自意識を素直に認めよう――日テレディレクター・安島隆の愛読書
何の気なしにグッズのスタジャンを羽織って外出するほどには、余韻がぷんぷん残っている。約2ヶ月前の2024年2月18日に開催された「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」。ドームの5万3千人に、ライブビューイング、配信で見てくれたお客さんまで合わせると計16万人。ラジオモンスターならではのモンスター級エンタメは、ニッポン放送の人気ラジオ番組がもとになったイベント。僕は現在テレビ局の局員ですが、縁あって総合演出を務めました。こんな感じのテレビと関係のない仕事が多いので、「何をやっているかよくわからない人」だと言われがちです。
そんな謎キャリアのきっかけは、憧れて就職したテレビ番組制作の世界に適応できなかったこと。いつも西日が差す頃に始まる制作会議は、当然のように深夜まで続く。僕は毎回会議室の端でゆらゆら立つ。「お前は手を後ろに回すと生意気そうに見えるから、前に組んだ方がいい」と会社の同期が教えてくれたので、そうする。たばこの煙越しに見える、おじさんたちの背中。ポロシャツに覆われた脇腹の肉がベルトの上からはみ出て餅みたいに垂れて、笑う度に揺れる。大小・硬軟、色々。あ、吸い殻も、灰皿からはみ出そうになっている。でも楽しそうなおじさんの邪魔になりそうで、取り替えていいのかわからない。今なのか? まだなのか? ぐるぐる脳内会議を続けていると、さっと他のADさんが取り替えた。おじさんに「黙って近づいて来たから、ぶん殴られるかと思ったよ!」といじられながらも、「すんません!」「ガハハハ! 失礼します、くらい言えよ~」「うす!」みたいな感じになっている。こんな時に味わう安堵と敗北感を、手を前に組んで幾度もやり過ごしていたら、27歳で管理セクションへと異動になった。番組制作に向かない、と烙印を押されたと思った。悔しかった。餅と、餅に取り込まれた奴より俺は駄目なのか。
程なくして、映画専門学校に通い始めた。定時で会社を飛び出し、スーツを着替える間もなく教室に駆け込む。講義直前、最後列に着席。仲間内で談笑する度に揺れる、カラフルな夢がこぼれ落ちてきそうな若い背中をガソリンにしつつ、脚本の構想を練る。この学校では、脚本が評価されたら監督として映画を撮れる。あわよくば賞も獲れたらテレビでの挫折も全部チャラだ。遊び半分の若者に負けるわけがない。正直に言うと、一人濃紺のスーツで紛れている自分の場違い感、嫌いじゃなかった。なんとか書き上げた脚本は、講師による一次選考を通過した。
最終審査は全生徒100人余りによる投票。その前に候補者が順番にプレゼンする。マイクに入りそうな位、鼻息を荒くして教室のホワイトボードの前に立った。その時、初めて他の生徒たちの顔を見た。そういえば、いつも背中ばかり見ていた。すると次の瞬間、腰がひけるような感覚に襲われた。生徒たちが放つ純粋な熱に気圧された。思わず目を逸らした。ただ映画が好き、だから面白い脚本を選びたい、という強い気持ち。それに比して、傷ついた自意識を埋め合わせるべく参加した自分。100人の目で見透かされ、ぶん殴られ、プレゼンは散々だった。もちろん映画は撮れず、学校もやめた。
そんな苦い経験を経ても何かを作りたい。自意識は消えずにくすぶり、時々体内で暴発しそうで苦しかった。自分と同様に、冴えない現状に頭をかきむしっていた若き天才・南海キャンディーズ山里亮太さんとオードリー若林正恭さんを引き合わせ、ユニットを結成。ライブ活動を始めた。
その頃である。すがるように手に取った大槻ケンヂさん著の『サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法』(白夜書房、現・角川文庫)が、僕のお守りになった。大槻さんはロックバンドのボーカルに加え、小説やエッセイ、バラエティでも活躍。そんな生き様とノウハウが本音で綴られた本だった。身も蓋もないタイトルが好きだった。とにかく、金を稼ぐんだよ生きるためには……。そのストレートさが心に刺さった。そして本書にはこんな一節があった。
「とりあえずバカになって、どんな表現であっても恥をかくことをものともせずに発表しなくちゃはじまらないですから」
あ、これなら、俺もできるようになった。失敗を恐れて灰皿も替えられなかった自分が、拙いけど短編映画の脚本を書き、規模は小さいけど舞台で演出をやった。
そして、山里さん、若林さんの力を借りて再出発した。
以下の一節と自分の活動のシンクロぶりに、勝手に運命を感じた。
「『何かができない』って、逆に人生においてチャンスとなり得るものなんですよね。『何かができない』というコンプレックスがあったからこそ『色々やってみる』という選択ができたわけですから」
山里さんと若林さんのユニット名は「たりないふたり」。社交性はたりないけど、自意識と自己顕示欲は暴走中。そんな自らのコンプレックスを認め、武器にして笑いに変える、というライブだった。たりなさがあるからこそ、テレビだけではなく色んなジャンルに飛び込める。厄介者扱いしていた自意識を素直に認めよう。そう考えたら過去の自分も許せたし、囚われてきた自分を超えた景色がこの先に広がっている気がした。
そして2024年2月18日、オードリーの東京ドームライブ本番。この日を待ち望んでいたお客さんが、ステージ裏までパンパンにひしめき合う。会場全体から放たれる、巨大なエネルギー。それを体の真芯で受け止めて、オードリーの素晴らしさと愛を全力で漏れなく伝えたい。喜びとプレッシャーでほとんど泣きそうになった。
でも俺だってこんな日を待ち望んできたんだ。動き回っていたのはバックヤードだけど、お客さん一人ひとりの顔を見つめているつもりだった。そんな僕を、自意識が優しく見つめてくれていた。信じられない量の笑いと、拍手と、歓声とがごちゃまぜになった、ただ熱いものに、心踊った。あの日確かに、16万人のお客さんとオードリー、ゲスト出演者、そしてスタッフは、おともだちだった。そのことは今の僕にとって何よりの喜びだと、心の底から思えた。自分の紆余曲折、遠回りの道のりは自分なりのROAD TO 東京ドームでもあったんだ。
「どんなことでもムダだなんてことはないんですよね。当たり前のこと言っちゃいます、すべてのことには意味があります」(『サブカルで食う』大槻ケンヂ)
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