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ピアニスト・藤田真央エッセイ #54〈20歳で作曲したカデンツァを――バイエルン放送交響楽団・後篇〉

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 今年は嬉しいことに、ドイツの様々な地域での公演を控えている。ドイツと一言で言ってもいずれの都市も表情が異なり、それぞれに個性を持っていて面白い。

 ここミュンヘンは空気が澄んでいてなんとも気持ちが良い。バイエルン州出身のマネージャー曰く、街を抜けたところにある牧場の香りが、時折風に乗って都心まで伝わってくるそうだ。私が住むベルリンと比較しても、多くの歴史的建造物がそのままの形で残っており、ヨーロッパ的な雰囲気が優雅で楽しい。それでいて中心部はパッと華やかで、レストランや商業施設も豊富だ。

 この音楽大国には多くの楽団や歌劇場があり、公的資金で運営されている市立・州立などの団体だけでも、129のオーケストラが存在するという。

 それぞれの楽団が本拠地として保有するホールを訪れるのも楽しみの一つだ。今回の会場はイザール・フィルハーモニー。このホールは日本を代表する音響設計家・豊田泰久さんが手がけたものである。豊田さんのホールの特徴はなんといっても極上の響きが堪能できること。現代的な容貌から一見多目的ホールのように見えるこのフィルハーモニーも、一度音を出すとまろやかで豊潤な音色が響き渡る。どんなppでもホールの最後列まで届くため、弱音を武器に繊細な表現に挑むことを可能にしてくれる。

 ついにバイエルン放送交響楽団との共演初日の2月8日がやってきた。公演は20時から始まる。朝10時からのゲネプロでも、ビシュコフは大粒の汗をかきながら真剣に最終調整を行なっていた。私も本番さながらの演奏で応えると、オーケストラへもその空気は伝播し、緊張感のある音楽が作り出せた。オーケストラと良い関係性が出来上がってきている予感に、胸が高鳴った。

 楽団員はゲネプロが終わるといったん家に帰ってランチを済ませ、夕刻にホールへ戻ってくるが、私はホールに残ってピアノの前で夜を待った。ゲネプロの感覚を忘れないよう、ひたすら体に覚えさせていく。特に〈1楽章〉の入りは壊れたレコードのように何度もループし、どのような状況に陥っても同じ音の響きや音色を引き出せるようにした。

 冒頭、オーケストラの主題提示が終わり、受け渡されたピアノの最初のメロディは「ラ-ラ-ド♯-ミ-レ-レ」たった6音である。

 一音目の「ラ」と、つづくオクターブ上の「ラ」の音をいかに印象深く、憂いの込もった音で浮き上げられるかが肝なのだ。ただ単純に2つの「ラ」を鳴らしてしまってはいけない。最初の「ラ」からの1オクターブの間に、「シ-ド-レ-ミ-ファ-ソ」を飛び越えて上行するエネルギーが詰まっていることを全身で感じ取りながら、次の「ラ」を弾く。そして今度は冒頭2小節を大きなラインで俯瞰して捉えながらフレーズを終結させる。

 この6音の扱い方で音楽家のセンスが測れるほど、このフレーズには様々な可能性が含まれている。

 例えば、最初の「ラ-ラ」を十分に歌ってその後のフレーズは収束させる方法もあれば(私はこれを採用する)、フレーズの山を4音目の「ミ」に置くことでしなやかにクレッシェンド、ディクレッシェンドすることもできる。他にも最初の6音のフレーズはひっそりと、そして次の発展するフレーズを大きく……といったように2つのフレーズで広く捉えることも可能だ。

 冒頭四小節だけでも様々な解釈ができる。このような地道な考察を全てのフレーズ、小節で突き詰めていく。

 鍵盤に重みを加えるだけで音が鳴るピアノは、最大限に配慮をしなければ無神経な音が簡単に出てしまう。特にモーツァルトのような限られた音の中で表現しなければならない作曲家はボロが出やすい。今宵も緻密な設計図を手にステージに向かわねばならない。

 20時3分、「出番ですよ」とステージマネージャーが楽屋をノックした。「すぐに行きます」と返事をして、最後にもう一度冒頭のフレーズを弾いてみる。納得がいくまで練習したはずが、どうしようもない程の緊張で、何が正解なのか分からなくなってきた。いよいよオーケストラのチューニングも終わってしまったため、覚悟を決めて楽屋を後にする。ビシュコフは無言でその最終準備を待ち、私がステージへ上がる決心がついたのを確認すると、ただ静かに後ろからついてきた。

 今回私は、本番で使用する椅子に楽団員用の背もたれ式のものを選んだ。これはピアノ庫で長い時間を共にした相棒で、私の身体にすっかりフィットしている。いつもはピアノ専用のベンチ式椅子を使っているのだが、《第20番》のようにオーケストラによる長い序奏があると、ジリジリと迫る緊張感の中でふいに「椅子の高さを調節するか否か」などという雑念が脳裏をかすめるかもしれない。しかし最初から調節不可能なものを選んでおけば、一度舞台に出てしまえばこの椅子と心中する運命、音楽だけに没頭できると思いついたのだ。モーツァルト作品であれば、鍵盤の上を右へ左へとそれほど忙しく往来することもない。何より、団員と同じ椅子に座れば、私もこのオーケストラの一員として密接なアンサンブルが期待できると思った。

 ビシュコフは冒頭15小節間、モーツァルトが得意とするさざ波のようなシンコペーションを最大限に生かし、pの世界で不安の陰影を演出した。楔を打ち込むようなティンパニが印象的なフレーズは堂々として重厚感に満ち溢れ、絶えず劇的に性格が入れ替わって緊張感が増していく。どんなにドラマティックなffになろうと、オーケストラの音色は決して割れることなく、ピュアで透明度が高い。その純度高く美しい音は、ピアノの登場に繋がるオーケストラ提示の終結部で最も輝いた。

 最高に心地よいバトンを受けて私の第一音目が始まる。会場中が注目する中、私は印象深く一音目の「ラ」を奏でた。ほんの3分前、チューニングの際にコンサートマスターが押さえたのと同じ鍵盤だが、まるで異なる音が響く。静かだが意思のある色でこの一音を深く刻むことができた。この「ラ」をめいっぱい聴き続けながらオクターブ上の「ラ」を弾く。しかし思わず力が入り込みすぎた。このホールでは少しでも加減を間違えると響きすぎてしまうのを失念していたのだ。いささか鳴り過ぎてしまったのでこの第二音を山にフレーズを捉えよう。

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