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【4夜連続公開】朝倉かすみ「よむよむかたる」#009

 老人たちの読書会を描く「よむよむかたる」。最終回まで残り4回となりました。本日より4夜連続で、最終回まで一気に公開します!

◆これまでのあらすじ
 小樽の古民家喫茶店、喫茶シトロンで開かれる〈坂の途中で本を読む会〉。77歳から91歳の6名の老人たちが集う読書会が、コロナ禍を経て再開された。叔母の美智留から喫茶店店主と読書会の運営を引き継がれた安田松生は、〈読む会〉結成20周年事業として秋に開催される「公開読書会」と「記念冊子」の責任者も引き受けることに。
 佐藤さとる・作『だれも知らない小さな国』を課題本とした読書会が賑やかに進む夏のある日、安田はシトロンの店内を覗き込む若い女性の姿を発見した。 

▼第1話を無料公開中!

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5 冷麦の赤いの

 夕方から立て込んで、店を閉めたのは夜八時すぎだった。
 夏休み旅行がピークに差しかかる八月最初の金曜日。
 客はツーリストがほとんどで、喫茶シトロンの店内ではちょっとしたお国なまりの競演となった。きっかけはサッちゃん。最初は関西弁の二人連れに「おおきに」と言ってみるくらいだったのだが、テーブルごとに「ありがとない」だの「だんだん」だのと教えられて広がった。「シェーシェ」の家族連れもいて、サッちゃんはそこん家の五、六歳の息子のツーブロックを「かっこいいね」と誉めていた。
 がやってきたのは、サッちゃんが退けるのと同時だった。玄関で顔を合わせ、「あらやだ久しぶり」、「元気だった?」とからだを入れ替え、立ち話をするふたりをやすはカウンターを拭く手を休めて眺めた。「ゆっくりできるの?」、「それがすぐ帰んなきゃなのよう」、「なにそれ束縛?」、「まさか。離れたくないのはコッチのほう」、「一瞬たりとも的な?」、「たりとも、たりとも」とげらげら笑い、「時間あったら遊びにきてちょ」、「LINEするねー」と手を振り合った。
ひやむぎ買ってきたよ」
 美智留が北欧柄のエコバッグを掲げながら歩いてくる。大きく咲いたダリアのように笑っている。サッちゃんと話していた表情のままだった。
「ゆっくりできないって?」
 訊くと、「弾丸よう」と答え、カウンター席に腰を下ろした。「ん」と安田にエコバッグを受け取らせ、シルバーのトートバッグからタブレットを取りだした。「早速?」と安田。美智留は「アイスコーヒー」と言ってから「ちゃっちゃとやっちゃいましょ」とタッチペンで画面を上げ下げし、「えっと、まずアナタが謎の熱意で導入したがってるソフトクリームメーカーについてなんだけど」と言った。「ソフトクリームはないんですか、ってしょっちゅう訊かれるんだよね」と安田が答え、オーナーと雇われ店主による、およそ十か月ぶりの直接ミーティングが始まる。

