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森見登美彦『熱帯』 第一章 沈黙読書会

第一章 沈黙読書会

なんじにかかわりなきことを語るなかれ 
しからずんば汝は好まざることを聞くならん

 この夏、私は奈良の自宅でそこそこ懊悩おうのうしていた。 
 次にどんな小説を書くべきか分からなかったのである。 
 奈良における私の平均的な一日はじつに淡々としている。朝七時半に起きて、ベランダから奈良盆地を見まわして朝日に挨拶、ベーコンエッグを食べ、午前九時から机に向かう。午後一時に執筆を切り上げ、昼食を取って少し休憩、夕方からふたたび机に向かって執筆以外の雑用や読書。午後七時になったら妻といっしょに夕食を取る。そして日記を書き、風呂に入り、グータラして寝る。執筆がうまくいっているなら何も言うことはない。 
 しかし書けないときには社会的に「無」に等しい。路傍ろぼうの石ころ未満である。 
 あまりにも書けない日々が続くので、しばしば私はロビンソン・クルーソーの身の上に思いを馳せた。あたかも難破して流れついた無人島で、通りかかる船をむなしく待っているかのようであった。あをによし奈良の四季がうつろうにつれて、貴重な人生の時間は空費されていく。手をこまねいていたらアッという間におじいさんである。確実におばあさん化しているであろう妻と縁側で日なたぼっこである。それならそれで悪くない。 
 そろそろ白旗を上げようかと私は思っていた。 
 このような小説家的停滞期にあっては、クソマジメに「小説」なんて読む気になれないものである。重厚な社会的テーマとか、奥行きのある人間ドラマとか、とてもついていけない。机に向かうのもイヤになった私は万年床に寝転がって、『古典落語』を読んだり、『聊斎志異りょうさいしい』を読んだり、『奇談きだん異聞いぶん辞典』を読んで暮らした。それらもあらかた読み終わって、最後に取りかかった巨大な作品群が『千一夜せんいちや物語』であった。 
 しかし人生、何が起こるか分からない。 
 その出会いが私を不思議な冒険へ連れだしたのである。

 ○

『千一夜物語』は次のように始まる。 
 その昔、ペルシアにシャハリヤール王という王様がいた。あるきっかけで妻の不貞を知った王様はエゲツナイ女性不信に陥り、夜ごとひとりの処女を連れてこさせては純潔を奪い、翌朝にはその首をねるようになった。そんな怖ろしい所業を見かねて立ち上がったのが大臣の娘シャハラザードである。彼女は父親の反対を押し切ってみずから王のもとにはべり、不思議な物語を語り始める。しかし夜が明けるとシャハラザードは物語を途中で止めてしまうので、その続きが知りたいシャハリヤール王は彼女の首を刎ねることができない。このようにしてシャハラザードは夜ごとの命をつなぎ、我が身と国民を救おうというのである。 
 これがいわゆる「枠物語」というもので、『千一夜物語』に収められた膨大な物語のほとんどは、シャハラザードがシャハリヤール王に語ったものとして語られる。シャハラザードの語る物語の中に登場する人物がさらに物語を語ったりするため、いわば物語のマトリョーシカみたいな状況が次々と発生していく。物語そのものも奇想天外で面白いが、この複雑怪奇な構成も『千一夜物語』の醍醐味といえるだろう。 
 岩波書店のハードカバー版『完訳 千一夜物語』全十三巻。 
 その第一巻のはじまり、ともにシャハリヤール王のもとに侍ることになった妹のドニアザードが、あらかじめ打ち合わせていたとおり、姉に「寝物語」をせがむ。 
 するとシャハラザードは次のように言う。 
「当然のお務めとして喜んで、お話をいたしましょう。ただし、このいとも立派な、いとも都みやびな、王様のお許しがありますれば!」 
 ちょうど不眠に悩んでいたこともあって、シャハリヤール王は悦んでシャハラザードに物語ることを許すのである。かくしてシャハラザードは第一夜の物語を語りだす。 
 挿絵に飾られた扉ページには次のように記されている。
  
「千一夜 ここに始まる」
  
 まるで巨大な門の開く音が聞こえてくるかのようだ。 
 この夏に私が読んでいたのは、ジョゼフ・シャルル・ヴィクトル・マルドリュスという人物がアラビア語からフランス語に翻訳したものを日本語へ重訳したものである。 
 この「マルドリュス版」は原典の姿を正しく伝えているかという点では疑問符がつくらしい。しかし読み物としてはやっぱり面白い。 
 そもそも『千一夜物語』は、東洋と西洋にまたがって偽写本や恣意的な翻訳が入り乱れる、まるでそれ自体が物語であるかのような、奇々怪々の成立史を持つ。その胡散うさん臭さも『千一夜物語』の魅力である。詳しく知りたい読者は信頼のおける参考書を紐解ひもといていただきたい。ようするに、この物語の本当の姿を知る者はひとりもいないのだ。 
『千一夜物語』は謎の本なのである。

