんです。親と子がどういう関係で、何によってこんなにも結び付かざるを得ないのか。でも、花のお母さんも、悪い人ではないと思っています。みんな自分の人生を生きるのに、一生懸命なんですよね。
——黄美子さんは母親が刑務所にいる。桃子のように、お金に困っていない家庭に生まれても、居場所のない子もいる。在日韓国人の映水の兄弟の話もありますね。作中の「でかいことは、なにも選べない。親も、生まれてくるとこも、自分も」という台詞がとても印象的で。
川上 みんな、ほんとに必死に生きています。
——花は黄美子さんたちとの「家」を守ろうと必死になり、詐欺師のヴィヴさんを紹介してもらい、カード詐欺に手を染めていく。少女たちの犯罪というと売春も想像しましたが、違いましたね。
川上 カード詐欺の作戦を〈アタックナンバーワン〉って言ったりして、なんだか体育会系ですよね。犯罪ではあるんだけど、自分の足を使って稼ぐことの高揚感とスリルと、あとは、どんな仕事にでもある「真面目さ」が伝わればいいなと思いました。
カード詐欺については、書き応えがありました。というのも、今と九〇年代ではシステムが違っていて、たとえばヤクザと半グレの関係など、色んなことの過渡期だったんですね。流行語の発生時期を見極めるのも難しいんだな、と痛感しました。そんな激動の九〇年代を、ひとりの少女が闇をシノいで生きていく潑剌とした話を書きたかったんです(笑)。
——ただ、花は頑張れば頑張るほど、たくさんのものを背負ってしまう。
川上 そうそう、責任感の強さ、面倒見の良さから、花はだんだん家父長制の頑固親父みたいになっていきますよね。みんなもう嫌だって言ってるのに「おれがこの家を守るんだ!」みたいな。
——桃子にきついことを言われる場面、あれは一言一言グサグサきました。これはシスターフッドの話でもあるけれど、女性同士の中にも家父長制が入り込んでくるとやっぱり問題が生じるものなんだな、という。
川上 人間関係が濃密になれば、良さも悪さも両方出てくる。そのどこを切り取るか、ですよね。私は女性同士の三茶での青春感もすごく好きだし、花と琴美さんのカラオケのシーンもすごく好きです。シスターフッドは幻想ではない、絶対に大事なことだということは、書きながらしみじみ感じていました。
——周囲の人も魅力的でした。映水は、今でいうところの反社会的な世界に身を置く登場人物ですが、花をちゃんと人間として扱っているし、妙に格好いい。詐欺師のヴィヴさんも、言うことがいちいちしびれます。「幸せな人間っていうのは、たしかにいるんだよ」「あいつらは、考えないから幸せなんだよ」とか。
川上 「金は権力で、貧乏は暴力だよ」とかね(笑)。ヴィヴは私も好きなキャラクターです。「金とはなにか」みたいなことをえんえん喋りますよね。苦労したんだな、というのがわかる(笑)。でもヴィヴが言っていることはたぶん、今の日本で、というか世界中で多くの人が思っていることなんじゃないかな。誰かが生まれつき貧乏なことに、理由はないですよね。
——他にもいろんな人の、心に残る言葉がたくさん出てきますが、ああいうのは書き進めているうちに自然と出てくる感じですか。
川上 そうですね。ちゃんとその人を書けば人生が立ち上がってきて、その人が話しているみたいに手応えを得る時がある。でも、小説には情報の要素も必要だから、ここでこれを言っておかなきゃいけない、というのもあるわけですよね。そういうバランスを考えて書いていくのが、やっぱり楽しいんです。
——ヴィヴさんの言葉で予言的なのは、「これからは名前のないやつ、顔のみえないやつが大活躍する時代になるよ」っていう。だから今のうちに稼ごう、と彼女は言っているんですけれど、その後のSNSの広まりだけでなく、犯罪に関しても確かにそうだなと思って。
川上 そうなんです。九一年に暴対法ができてから、ヤクザが凋落していって、半グレと呼ばれる集団が出てきたんですよね。カード詐欺の手法も変わっていったし。繰り返しになるけれど、犯罪という観点でも、情報の扱いにおいても、九〇年代の終わりは過渡期だったんですね。
——そして彼女たちはどうなっていくのか。読みながら、大人が少女を利用したのか、それとも少女が大人を利用したのか、そうであっても少女を責められるのか、などと考えさせられました。
川上 最後は、こどもに決定権はないというのを、こどもが利用したとも読めるかもしれません。で、そのことも忘れているというか、記憶に蓋をして……。
◆連載中に届いたメッセージ
——ところで、黄色という色が非常に象徴的に使われていますが、これも自然と出てきたものですか。
川上 黄色というモチーフは構想段階から決めていました。それで店の名前が「れもん」になって、風水に凝った花が「黄色は金運の色」とか言い出すようになって。九〇年代はスピリチュアルの時代でもありましたね。最後の章のタイトル「黄落」も、かなり早い時点で決めていました。
——執筆する前に章タイトルを決めたのですか。
川上 そうなんです。第一章の「再会」を書いた後に、残りすべての章タイトルを決めました。お金の話だから「千客万来」とか「一攫千金」がいいなとか、家の話だから「一家団欒」だな、とか。熟語がいいなと思って、あとは流れに沿って選んでいきました。そこから各章の内容を積み上げていったという感じ。
——その書き方で、こんなリーダビリティのある構成を作りあげたとはびっくりです。読者を楽しませるためのエンタメ的な要素は意識されましたか。
川上 それが、そこはあまり考えなかったんです。新聞連載を始める時に、編集者から「暗い時代だから読んだ人がちょっと明るくなるようなものであれば嬉しい」というリクエストをいただきましたが、でも人って、楽しい話を読めば明るくなるわけでもないでしょう?
