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2023年6月の記事一覧

ピアニスト・藤田真央エッセイ #28〈モーツァルトの真骨頂――巨匠ヤノフスキとパリ・デビュー〉

 昨年はイタリアでの公演は1度きりで、あまり縁がない国だなと思っていたのに、今年は数多の公演に呼んでいただけた。それはフランスも同様で、コンサートがないなあと思っていたら、立て続けにオファーがあり、何度もシャルル・ド・ゴール空港を訪れることになった。  そう、今年5月26日、私はパリでのオーケストラ・デビューを果たした。曲は《モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番》、オーケストラはフランス放送フィルハーモニー管弦楽団。指揮はこれまた大ベテラン指揮者、御年84歳のマレク・ヤノフス

『aftersun/アフターサン』――父と娘を映しだし、心揺さぶる特異なショット|透明ランナー

 2023年5月26日(金)に日本公開された1本の映画が、公開から1ヶ月以上経っても口コミで多くの観客を集め、「エモい」「刺さった」と評判になっています。『aftersun/アフターサン』(2022)はスコットランド出身の監督シャーロット・ウェルズ(1987-)の長編第1作で、彼女の半自伝的な物語でもあります。  11歳の夏休み、トルコのリゾート地にやってきたソフィ(フランキー・コリオ)と、離れて暮らす父カラム(ポール・メスカル)。プールやビリヤードで遊んだりする中で、ふた

ピアニスト・藤田真央エッセイ#27〈ラフマニノフが弾いたホールで、彼の曲を――ウィーン・デビュー〉

 ブレシア公演の後、幾分空いて5月4日にはツアー2公演目のベルガモ公演が予定されていた。私は前日にミラノ入りし、3月に訪れたイタリアンレストランに向かった。あの時食べたアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノが忘れられず、ホテルから20分ほど人混みの中を苦労して歩いた。  待望のペペロンチーノの皿が私の前に置かれ、一口食べてみると少々違和感を覚えた。前回食したような、口に運ぶたびに、さまざまな感動をもたらしてくれるようなものではなかった。私が過剰な期待を抱いてしまったからだろうか。

ピアニスト・藤田真央エッセイ #26〈響きのないステージと傾いたピアノ――イタリア・ツアー始動〉

「ニーハオ、ニーハオ」  イタリア・ミラノの青空の下、大聖堂の近くを歩いていた私は見知らぬ黒人男性に声を掛けられた。しばらく無視していたが、「コニチワ、コニチワ」と片言の日本語に切り替えられたので、思わず足を止める。すると彼は「トウキョ? ホンダ、ナガトモ、私たちはフレンドだ」と親しげな笑みを浮かべ、私に腕を差し出してグータッチをしようとしてきた。何もそれくらいは断ることもあるまいと、私も腕を差し出す。その瞬間を待っていたのだろう。あっという間に私の手首にはミサンガが巻かれ、

ブックガイドーー日本語と英語の不思議|白石直人

 日本語は私たちが普段当たり前に使っているものだが、いざ落ち着いて考えてみると案外不思議な面も少なくない。逆に英語を習い始めたときには、英語の奇妙さに頭を悩ませた人も多いだろう。この記事では、英語と日本語の身近な疑問を、歴史や考え方から解き明かす本をいくつか紹介したい。 ◆身近な日本語の再発見 柴田武、國廣哲彌、長嶋善郎、山田進・著『ことばの意味1──辞書に書いてないこと』(平凡社ライブラリー)は、普段当たり前のように使っていることばの意味の微妙な違いを、多数の例文を取り上

朝倉かすみ「よむよむかたる」#006

「返事なんぞ期待しちゃいません」 会長の言葉に、安田はかつて〈ご返事ご無用〉の手紙を書いたことを思い出した  マンマの「読み」は、抑揚のつけ方がいくぶん大袈裟で、なんでもない場面でも大変なことが起きている印象を与え、ドラマチック読みとか、大輪の深紅の薔薇読みとか、波瀾万丈読みと評価されている。「我が読む会の看板女優」というキャッチコピーが献上されていて、マンマが朗読し終えると、かならず誰かがそう口にするのが一種の型になっていた。  三節で「ぼく」は小人の話をいろいろ調べ、ア

イナダシュンスケ|好き好き懐石

第13回 好き好き懐石 懐石料理が大好きです。  僕は今回その愛を存分に語りたいと思っているのですが、その前にちょっとやらなければいけないことがあります。若干面倒臭い、言葉の定義と蘊蓄(生きていくのには別段役に立たない知識)です。  懐石料理は会席料理とも書かれますが、この両者は厳密には異なります。懐石は本来、表千家、裏千家といった茶事の席の料理。会席料理という言葉自体は、実は懐石という言葉が生まれる以前から存在はしていたのですが、懐石のスタイルが成立した後、それを茶室ではな

タカザワケンジ|白石一文の最新作『投身』が問いかける、本当に面白い小説とはなにか?

***  面白い小説とは何だろう。白石一文の小説を読むたび浮かぶのはそんな素朴な疑問だ。ページをめくればすぐにその世界に引き込まれ夢中になるのだが、それがなぜなのかがわからない。  『投身』は二十以上年齢が離れた男と女がスナックで飲んだ帰りに月を見るところから始まる。主人公は女性の旭。四十九歳で、「ハンバーグとナポリタンの店 モトキ」の店主だ。男性は二階堂。不動産業を営んでいたが、いまは息子に代を譲って引退し、悠々自適の生活を送っている。物語はこの二人の恋愛を描いたものでは

今井真実│妄想ホームステイーーベルクワンダーランド

第2回 妄想ホームステイーーベルクワンダーランド  駆け足で駅の階段を降りると、新宿行きの急行と各駅停車が、同じタイミングでホームへやってきた。到着までの時間の差は、10分弱。どちらに乗ろうか――少し逡巡して、各駅停車の方へ乗ることにした。  新宿に着くまでに、少し時間がほしい。ランチのお店を決めるには、落ち着いてゆっくりと考える必要がある。  今日の外出の目的はファンデーションのリフィルを買うこと。  ここ2週間ほど、四隅に残ったパウダリーをいじらしくちびちびと使って、

6/3(土)TBS系列「王様のブランチ」に登場! 『愛されてんだと自覚しな』――著者・河野裕さんロングインタビュー

作家の書き出し Vol.25 〈インタビュー・構成:瀧井朝世〉 ▼書店員さんからのご感想はこちら ◆千年分の記憶をもって、今世を生きる——新作『愛されてんだと自覚しな』、もう本当に胸がときめくお話でした。あまりに面白くて、思わず二回読みました。 河野 ああ、よかったです。物語全体に大きな「仕掛け」を用意したこの作品を、どう楽しんでいただけるかなとドキドキしていたので、そう仰っていただけてほっとしました。 ——初読と再読ではぜんぜん読み心地が違うんですが、どちらも最高に

今村翔吾「海を破る者」#022

「海を破って行け。全てが終われば、いつか必ず――」 元の再襲来が近づく中、六郎は令那たちと約束を交わした。 「今、申した通りだ。我らの勝ち目は薄い」 「違う」  首を小さく横に振り、令那は震える声で言葉を重ねた。 「何故……そこまで……」  してくれるのか。と、令那は問うた。 「解るだろう?」  六郎はそっと頰を緩める。  始まりは少年の時分の夢であった。海の向こう。遥か遠く。未だ見ぬ国々があり、未だ見ぬ多くの人々が暮らしているのかと思い浮かべた。  それを多くの者は馬鹿に