 七月末の昼下がり、私は書斎を出て万年床にバタンと倒れ伏した。 
 あいかわらず次作の構想は暗礁に乗り上げ、にっちもさっちもいかなかった。いっそのこと、この暗礁に居心地の良い家を建てて暮らそうと私は思い始めた。小さな庭に林檎の木を植え、かわいい柴犬を飼って「小梅」と名づけよう。そして妻を讃える歌を歌いながら、『千一夜物語』を読み返して余生を過ごすとしよう。 
 そんなふうに隠居生活の設計に余念のない私のかたわらでは、妻が賛美歌を歌いながらちくちくと洗濯物を畳んでいた。枕元に投げだした『千一夜物語』はようやく五百夜を過ぎたところであった。読んでも読んでも終わらないのである。 
 やがて私は天井を見ながらつぶやいた。 
「どうやら私は小説家として終わったようだ」 
「終わりましたか?」と妻が言った。 
「終わった。もう駄目だ!」 
「急いで決めなくてもいいと思いますけど」 
「たしかにわざわざ宣言するほどのことでもない。書かない小説家のことなんて、世間の人々は自然に忘れていくであろう。そして世間の人々もまた同じように忘れられていくし、近代文明は暴走の挙げ句に壊滅するし、いずれ人類は宇宙の藻屑もくずと消える。だとすれば目先の締切に何の意味がある?」 
 悲観的になると私は宇宙的立脚点から締切の存在意義を否定しがちである。 
「そんなに悲観しなくても……。果報は寝て待てというでしょう?」 
 私は妻の意見を重んじる男でもある。「それも一理あるなあ」と思ってごろごろしながら果報を待っていると、洗濯物を畳み終えた妻が『千一夜物語』を指さして言った。 
「それはようするにどんなお話?」 
 じつにむずかしい質問であった。 
「美女がたくさん出てくる」 
「おやまあ、美女が? それはステキ」 
「もちろん美女だけではなくて魔神も出てくる。王様や王子様や大臣や奴隷や意地悪な婆さんも……。次から次へと読んでいると些細なことなんてどうでもよくなって、脳味噌を洗濯したような気分になるんだよ。それにしてもシャハラザードはすごい。よくこんなにえんえんと物語を語れるもんだ」 
「よっぽど賢い女性だったんでしょうね」 
「それにしても不思議な本だなあ、これは。謎の本だ」 
 しばらくすると妻は洗濯物を抱えて立ち上がった。 
「いったん休んでごはんでも食べたらどうでしょう?」 
 台所へ行ってみると、昨夜の残りのポトフがあった。甘い小さなカブやソーセージ、ニンジンの切れ端が見えるが、残りはほとんどジャガイモであった。 
「これではポトフではなくてポテトフだな」 
 私の住まいは奈良某所高台のマンションにあって、ベランダに面したガラス戸からは奈良盆地を見渡すことができる。私はポテトフを食べながら夏の奈良盆地をぼんやり眺めた。こってりとしたクリームのような入道雲が青い空に浮かび、遠方の山々は未知の大陸のように霞んでいる。眼下の街に散らばる濃緑の森や丘は、南洋に浮かぶ島々のようだった。 
 こんな風景を他の場所で見たような気がすると私は思った。ぼんやりしているといろいろなイメージが浮かんできた。それは少年時代に家族で出かけたキャンプの思い出だったり、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』だったり、スティーヴンソンの『宝島』だったり、ジュール・ヴェルヌの『神秘の島』だったりした。しかし何か肝心なことが思いだせない。それは先ほどの妻との会話に関係しているような気がする。 
 私は台所で林檎をいている妻に声をかけた。 
「さっき何の話をしていたっけ?」 
「引退の話?」 
「そうじゃなくて……」 
「千一夜物語? シャハラザード? 謎の本?」 
 私はスプーンの手を止めて考えこんだ。 
 謎の本、という言葉が私の脳味噌をちくちく刺した。 
 私が「熱帯」と呟くと、妻が怪訝けげんそうな顔をした。 
「熱帯?」 
「そうだよ、『熱帯』だ。思いだした」 
 それは私が京都に暮らしていた学生時代、たまたま岡崎近くの古書店で見つけた一冊の小説であった。出版は一九八二年、作者は佐山尚一さやましょういちという人物だった。『千一夜物語』が謎の本であるとすれば、『熱帯』もまた謎の本なのである。

 私は学生時代を京都で過ごした。 
 北白川にあった四畳半アパートの一室は壁一面が本棚になっていて、私は新刊書店や古書店をめぐり、コツコツと本を買いそろえていった。 
 本棚というものは、自分が読んだ本、読んでいる本、近いうちに読む本、いつの日か読む本、いつの日か読めるようになることを信じたい本、いつの日か読めるようになるなら「我が人生に悔いなし」といえる本……そういった本の集合体であって、そこには過去と未来、夢と希望、ささやかな見栄が混じり合っている。そういう意味で、あの四畳半の真ん中に座っていると、自分の心の内部に座っているかのようだった。 
 無人島のような四畳半に籠もって本を読んでいるうちに、その本で得た知識を立身出世に役立てようとか、黒髪の乙女を籠絡ろうらくするのに活用しようとか、そういう殺伐とした了見はきれいに消え去り、ただその本を読んでいるだけでよくなって、ふと気がつくと窓外には夕暮れの気配が忍び寄っている。そういうとき、いままで自分が夢中になっていたものが現実には存在せず、ただ紙に文字を印刷して束ねただけのものだという事実に、あらためて不思議な感慨を覚えたりした。 
 そうして大学四年目を迎えた八月のことである。 
 その八月というのは、それまでの人生でもっとも曖昧で覇気のない夏だった。私は進路に迷って大学を休学し、途方にくれて京都の北白川界隈かいわいをぶらぶらしていた。司法試験に落第して同じように百万遍界隈をぶらぶらしていた友人と、ママチャリで琵琶湖を一周して死ぬような思いをしたことを思いだす。自分たちを痛めつけることによって鬱屈を振り払おうとしたのだろう。 
 とにかくあの夏はひどく暑い夏だった。 
 京都の夏、四畳半アパートは人間の住まいというよりはタクラマカン砂漠に近い。ボーッとしていると死ぬ。そういうわけで私は毎日、涼めるオアシスを探しにいくことにしていた。よく出かけたのは平安神宮のある岡崎界隈である。そのあたりには勧業館、国立近代美術館、琵琶湖疏水記念館など、無料で涼める場所がたくさんあった。二条通を鴨川に向かって進むと「中井書房」という古書店があったので、岡崎へ出かけるときには立ち寄ることにしていた。 
 佐山尚一の『熱帯』を見つけたのはその店である。 
 入り口の脇に置いてある「百円均一」の段ボールをのぞくと、その本が目に入った。どうして買う気になったものか。古風なデザインが気に入ったのかもしれない。どうせ値段は百円だったし、時間だけはいくらでもあったのである。 
 私は『熱帯』を買うと自転車を走らせて岡崎の勧業館へ行った。 
 近代的な建物の中は冷房がきいて涼しく、ロビーに人影はなかった。私は自動販売機でジュースを買い、大きなモニタの前にあるベンチに腰かけた。そのモニタには京都府警察平安騎馬隊の映像が映し出されていた。 
 そこで私は『熱帯』の頁をめくった。