「おとぎばなしのおうじでも、むかしはとてもたべられない」
 美智留が鼻歌しながら蛇口をひねった。ずんどうに水を入れている。なみなみと張ったのを火にかけ、まな板を用意した。
「ネギ」
 カウンターに置いたレジ袋を指差す。スツールに腰かけた安田が取り出して渡すと、「ありがと」と受け取った。ざっと洗ってダダダッと刻みながら訊く。
「どう最近?」
 安田は瞬時に天井を仰ぎ、「だいぶ慣れたよ」とうなずき、あごを撫でた。
「この地に根を下ろしつつあるくらいだ」
「へえ」
 美智留がからかうような目をした。「意外な展開」とつぶやき、刻んだネギを皿に移す。
「ペースができてきたんだよ。周囲に振り回されて——巻き込まれるだけでなく、こっちから首を突っ込んだりして、ぐんぐん面倒臭い状況になっていく中、ぼくは、なんと、かなりいい感じのマイペースを獲得しつつあるんだ。『マイ』すぎないマイペースというか」
 安田は両手のひらを歩かせる身振りをした。
「ほう」
 美智留は包丁の刃にくっついたネギを皿に落とし、「それは結構。こっちに引っ張ってきたがあったよ。みよう」とまたレジ袋を指差し、安田から受け取って「ありがと」と言った。
「こちらこそ」
 ありがとうございます、と安田はわざとしゃっちょこばって頭を下げ、「ソフトクリームメーカーも」と言い足した。美智留の手元を見て、カウンターにしようを置いた。
「気がきくじゃん、ありがと」クイッと眉毛を動かす美智留に言った。
「読む会ってさ、一月と八月は休みなんだってね。知らなかったよ、ノートに書いといてくれなかったから」
「あー……」
 美智留は調理台の下の引き出しを開け、手探りで円形のおろし器を見つけ出して水洗いしながら答えた。
「かならずお休みするってわけじゃないんだよね。わたしがいたときは日にちをズラして集まってたけど?」
 安田はかぶりを振った。
「おショーガツ月とおボン月はお休みだヨゥ、昔っからそう決まってんのサァ、って、真顔で言ってたよ、みんな」
「集まるのがおつくうになってきたのかな。うーん、やはりお歳を召されてしまったかぁ」
 コロナ期間の影響もあるんだろうなぁ、と美智留が生姜をすりおろした。
「……実はさ」
 安田が声を低めた。
「先月の例会でちょっとあった、、、んだよね」
あった、、、とは?」
 あとアナタ生姜たっぷり派? と訊く美智留に「うん」と答え、安田は語った。

 七月の例会は通常開催された。第一金曜の午後一時、喫茶シトロン集合だが、会員たちはいつものように三十分以上早く集まりだした。去年までの一番乗りはもっぱら会長で、「ヤァヤァ、どうも」といい声を響かせていたものだが、この頃では遅刻か、時間ギリギリにやってくるのが恒例となっていた。
 この日もそうだった。集合時間を十五分過ぎても現れなかった。もうみんな慣れていて、「あと十五分待って来なかったら始めよっか?」、「ヤーもちょっと待ったほうがいくないかい?」、「会長の顔ば立ててやらないとってかい?」、「なんぼほど待つのサ?」、「一時間?」、「四十五分?」、「三十分?」、「んーじゃモー始めていんでない?」とガチャガチャやってたら、喫茶シトロンの玄関ドアが開いた。客だ。安田はすぐに立ち上がった。
「あーすみません」
 四時まで貸切りなんですよ、と玄関まで歩いていって、ドアにぶら下げたプレートを指し示そうとしたら、客の女性が「いえ、違うんです」と顔の前で手を振った。
おおつきかつの娘で、いりと申します」
 いつも父がお世話になっております、と頭を下げ、レジ袋を差し出した。会長さんの娘さんか、とレジ袋を反射的に受け取った安田が、ホタテの干し貝柱か、と手土産を確認しつつ、
「いえ、こちらこそいつもお世話になって……」
 と挨拶し、訪問の用向きに思いを馳せていたら、「アーッ」と店の奥から声がした。安田が振り向くと、皆、中腰でこちらを見ていて、「ユリちゃんでない?」、「ユリちゃんだ」、「アレェ、久しぶり」と口々にさえずり出した。
「会長、今日、なしたのサァ」
 マータ具合悪いのかい? とまちゃえさんが声を放った。
「入院したんですー」
 ユリちゃん、、、、、は手メガホンで応じた。「えーっ?」と訊き返され、「にゅ、う、いーん」と声を張った。今度は届いたらしく、みんな、一斉にどよめいた。安田もだ。「えーっ」と思わず声が出た。
「いい機会ってわけでもないんですけど、今日は皆さんにお願いがあって伺いました」
 ユリちゃんが安田に言った。会長によく似た丸顔に、困ったような笑顔を浮かべている。安田に案内され、皆と同じ席についた。ショートカットの横の毛を耳にかけながら、物言いたげな全員にひとりずつ目で挨拶し、厨房に立つ安田の背中に「お構いなく」と声をかけた。安田が運んできたアイスコーヒーをストローでカシャカシャッとかき回してから、語り始めた。

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