実際、連載中に、花と同じような状況にある女の子からメッセージが届いて、それは嬉しかったですね。「川上未映子さんの『黄色い家』が読みたくて、家賃13200円の家に住む私が毎月4000円する新聞買ってる。続きが読みたくて夜中2時まで起きて新聞やさんが届けてくれるのを待ったりもする(原文ママ)」って。私はこういう読者に支えられているんだなということを絶対に忘れないでおこうって、いつも感じていることだけれど、今回、特に強く思いました。
——新聞連載は楽しかったですか。
川上 そうですね。自分は本当に長篇を書くのが好きなんだと実感しましたね。今回、前作の『夏物語』同様、原稿用紙で一〇〇〇枚くらいの長さになったのですが、執筆時の体感としては前作の半分くらいのボリュームなんです。知らず知らずのうちに創作の体力がついていたのかもしれません。あとは加齢で、単に話が長くなってる可能性も(笑)。
——川上さんは、言葉による創作は詩から始められているじゃないですか。詩を書いて、エッセイを書いて、そこから小説の依頼があって。短篇が話題になり、中篇や長篇も書くようになり。
川上 そうそう、私は詩人なんですよ!(笑) だから書き始めた頃は、自分に一〇〇〇枚の小説が書けるとも、ちゃんと構成のある話を作れるようになるとも、とても思えなかった。でもその時々で自分には難しいなと思うことに少しずつ挑戦してきたことが、今に繫がっているのかもしれません。いずれにしても、有難いことです。
◆「日本文学」を超えて、自分の物語として読んでほしい
——『すべて真夜中の恋人たち』や『ヘヴン』、『夏物語』は翻訳もされて海外でも高く評価されていますよね。
川上 アメリカでは普通にあることですが、『夏物語』は、執筆前から英語の版権が売れていたんです。『黄色い家』も嬉しいことにオークションでたくさんのオファーを頂いて、もう翻訳が進んでいます。編集者と話し合って、英語のタイトルは『Sisters In Yellow』になりました。
——作品が翻訳されることについて、思うことはありますか。
川上 一人でも多くの人に小説を読んでもらえることはすごく嬉しい。でも、各国語でいろんな人たちに読まれていけばいくほど、自分が日本語というマイノリティ言語で書いていることは意識せざるを得ないというところもあります。英語の「強さ」については、考えさせられます。また仕事の進め方については、海外の版元はやりかたが全然違うので、コミュニケーションも含めて、いろいろ勉強になっています。
——海外の読者からの感想は。
川上 『夏物語』に対しての海外のあるジャーナリストの言葉が記憶に残っていて。作中に出てくる精子バンクについて、その方に「日本の人はこんなに悩まないといけないの? 私たち普通にやってるけど」と言われたんです。でも、日本の人でも、そのジャーナリストの国の人でも、精子バンクについて個々人でそれぞれの考えがあるはず。私の書いたものが日本全体の空気を表しているわけではありませんよね。
私はたしかに日本を舞台に書いているけれど、本来は、「日本」とかそういうカテゴリーから零れ落ちるものを掬い上げることが文学だよなと思う気持ちもある。それでも、日本語で書くと、どうしても「日本文学」としてカテゴライズされてしまう。
とはいえ、私も、他国の文学をそうやって読んできたんです。たとえば、オルハン・パムクを読んでトルコを少し知ったような気持ちになるし。それも読書の楽しみの一つではある。それでも、本に感動する瞬間って、どこの国の作品かを超越して共有できるものを見付けられたときにも、訪れると思うんです。
『夏物語』は、海外でも自分のこととして読んでくれる人が多くて、それが何より嬉しかったですね。
——次はどんな作品を考えていますか。
川上 ずっと言ってるんですが、もう長いこと宗教について書くことを考えています。社会現象としての宗教問題ではなくて……うーん、構想はあるんですが、自分に書けるか、まだわからないかな。昨年から「ピーターラビット」シリーズの翻訳も始まったので、そこで見えてくるものもあるでしょうし、新作はじっくり準備を進めたいと思っています。
川上氏撮影:当山礼子(見出し画像、本文2点目)
塚田亮平(本文6点目)
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