汝にかかわりなきことを語るなかれ 
しからずんば汝は好まざることを聞くならん

 そういう謎めいた文章によって『熱帯』は始まる。 
 それがどんな物語であるかということを一言で説明するのは難しい。推理小説ではないし、恋愛小説でもない。歴史小説でもないし、SFでもなく、私小説でもない。ファンタジーといえばファンタジーだが、それでは何も説明したことにならない。 
 とにかく、なんだかよく分からない小説なのである。 
 物語は、ある若者が南洋にある孤島の浜辺に流れつくところから始まる。どうやら難破したらしいのだが、若者は記憶を失っていて、自分が誰であるのか、どうしてここにいるのか、この島がどこなのか、何ひとつ分からない。やがて夜明けの砂浜を歩きだした若者は、美しい入り江と桟橋を見つけ、「佐山尚一」と名乗るひとりの男に出会う。 
 そこまで読んだところで、私は「おや?」と思った。 
 佐山尚一というのはこの本を書いた人物ではないか。 
「ははん。なんだか面白いことになってきたぞ」 
 謎めいた冒頭もさることながら、主人公のよるべない境遇にも心惹かれた。私もまた京都の街で居場所を失い、無人島のごとき四畳半に立て籠もり、待てど海路の日和ひよりなき日々を不本意ながらダラダラと生きていたからである。 
 私は勧業館のロビーで『熱帯』を四分の一ほど読んだ。古びた頁に印刷されている薄れた活字や、ひんやりとした冷房、人気ひとけのないロビーを今でも思いだすことができる。 
 やがて私は我に返って本を閉じた。 
「これは妙に心惹かれる本だ。大事に読もう」 
 私が『熱帯』をリュックにしまって外へ出ると、まだ昼下がりの陽射しはぎらぎらと街を照らしており、平安神宮前の広々としたアスファルトは熱く焼けていた。自転車に乗って京都市美術館の脇を抜けていくとき、色濃い影を落とす夏木立からはせみの声が響いていた。なんだか少年時代に戻ったようにワクワクした。 
 それから数日間、私は『熱帯』を少しずつ読んでいった。 
 不可視の群島、〈創造の魔術〉によって海域を支配する魔王、その魔術の秘密を狙う「学団の男」、海上を走る二両編成の列車、戦争を暗示する砲台と地下牢の囚人、海を渡って図書室へ通う魔王の娘……。 
「この物語の結末はいったいどうなるんだろう」 
 不思議なことに、先へ進むにつれて読むスピードが遅くなるようだった。 
 しばしば私が連想したのは、詭弁きべん論部員の知人から聞いたゼノンの「アキレスと亀」である。脚の速いアキレスが脚の遅い亀を追いかける。亀のいたところへアキレスが追いついたとき、亀は少し先へ進んでいる。その地点へアキレスが追いついたとき、また亀は少し先へ進んでいる。それが無限に繰り返されるのだからアキレスは決して亀に追いつけないという詭弁である。つまりこの場合、私がアキレスで、結末が亀、ということになる。 
 とにかく半分ぐらいまで読んだことはたしかである。 
 しかし『熱帯』との別れは唐突に訪れた。 
 お盆明けの朝、私が目を覚ますと、枕元に置いたはずの『熱帯』が消えていた。「おや?」と思って室内を探したが見つからない。アルバイトを終えて帰宅してから、もう一度探したが、やはり見つからない。ひょっとすると出かけた先で落としたのかもしれない。そして私は、アルバイト先の寿司屋の店長のデスクを覗き、行きつけのカレー店やビデオ屋で落とし物がなかったかたずね、生協食堂のテーブル下を覗き、ありとあらゆる場所を探した。しかし努力の甲斐もなく、三日目の夜、ついに私は『熱帯』を紛失したことを認めざるを得なくなった。 
「しょうがない。もう一冊どこかで見つけて買おう」 
 私はそう考えた。 
 なんと甘い考えであったことだろう。 
 それから十六年の歳月が流れた。その間、私は古書店を巡り、古本市をさまよい、図書館を訪ね、インターネットを駆使したが、『熱帯』の手がかりはつかめなかった。二〇〇三年、私は小説家としてデビューし、やがて大学院を卒業して国立国会図書館に就職した。東京へ転勤になってから、『熱帯』を求めて神保町を歩いたこともある。しかし世界最大の古書店街も私に『熱帯』を与えてはくれなかった。 
 そういうわけで、私は『熱帯』の結末を知らないのである。

