死と向き合い続けた日々の記憶を辿って――『ナースの卯月に視えるもの』ができるまで|秋谷りんこ
私は、二十代から三十代にかけて十三年ほど看護師として働いていました。初めて患者さんの死と向き合ったのは、看護学生のときです。看護学部では座学のほかに病院実習があり、学生は一人ずつ患者さんを担当し、日々関わりながら学びを深めます。
ある日病院に行くと、実習担当の看護師さんが私たち学生を集めました。
「つらいことをお知らせするけど……〇〇さんが昨日の夜に急変して、亡くなりました」
それは私の担当患者さんでした。昨日まで一緒に過ごしていた患者さんが、今日にはもういない。亡くなる可能性がゼロではないことを頭では理解していたはずなのに、あまりにもショックで、その場でボロボロ泣きました。もう私にできることは何もないと打ちのめされました。もう二十年以上前のことですが、そのとき感じた痛みは今でも鮮明に覚えています。
一人前の看護師になってからも、患者さんが亡くなるたびにやるせなくて、心が深く沈みました。何度経験しても悲しみに慣れることはなく、慣れてはいけないとも思っていました。だからこそ、できる限り、患者さんの望みやQOLを大事にして看護しようと決めていました。いつ最後の別れになるかなんて、誰にもわからないのですから。
患者さんが、自分らしい生き方で人生の幕を閉じるには、どうすればいいのか。それを一緒に考えて、お手伝いすることが、終末期の看護には必要なはず――看護師の〝知識〟としては分かっていても、当時の私はまだまだ若者です。病棟で関わった患者さんたちは、ほとんどが年上でした。人生経験の少ない私が、人生の先輩方の苦痛など分かるものだろうか、と悩む日々が続きました。
戦争を経験し、心不全で亡くなった患者さん。残された時間が少ないなかで、私の手を握り、「あったかいね」とほほ笑んでくれたあの女性に、私はもっと何かができたのではないか。
「自分でなんとなくわかる。たぶん、そろそろだよ」。そう死期を悟っていたあの男性に、どんな言葉をかけるのが正解だったのか。
看護の基本は傾聴、つまり、患者さんの話をよく聞き、気持ちに寄り添うことだと言われています。自分なりに精一杯頑張ってきたけれど、白衣を脱げばただの若者だった私に、果たしてその役割がまっとうできているのかと常に葛藤がありました。
なかでも忘れられない経験となったのが、下半身麻痺と内臓の病気で入退院を繰り返していた、男性患者のAさんです。
内臓の病気が悪くなってから長期入院となったAさんは、何年も同じ個室にいて、漫画やラジカセを持ち込み、そこはまるで自宅のようになっていました。
長い期間、麻痺や病気と付き合ってきたAさんは、治療や処置の知識も豊富で、新人看護師に「そのヘラでこの軟膏を塗るんだよ」などと教えてくれることもありました。新しい白衣を着ていると「いいじゃん」とほめてくれました。そんな気さくなAさんのことが、私たち看護師はみんな大好きでした。
一方で、入院が長くなると、看護師にわがままを言うようになる患者さんが増えるのも現実で、Aさんも例外ではなく、機嫌が悪いときはナースコールを連打することがありました。
「頭がかゆいからドライシャンプーして」
「早く車椅子もってきて」
「ベッドにすぐ戻りたい」
「タバコ吸いたい」
私たちは、そんなわがままをときにたしなめ、ときに許し、彼の病室を住まいとして整えていきました。でも、内臓の病気の悪化にともない、威勢のいいわがままも次第に聞けなくなっていきました。Aさんは、少しずつ車椅子に乗れる時間が減り、寝ている時間が増え、次第に衰弱し、亡くなりました。
病棟から運び出されて、ご遺体を安置しておく場所で、看護師たちは集まって彼の死を悼み、肩を寄せ合って泣きました。
「俺が死んだら悲しい?」と言うAさんに「悲しいですよ」と伝えたとき、寂しそうに笑った顔が、今でも忘れられません。あのとき、「死ぬなんて言わないでください」「大丈夫です。頑張りましょう」……そう声をかけるべきだったのか。でもそのどれも、私の本心とは違う気がしていました。少しでも長く生きていてほしい気持ちと、できる限り苦しまないように自分のタイミングで逝ってほしい、という気持ちは、いつもどちらも同じくらいあったからです。ではなんと言うべきだったのか、正解はいまだにわかりません。
退職後も、あの十三年間、患者さんの死と常に隣り合わせだった日々の記憶は、心にくっきりと残っていました。そしていつしか、看護師を主人公にした小説を書きたいという気持ちが抑えきれなくなっていました。看護師たちが一人の人間として、何を思い、喜び、憂えているのか、表現したい。その一心で本作を書き始めました。
主人公・卯月咲笑は、患者の「思い残しているもの」を視ることができる能力を持っています。「思い残し」が卯月の前に現れるのは、患者が死を意識したとき。このような不思議な設定にしたのは、私が向き合った患者さんの死を、いまだに忘れられないからかもしれません。亡くなってしまったあの人は、最期に何を思っていたのか、汲み取りきれなかった思いを今なお知りたい。そういう気持ちが小説に滲み出ている気がします。
家族や友人と一緒にいられること。笑ったり、泣いたり、ときには怒ったり、感情を通わせること。そのことがいかに貴重で、幸せなことか、この小説を書く中で、改めて感じることができました。読んでくださった方が、大切な人と過ごす時間をより愛おしく感じ、絆を深めるきっかけとなれたら、とても嬉しく思います。
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