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イナダシュンスケ|好き好き懐石

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第13回 好き好き懐石

 懐石料理が大好きです。
 僕は今回その愛を存分に語りたいと思っているのですが、その前にちょっとやらなければいけないことがあります。若干面倒臭い、言葉の定義と蘊蓄うんちく(生きていくのには別段役に立たない知識)です。
 懐石料理は会席料理とも書かれますが、この両者は厳密には異なります。懐石は本来、表千家、裏千家といった茶事の席の料理。会席料理という言葉自体は、実は懐石という言葉が生まれる以前から存在はしていたのですが、懐石のスタイルが成立した後、それを茶室ではなく料理屋で提供する時に改めて用いられることになりました。
 懐石にはなかなか厳格で独特な形式やしきたりがあります。ただし、決して食べる側が堅苦しくならなければいけないようなものではありません。うまいうまいと残さず食べれば基本オーケー。ただ、提供者側に様々な制約があるのです。そんな制約を少しばかり取り払って、よりポップでキャッチーなものにしたのが会席料理とも言えます
「手前共でお出しするのは懐石料理なんて大層なもんとはちょっと違います。どうかお気楽にお楽しみください」
 なんて謙遜しながらも、カイセキはカイセキであり、なおかつ「楽しい宴会で盛り上がって参りましょう!」的な字をあてたわけです。いつの時代も賢い人がいるものです。そしてそれが広く定着しました。
 なので本来は懐石と会席は厳密に区別されるべきではあるのですが、実際はすっかり混同されています。懐石旅館で出てくる豪華な夕食は明らかに会席料理の方ですし、和牛懐石だの寿司懐石だのフレンチ懐石だの、スタート時点からまるで懐石でないものも懐石を称しています。
 SNSで懐石料理を検索すると、「今日は懐石料理を食べました!」という幸福な投稿がいくつも出てきますが、その写真はほぼ全て会席料理の方です。そこに「それは懐石ではありません」といちいちリプライを飛ばしたら一躍有名アカウントになれるかもしれませんが、それはまさに人道にもとる行為です。
 ということで僕もここでは「懐石」の方で統一したいと思います。何の前置きもなく「懐石」という言葉を使って、「あいつは物を知らんやつだ」と思われるのもシャクですし、それが人道にもとる「懐石ポリス」を誘発してしまうのも困る、という理由で、すっかり前置きが長くなってしまったことをお詫びします。どうか皆様に、この無駄知識がいつか役に立つ日の訪れんことを。

 とにかく、懐石料理はワクワクします。席につくと目の前には横長の紙に縦書きでずらずらとその日のお品書きがしたためてある、それを見た時点でテンション爆上がりです。「翡翠豌豆ひすいえんどう」「亀甲生姜きつこうしようが」などと、いかめしい字面が何とも頼もしい。実際出てきたそれは、どう見てもグリーンピースを煮たものと生姜を甘辛く煮たもの、それ以上でも以下でもないわけですが、あんな立派な看板を背負って出てきた以上、そこには尊い何かがあるはずだ、と信じて口に運んでいると、それが確かに只者ではないことにいつか気付くのです。
 お品書きには、やたらと沢山の単語が書き込まれています。どれだけ大量の料理が出てくるのかと怯えますが、「捻り人参」と書かれたそれはお吸い物に浮かぶポストイットサイズのニンジンスライスであり、あんかけの蒸し物の上にのった一すくいの辛子にも「天・辛子」と、ドラマのタイトルのように意味ありげな一単語があてられています。

 慣れてくると、そんなお品書きから全体像が摑めるようになります。文庫本の裏表紙の「あらすじ」のようなものです。文庫本とは違ってオチまでネタバレされていますので、心安らかにその進行を楽しむことができます。
 進行と言えば出てくる料理の順番も非日常です。お吸いものは序盤、大抵は「八寸」と呼ばれる前菜盛り合わせの次に「椀物」としていきなり出てきます。ご飯を伴わない汁物には普段まず遭遇することはありませんが、ここではソロで登場します。言うなればライブにおけるベースソロです。バンドの要がベースであり、和食の要がダシであることをまざまざと見せつけられる序盤のクライマックス。
 しかもそのお吸い物は単なる汁ではなく、手の込んだ真丈しんじよや丁寧に下拵えされた野菜、そしてこまっしゃくれた柚子皮だったり木の芽だったりも浮かんでいます。普段は黙々とサウンドを下支えするベーシストが、ソロになるとスラップだのタッピングだのハーモニクスだのを駆使して大暴れするかの如きカタルシス。

 そこからお刺身、焼き魚、と誰もが大好きなご馳走が続きます。こんなに幸せでいいんだろうか? と不安になります。普段の食事だと主役級の大物が続け様に投入されるのです。畳み掛けるようなソロ回し。
 お刺身も焼き魚も一切れが小さめなのがまたいい。「食べる」のではなく「味わう」モードに自然に切り替わるのです。魚は普段からよく食べていますが、同時に、昨今では肉よりずっと贅沢な食材だったりもします。いつもはそれをぞんざいに扱いすぎていたのではないか、という反省と共にしみじみと味わうのです。ことに懐石料理で使われるそれは、算盤そろばんを弾く経営者が泣きたくなるであろうほどに良いものが使われているため、その感激もひとしおです。
 さてここまで盛り上げておいて、この後はどうなっちゃうの? 幸せすぎて怖い! と震えていると、それを見透かしたように、この後は野菜のターンが続きます。炊き合わせ、蒸し物、酢の物などです。そしてこの展開こそが、フレンチやイタリアンには決して無いもの。つまりそういった欧風料理では基本的に、軽いものから重いもの、という不可逆的な進行がお約束ですが、懐石の場合は焼き魚までで一気に盛り上げた後、その余韻を残しつつ徐々にチルに向かうのです。

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