 一週間後の八月頭、私は奈良から東京へ出かけていった。 
 その日はいくつか用件を片付けたあと、かつて勤務していた国会図書館の元同僚と会う予定になっていた。図書館を退職し、二〇一一年の秋に東京千駄木を引き払って故郷の奈良へ帰ったのだが、あれから早くも七年の歳月が経ってしまった。 
 夕方、私は神保町に立ち寄って三省堂書店をうろうろした。 
 そして靖国通りに面したビアホール「ランチョン」を訪ねると、奥のテーブルでは初老の男性の一団が賑やかに話をしていた。おそらく同窓会でもやっているのだろう。表通りに面して並ぶテーブルに、文藝春秋社の担当編集者の姿があった。「どうもー」と彼女は言った。私は編集者の向かいに腰かけた。靖国通りを挟んで書泉グランデと小宮山書店の看板が見えている。 
「どうですか、森見さん?」 
「待てど海路の日和なし。もっぱら『千一夜物語』を読んでいる」 
「投げやりにならないでくださいよ」 
 最初の作品『太陽の塔』が出版されてからいつの間にかの十五年、初々しさだけを売りにして人の好意に甘えるのが見苦しくなってくる。かといってベテランへの道のりはまだ長く険しいという中途半端な境遇にあって、内幕を暴露すれば随分前から息切れしている。 
 かつて鴨川べりに転がる石ころに匹敵する無名ぶりをほしいままにしていた頃には、美貌の編集者に「あなた(の原稿)が欲しい」と迫られる場面を妄想して鼻血を出しかけていた似非えせ文学青年も、手当たり次第に書けることは書き尽くし、もはや擦り切れてペラペラである。その砂漠のように乾いた心に危険な妄想が忍び寄ってくるのだ。「締切」という概念こそ、世に蔓延まんえんする諸悪の根源であるという妄想が―。 
「……というわけなんです」 
「でも締切がなければ書かないでしょう?」 
「締切があれば書くという発想は短絡的すぎる。そもそも、書けばそれでいいというのが間違いです。書くべきか、書かざるべきか。それが問題だ」 
「ストップ、ちょっとストップ。その議論はあぶない」 
 編集者は手を挙げた。「落ち着いてください」 
 次作をめぐる膠着こうちゃく状態を打開するために打ち合わせの場を設けたわけだが、私は締切への憎しみによって理性を失っているし、このまま議論を続けても不毛であるのは明らかであった。賢明な編集者は鮮やかに話題を転換し、先日電話で少し話をした小説『熱帯』に触れた。 
「あの小説について調べてみたんですけど」 
「何か分かりましたか?」 
「同じタイトルの本はもちろん他にもあります。でも森見さんのおっしゃるような作品は見つかりません。知り合いの小説家や編集者にも訊いてみましたけど、佐山尚一なんていう小説家は誰も知りませんでしたよ。いったいどういう人なんですかね」 
「ああ、よかった」 
「何がいいんです?」 
「やすやすと謎を解かれたらロマンがない」 
「それもそうか」と編集者は言った。「とにかく、広く流布した本でないことはたしかです。身内だけに配った私家版みたいな本かも……。一九八二年に出版されたとすると、いまから三十六年前ってことでしょう。こいつはちょっと厄介ですなー、謎の本だなー」 
 編集者はそう言って面白がっている。 
 赤いベストを着て黒い蝶ネクタイを結んだ店員が、仔牛のカツレツとアスパラガスを運んできてくれた。私はバヤリースで喉を潤しながら、編集者に『熱帯』の実物について説明した。それは文庫本よりも少し縦長のサイズで、表紙には赤や緑の幾何学模様がいくつか描かれ、ぶっきらぼうな活字で書名と著者名が印刷されていた。出版年が記憶にあるということは奥付を見たはずだが、出版社の名は記憶にない。 
 編集者はノートにメモを取りながら言った。 
「で、その『熱帯』はどんな小説だったんですか?」 
「それがなかなか説明しにくい」 
 私は言った。「そもそも最後まで読んでないし」 
「え! マジっすか?」 
「マジです。これも不思議な話でね」 
 そして私は学生時代の『熱帯』との出会いと別れについて語った。編集者は「ちょっと信じられない話ですねえ」と疑り深そうに言った。「それ、妄想なんじゃないですか?」 
「いや、これはホントの話なんですよ」 
「だとすると、それは読みたい」 
「そうでしょう、そうでしょう」 
 編集者は仔牛のカツレツを食べて呟いた。 
「たとえば―」 
「たとえば?」 
「次作は『熱帯』について書くっていうのはどうですかね?」 
「でも最後まで読んでないんですよ?」 
「だから、幻の小説についての小説なんです」 
 ちょっと興味をそそられて私は考えこんだ。 
 たしかに「幻の本」というアイデアは小説家なら一度は書いてみたいと思うものかもしれない。そういう題材を選べば、小説を読むことや書くことについて、あれこれと妄想を膨らませることができるだろう。少し考えてみようかなあ―そんなことを呟いて私は店内を見まわした。奥のテーブルに陣取っている同窓会は相変わらず賑やかだ。 
「うまくいくかどうか、分かりませんよ?」 
「これまでもそうだったでしょう。冒険なんです」 
「まあ、それはたしかにそうだな」 
「佐山尚一というのはペンネームだと思います。私は『熱帯』について調べてみますから、森見さんは次の作品を考えてください。ひとまず締切問題は棚上げにして」 
 ランチョンから出ると、靖国通りには藍色の夕闇が垂れこめていた。ぽつぽつと街の明かりがともり始めている。ビルの谷間を吹く風は意外に涼しい。 
「今日はこれからどうされるんです?」 
「謎の読書会へ行くんです」 
「なにそれ。面白そうじゃないですか」 
「私だって自宅に立て籠もっているばかりではない。たまには作品のヒントを求めて探索の旅に出かける。図書館時代の同僚が連れていってくれるんですよ」 
「次の作品にも役立つかもしれませんね」 
 やがて駿河台下の交差点までやってきた。 
 別れ際、編集者は念を押した。 
「本当にお願いしますよ。『千一夜物語』もほどほどにして……」

○  

 私は千代田線に乗って明治神宮前で下車した。 
 待ち合わせ相手の友人は改札前で待っていた。彼は永田町の国会図書館に勤めていて、かつて私が情報システム課で働いていたときに同じ係にいた元同僚である。 
 我々は「やあやあ」と挨拶を交わして歩きだした。 
「どこでやるんです?」 
「表参道の近くの喫茶店らしい。ほら、これが地図」 
「なんというか、ワタクシには似合わぬ場所のようですな」 
「なにごとも経験だよ、モリミン。きっと執筆の役に立つ」 
 なぜかその友人は私のことを「モリミン」と呼ぶ。ムーミンの亜種のようであるが、たしかに小説家なんていうものは半ば空想の生き物であり、人類よりはムーミンに近い。ろくに新作も書かない私などはとりわけそうであろう。モリミン谷の暢気のんきな住民としての自覚を持つべきである。 
 その友人はワインと読書を愛する人だが、不思議な人脈の広さでも知られている。どうやって出会っているのかよく分からないが、その人脈にはアニメーション監督があり、レストランのオーナーあり、編集者あり、弁護士あり、という自由自在ぶりである。その夜、私たちが向かおうとしていた「沈黙読書会」のうわさも、その人脈の彼方から伝えられてきたものであった。 
 いったい沈黙読書会とは何か。 
「僕も一回覗いたことがあるだけだよ」と友人は語った。 
 それは何らかの「謎」を抱えた本を持ち寄って語り合う会であるという。それがどんな謎であるかということは、参加者それぞれの解釈にゆだねられている。たとえばその夜、友人は紀田順一郎編『謎の物語』、私は『千一夜物語』を携えていた。小説にかぎらず、哲学書でもマンガでもなんでもよい。そこに謎があると解釈できるならどんな本でもかまわないのである。ただし参加者はそれがどんな謎であるのか語ることができなければならない。 
 面白いのは、そうやって持ち寄られた謎を解くことが「禁じられている」ことである。たとえ凡庸ぼんような謎であったとしても、余計な口をだしてそれを解決することはエチケットに反する。そのかわり、その本に含まれている他の謎、それらの謎から派生する謎、連想した他の本については、いくらでも語ることが許される。それが絶対的ルールなのである。 
「でも読書会なんだからしゃべるわけでしょう?」 
 私は言った。「どうして『沈黙』なんですかね」 
「語り得ぬものを前に人は沈黙すべきだからじゃないかな」 
「おや! なんだか洒落しゃれたことを言う」 
「僕だってたまには洒落たことを言うんだよ、モリミン!」 
 夕闇に沈んだ表参道は並木道の両側に華やかな店舗の明かりがきらめいていた。かつて東京に暮らしていた頃だって、とんと御縁のなかった一角である。 
 かつて私が国会図書館に勤めていたとき、その友人は隣の席だった。彼は机上にお気に入りの本を陳列する癖があった。そこにはプログラミングやデザインや世界の建築物の写真集や効率良く会議をする方法などといったさまざまな本がならんでおり、彼が気に入っている本はとりわけ目立つように陳列されていた。在籍時に私が出版した本もその一角に並んでいたことを懐かしく思いだす。 
 表参道を歩きながら、私は幻の小説をめぐる小説のことを考えていた。友人に『熱帯』のことを話してみると、彼もまた好奇心を刺激されたようであった。 
しいね。その本がここにあれば『沈黙読書会』にピッタリなのに」 
「でも現物が手に入るなら、それはもう謎ではないわけですよ。どこかへ消えてしまって、いまもまだ手に入らないことが謎なんですから」 
「あ、そうか。ジレンマだなあ」 
「そうなんです」 
「うちの図書館でも調べたんだろう?」 
「見つかりませんでしたよ」 
「まあ国会図書館といってもあらゆる本があるわけではないからね。地方の出版物とか、自費出版物とか、納本されない可能性はいくらでもある」 
「まあそうでしょうね」 
「でも不思議な話だなあ。個人にとって三十年は長い歳月だけど、書籍にとっては必ずしもそうじゃないだろう。現物が手に入らないとしても、著者とか、読んだ人とか、痕跡ぐらいは見つかると思うんだ。それなのに何ひとつないっていうのはね、ほんとに謎というしかない。やっぱり沈黙読書会向きの案件だと思うよ」 
 私たちは燦然さんぜんと輝く表参道ヒルズを通りすぎ、やがて「ディオール」の前にさしかかった。店内はまばゆい光に満ちて、なんだか夢の中の景色のようだった。 
 その角を右に曲がると、そこから先は細い路地が続いて、だんだん街は迷路みたいになってきた。表参道の賑わいはすぐに遠のき、夕闇がいっそう濃くなった。 
 くねくねした路地を辿たどっていくと、ガラス張りの建物の二階で美女たちが髪をあれこれしてもらっているのが見えたり、コンクリート打ちっ放しの半地下の空間でホワイトボードを前に謎めいた会議をしているのが見えた。そんなふうに秘密めいた裏町を抜けると、やがて一戸建てがならぶ静かな住宅街に入った。 
 そして沈黙読書会の会場となる喫茶店に着いた。

 それは年季の入った二階建ての洋風の家で、つたの絡まった壁に円い窓がついていた。一階の出窓かられる明かりが前庭の鬱蒼うっそうとした木立を照らし、その一角だけが森の奥のように感じられた。前庭にはいくつか白いテーブルが置いてある。私たちはその庭を抜けて玄関先に立った。「本日貸切」とチョークで書いた小さな黒板がドアの脇に立てかけてある。 
「なかなかステキなところですな」 
「いつもここでやるらしいよ」 
 友人は言った。「店主が読書会の主宰者なんだ」 
「不思議の国への入り口という感じがする」 
 そうして私たちは沈黙読書会へ足を踏み入れたのである。 
 友人に紹介されて黒髭くろひげの店主に挨拶したあと、私たちは店内を見てまわった。その店はいくつかの板張りの部屋に分かれていた。読書会の参加者は私たちを含めて二十人ぐらいであろう。ふたりきりで真剣に話しこんでいる人たちもいれば、五人ぐらいで賑やかに話している人たちもある。さすがに子どもの姿はなかったが、大学生風の若者から老人まで年齢はまちまちで、私はアメリカ映画に出てくるホームパーティの場面を連想した。この読書会ではどのグループに加わってもいいし、気が向いたときに別のグループに移ってもいい。他人の持ち寄った「謎」を解きさえしなければ―それが唯一の決まりである。 
 やがて私たちもひとつのグループに加わることになった。 
 ちょうど白髪の男性が岡本綺堂おかもときどうの怪談について語っているところで、そこからアーサー・マッケン『怪奇クラブ』の話になり、さらに百物語をめぐる話になった。ちょうどいい流れだと思って、私は『千一夜物語』について語ることにした。 
「これは有名なことかもしれませんけど……」 
 いわゆるアラビアン・ナイトとして人気のある「シンドバッド」「アラジン」「アリババ」は、いずれも本来は『千一夜物語』に含まれていない。それらは十八世紀以降、『千一夜物語』が西洋に紹介されていく過程でまぎれこんでしまった物語なのである。「シンドバッド」はもともと別の写本であったし、「アラジン」と「アリババ」にいたっては、元になった写本さえ見つからず、「孤児の物語」と呼ばれている。現在我々が『千一夜物語』だと思っているものは、そういった出自のよく分からない物語を飲みこんで膨張してきたものなのだ―。 
 私がそんなふうに一夜漬け的知識を披露すると、そこから話題は膨らんでいった。偽写本からの連想で「ヴォイニッチ写本」の話をする人もあれば、『サラゴサ手稿』という奇妙な小説を紹介してくれる人もあった。それはポーランドのヤン・ポトツキという人物が十九世紀のはじめに書いた作品で、『千一夜物語』に輪をかけて複雑怪奇な「入れ子構造」を持つ長大な幻想小説らしい。ポトツキ氏本人もまるで怪奇小説の登場人物のような人であって、彼は晩年、自分が狼男になったと思いこみ、銀の弾丸で自殺したそうである。 
 しかしこんなことを書いているときりがない。 
 一時間ほどして、私は手洗いへ立った。 
 用を足して戻ろうとしたとき、ふと私は階段下で立ち止まった。その階段には妙に心惹かれる雰囲気が漂っていた。鈍く光る木製の手すりがついており、小さな円窓のある踊り場で右手へ折れ曲がって、明かりの消えた二階へ通じている。踊り場には小さなテーブルが置かれ、赤い硝子ガラスかさのついたランプが潤んだような光を放っていた。階段口は太い金色のロープでふさいであって、二階へのぼることは禁止されているらしい。 
 しばらく私は暗い二階の物音に耳を澄ましてみた。何の物音も聞こえないが、なんとなく人の気配がするようでもある。いまもうひとつの怪しい読書会が二階で開かれているとしたら―そんな妄想から小説が始まったりするわけである。 
 ふいに背後から声をかけられた。 
「どうかされましたか?」 
 私が振り向くと黒髭の店主が立っていた。 
 職業柄、私はこんなふうにして妄想にふけることがあるのだが、そういうとき「何をしていた?」と訊ねられることほど困ることはない。盗みに入る家を物色していたところ、警官に声をかけられた泥棒のようなものである。私はしどろもどろになりながら、「あのランプは素敵ですね」と呟いた。店主は「ああ」と階段を見上げた。 
「あれは俺が子どもの頃からあるねえ」 
「ご両親のお宅だったんですか?」 
 十年前にこの家を両親から引き継いで喫茶店を開いたと店主は言った。このような内輪の読書会だけでなく、雑誌やテレビの撮影にも貸し出しているし、自分でイベントを企画することも多いという。「歴史っていうほどでもないが、もうこの家も七十歳近くになるだろう。もちろん店を開くときにはあちこち改装したんですよ。でもこの階段はほとんど昔のままだな。子どもの頃にはこの階段が怖かったねえ。踊り場のランプも不気味だし、暗い二階も怖いし」 
「ああ、子どもには怖いでしょうね」 
「ほんとに俺は怖がりな子どもだったのよ」 
 店主の風貌からは子ども時代のことが想像しにくい。がっしりと頑丈そうな体格をしており、その顔は黒々とした濃い髭に覆われている。「南極探検隊に所属する熊」という感じがする。 
「みみしっぽう、って知ってる?」 
 唐突に店主が訊ねてきた。 
「みみしっぽう?」 
「絵本に出てくるお化けなんだけど」 
「……いや、知りませんね」 
「たぶん図書館で妹が借りてきた本だと思うんだが、子どもの頃に読んだのよ。森の中の小さな小屋を訪ねてくるお化けの話なんだ。どんな姿をしているのかも分からないし、もちろん正体も分からない。とにかく怖い話だった。その日はたまたま母親がちょっと出かけていて、妹にせがまれて俺が読んでやったんだよ。あまりの怖さに最後まで読めなくて、俺はその本をパッと閉じると、ソファの隙間に押し込んだ。そうしてふたりで息をひそめているとね、なんだか二階から物音がするのよ。俺たちは勇気を奮い起こしてこの階段の下まで来た。もう夕暮れだったから二階は暗かった。そうして階段下にたたずんでいると、二階をみみしっぽうが歩きまわる気配がするんだ。いまにも階段を下りてくる、下りてくると思いながら、俺たちは身動きもできなかったよ。母親が帰ってくるまで」 
 似たような経験が自分にもあるような気がした。 
 結局二階には誰もいなかったんだけどね、と店主は笑った。 
「それきり読んでない。いまでも『みみしっぽう』は謎のまま」 
「もう一度読んでみようとは思わないんですか」 
「それはイヤだね。だって『みみしっぽう』の正体がつまらないものだったら、俺の子ども時代そのものがしぼんでしまうような気がするから。これは俺にとって大事な思い出なんだよ。だから俺は今さらあの本を読もうとは思わないし、この階段や踊り場は自分が子どもだった頃の雰囲気のままにしてある。謎はそのままにしておくことが大事よ」 
 ようやく私は店主の言いたいことを理解した。 
「なーるほど。だから『沈黙』読書会なんですね」 
 店主は我が意を得たり、というようにうなずいた。 
「俺たちは本というものを解釈するだろ? それは本に対して俺たちが意味を与える、ということだ。それはそれでいいよ。本というものが俺たちの人生に従属していて、それを実生活に役立てるのが『読書』だと考えるなら、そういう読み方は何も間違っていない。でも逆のパターンも考えられるでしょう。本というものが俺たちの人生の外側、一段高いところにあって、本が俺たちに意味を与えてくれるというパターンだよ。でもその場合、俺たちにはその本が謎に見えるはずだ。だってもしその謎が解釈できると思ったなら、その時点で俺たちの方がその本に対して意味を与えていることになってしまう。それで俺が考えたのはね、もしいろいろな本が含んでいる謎を解釈せず、謎のままに集めていけばどうなるだろうかということなのよ。謎を謎のままに語らしめる。そうすると、世界の中心にある謎のカタマリ、真っ黒な月みたいなものが浮かんでくる気がしない?」 
 それは店主の長年の持論なのであろうか。さすが沈黙読書会という風変わりな読書会の主宰者だけのことはある。 
 あっけにとられていると、店主は陽気に私の肩をたたいた。 
「ま、そんな感じですよ。エンジョイしてくださいな」  
 そして店主は階段下のロープをまたぎ、ひょいひょいと二階へ駆け上がった。彼が姿を消したあとも二階は静まり返ったままで、明かりが点ることもなかった。まるで狸か狐に化かされたような感じがした。しかし、ここは東京ど真ん中の喫茶店なのである。 
 私は玄関脇の窓に歩み寄り、前庭の木立を見つめた。 
 謎の本について語り合う人々の声がふたたび聞こえてくる。 
 なんだか物語の一場面のようであった。

 もとの席へ引き返すとき、ひとつのグループに注意を惹かれた。 
 それは男女五人の集まりで、前庭に面した大きな窓の前にあるソファ席で向かい合っていた。ひとりの男性がギリシア哲学について熱心に語っている。 
「これはまた難しそうな話をしているな」  
 私は立ち止まって聞き耳を立てた。 
 そのとき、ソファの奥に腰かけているひとりの女性が気になった。二十代半ばぐらいの小柄な女性で、好奇心で生き生きと光る大きな目をしている。彼女は少し前屈みの格好になって、ギリシア哲学談義に耳を傾けていた。たしかに魅力的な風貌の女性だったが、私が注意を惹かれたのは、彼女が膝にのせている本だった。それは文庫本よりは少し縦長のサイズだった。緑や赤の幾何学模様が印刷されたその表紙には見覚えがある。 
 まさか、と私は思った。 
 やがて彼女は私の熱視線に気づいて、いぶかしそうにこちらを見た。彼女が本を持ち替えたので、タイトルが目に入った。 
 それは佐山尚一の『熱帯』だった。 
 あまりに驚いたので、私は声をかけることもできなかった。急いで彼らのグループから離れ、元の席へ戻ると友人に耳打ちした。 
「やばいことになりました」 
「え、なに? トラブル?」 
「『熱帯』を見つけてしまった」 
 友人はギョッとして身を起こした。「ほんとに?」 
「あそこ。窓辺のグループの女性が持ってるんです」  
「そんな馬鹿な。だって幻の本なんだよね?」 
「すごい偶然ですよ」 
「いやいや、そんな偶然あるわけないよ」 
 友人は疑わしそうに言った。「見間違えじゃないの?」 
「とにかく彼女に話しかけてみようと思うんです」 
「よし。僕も行こう」 
 そうして私たちはグループの人々に別れを告げ、先ほどのグループへ近づいていった。ギリシア哲学男は私たちの顔を見て口をつぐんだ。私は「お邪魔してすいません」と声をかけてから、女性に向かって言った。 
「その本がどうしても気になって」 
 彼女は用心深く『熱帯』を胸に抱えるようにした。 
「この本?」 
「それは私にとって大事な本なんですよ」 
「あなたはこの本を読んだことがあるの?」 
「……あります」 
「本当に? ちゃんと読んだんですか?」 
 彼女はその大きな目でまっすぐ私を見つめてきた。そんなふうに念を押されて私はたじろいでしまった。私は『熱帯』を最後まで読み切っていないのである。ここは正直に言うべきだろうと思い、「途中までですけどね」と付けくわえた。 
「ふうん。そうですか」 
 彼女は黙って私の顔を見つめた。そのままプイとどこかへ行ってしまいそうな気配がぐんぐん高まったが、ふいに彼女はニッコリと笑った。 
「それじゃあ、どんな本なのか教えてもらえます?」 
 にこやかな態度だが、「いいかげんなことを言いやがったら承知せんぞ」という強い意志も感じられた。ギリシア哲学男は演説に邪魔が入ったことに不服そうだったが、それでもグループに加わるように言ってくれた。 
 私は手近な木の椅子を持ってきて腰かけた。 
「なかなか説明が難しいんですけれども」 
「それは承知しています」 
 そういうわけで私は思いだせるかぎりの『熱帯』の内容を語った。その間、彼女はテーブルに置いた『熱帯』から手をはなすことなく、かすかに眉をひそめるようにして微動だにしなかった。本当に話を聞いてくれているのか不安になるほどであった。 
 十六年も前に読んだ本について、見知らぬ人々を相手に語るのはたいへん難しかった。我流の読み方ばかりしている私は、ただでさえ読んだ本の概要を説明するのが苦手なのである。話しているうちにだんだん惨めな気持ちになってきて、どうして自分はこんな小説を十六年間も探してきたのだろう、ひょっとすると自分はとんでもなく阿呆なことを必死で喋っているのではないかと思われてきた。先へ進むにつれて記憶は曖昧になり、私は「えーと」「たしか」「どうだったかな」と連発するようになり、ついには一言も発することができなくなってしまった。私が黙りこむと、元同僚が腕をつついた。 
「それで? そのあとは?」 
「ここで終わりです」 
「え、それで終わりなの、モリミン!」 
「だって僕は最後まで読んでないんですから。実物を読めば……」 
 私はそう言ってテーブルの上の『熱帯』を指さした。そのとたん、彼女は『熱帯』を取り上げてふたたび胸に抱えこむようにした。これだけ礼儀正しく接しているというのに、どうしてそんなに用心するのであろう。それほど私は胡散臭いオッサンに見えるのであろうか。 
 しばしの沈黙の後、彼女は軽く頷いた。 
「この本を読んだことがあるというのは本当みたいですね」 
「もちろん本当です」 
「でも結末は知らないんですね?」 
「だから私はその本を最後まで読みたいわけですよ。譲ってくれとは言いません。読み終わったら貸してもらえませんか。いや、もし売ってくださるのなら……」 
「売るつもりはありません」 
「いや、無理強いするつもりはないんですよ。読ませてもらえさえすれば」 
「本当にそんなに読みたいんですか?」と彼女は言った。「実際にこの本を読んだら、あなたの想像していたものとは全然違うかもしれませんよ」 
 それはたしかに彼女の言うとおりであろう。かつて自分が傑作だと思っていた本が、月日の経つうちに色せてしまうのはよくあることだ。一度は魅力を失った本が、さらに歳月が流れると、ふたたび魅力を取り戻すこともある。かつては退屈に感じられた本が、いま読み返してみると面白いということもある。本というものは、現在の我々自身との関係においてしか「実在しない」といえるだろう。 
「なんとか読ませてもらえませんか」 
「じつは私もこの本を最後まで読んでいないんです」 
「いくらでも待ちますよ。あなたが読み終わるまで」 
 彼女は不思議な目つきでこちらを見た。それをどう表現したものだろう。まるで小学校時代の先生に遠くから見守られているような感じだった。 
 彼女は思いがけないことを言った。 
「私はこの本を読み終わらないと思います」 
「こういうことを言う権利はないということは重々承知しておりますけど、できればですね、もう読むつもりがないということなのであれば……」 
「あなたは何もご存じない」 
 彼女は指を立てて静かに言った。 
「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」

 喫茶店に充ちているささやき声が一瞬、遠ざかるようだった。先ほどまで不服そうであったギリシア哲学男もいつの間にか、私たちの会話に引きこまれている。 
 私は咳払いして彼女に訊ねた。 
「それはつまり、どういう意味です?」 
「文字通りの意味です。この本は最後まで読むことができない」 
「それなら」と元同僚が口を挟んだ。「最後の頁を開いて読んでみればいいんじゃないかな。とりあえず最後がどうなるのか分かりますよね?」 
 彼女は冷ややかに彼を見た。「最後の頁だけを読んで、それで小説を読んだということになりますか。最初の文章から小説の中の世界に入っていって、そうして最後の頁まで到着しないと、その小説を読んだとは言えないんじゃないですか?」 
「うーん」 
「ですよね?」 
「前言撤回いたします」 
 友人は大人しく引き下がった。 
「『熱帯』は小説です」と私は考えながら言った。「小説というものは、誰々が何をしてどうなったというふうに要約してみたところで、あんまり意味はないものです。登場人物たちと一緒になってその世界を生きて、夢中になって読んでいる間だけ存在している。そこが一番小説にとって大事なことです。しかし『熱帯』は、そのように読むと最後まで辿りつけない、ということですか?」 
 彼女は謎めいた微笑を浮かべている。 
「あなたも最後まで読めなかったんでしょう?」 
「しかしそれは私が『熱帯』を紛失してしまったからで……」 
「私は他にも『熱帯』を読んだ人たちのことを知っています。けれども、その人たちの中にも、最後まで読んだという人はひとりもいない」 
「ほかにも読んだ人がいるんですか?」 
「もちろん。彼らはひとつの結社を作っているんです。じつを言うと、私はその人たちから『熱帯』の謎について教えてもらったの。『熱帯』は謎の本なんです」 
「謎の本―」 
 私が呟くと、彼女は頷いた。 
「ここへこの本を持ってきた理由、お分かりですよね? この世界の中心には謎がある。『熱帯』はその謎にかかわっている」 
「たいへん面白い」 
「どういうことか知りたいですか?」 
「ここで話を止められたら生殺しですよ」 
 気がつくと黒髭の店主が我々のかたわらに立っていた。彼は銀色のポットを傾けてカップに珈琲コーヒーを注ぎながら、「今宵こよいは俺もこのグループに加わるとしよう」と言った。店主が聞き手に加わるのを待って彼女は『熱帯』をふたたびテーブルに置いた。 
「この小説はこんな言葉から始まるんです」 
 彼女は言った。「汝にかかわりなきことを語るなかれ―」 
 そのとき、鮮やかな南の島の情景が目の前にちらついた。まぶしく光る白い砂浜、暗い密林、澄んだ海に浮かぶ不思議な島々。頰に吹きつける風の感触さえ思いだせそうな気がする。小説『熱帯』を読んだ十六年前の夏、たしかに私はその海辺に立っていたのだ。ようやく謎の解けるときがきたという期待に胸が高鳴る一方で、これから語られる物語は、新しい謎の始まりにすぎないのではないかという予感もあった。 
 あのシャハラザードの言葉が脳裏に浮かんできた。 
「当然のお務めとして喜んで、お話をいたしましょう。ただし、このいとも立派な、いとも都雅な、王様のお許しがありますれば!」

 かくして彼女は語り始め、ここに『熱帯』の門は開く。


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