「覗くと死ぬ鏡」|はやせやすひろ×クダマツヒロシ
はやせ やすひろ 様
はじめまして。いつもYouTube楽しく拝見しております。
××県××市に住む村川と申します。
〈呪物コレクター〉として活動されているはやせ様に、折り入ってご相談があり連絡致しました。
私の実家にある〈呪いの銅鏡〉についてです。
この銅鏡が原因で、私が知る限り少なくとも2人の親族が亡くなっています。
いずれも鏡面を覗いてから一週間以内に死んでいます。
一人は曾祖父、二人目は祖父です。祖父は12年前に蔵で鏡を見つけ、その6日後に死にました。
単刀直入に申し上げます。
はやせ様にこの〈呪いの銅鏡〉を買い取って頂きたいのです。
長くなりますので、もし話を聞いて頂けるのであれば改めて詳しい経緯をお話しします。ご興味がございましたら、ご連絡お願い致します。
村川
2021年11月30日。
僕のもとにこんなメールが届いた。
普通の人であれば〈呪いの銅鏡〉という怪しげなワードや、怪談じみた話に眉をひそめるなりして、質の悪いイタズラだと相手にもしない内容だろう。
しかし、僕のもとには毎月こういった依頼や相談事が多く寄せられる。メールにもある通り、それは僕が〈呪物コレクター〉として活動をしていることが理由だ。
呪物——。古くから世界中に存在し、超自然的な力により所有者や周囲の人間に奇跡や災いをもたらすとされている物を指す。
「呪物」という言葉だけをみると、そこには負の念が込められ、恐ろしい何かを引き寄せる原因になり得る代物だけを指すと考える方も多いだろうが、それら全てが不幸や災いをもたらすものだとは限らない。願いや祈りが込められ、人々に奇跡や幸運をもたらすとされる呪物も多く存在している。呪いとは祈りでもあるのだ。
世の中にはそんな呪物たちを好んで蒐集する奇特な人間も確かに存在し、僕もそのうちの一人なのだ。とはいえほとんどの方は「良い呪物もあるとはいっても、人知の及ばぬものなのだから恐ろしいことには変わりない。所有するなどもっての外だ」と考えることだろう。誰だって身の安全は保証したい。ではなぜ僕はそのようなものを集めているのか?
僕と呪物の初めての出会いは、17年に訪れたミャンマーでのことだった。
宿泊していたホテルの、民芸品を取り扱っていた土産物屋で見せられたのが、チーターの牙と人間の顔を象った面があしらわれた「チン」という部族のネックレスだった。ネックレスといえど、かなり大型の物で見た目も相当厳めしい。
ミャンマーでは「呪術信仰」が深く根付いており、国内各地に〈呪術師〉と呼ばれる呪いを専門とする職業も未だ存在している。そういった呪術を生業とする人間によって呪物は生み出されており、このネックレスもその一つなのだという。店主としては軽い気持ちで見せてくれたのだろうが、僕は一目見た瞬間からそのネックレスに魅せられてしまった。今思えば強烈に引き寄せられたという方が正しいのかもしれない。
どうしてもこのネックレスが欲しい——。
その思いに囚われた僕は、売ってくれないか? と伝えたが、店主は「これは売り物じゃない」と首を振った。そこから僕は懇願し、泣き喚き、あらゆる手段を使って店主と交渉を続けた。最終的には店主が半ば憐れむような呆れた様子で折れてくれて、ネックレスは晴れて僕のものになった。これが僕と「呪物」との最初の邂逅である。以来、僕は呪物をどんどん集めるようになり、今や置き場に困るほど大量の呪物に囲まれた生活を送っている。
その甲斐もあってか、自身が組んでいる怪奇ユニット「都市ボーイズ」の活動のみならず「呪物コレクター はやせやすひろ」として、YouTubeやメディアに出演する機会も多くなった。そしてそれらの番組を見てくれた人たちが連絡をくれ、オカルトに関連した悩みや自身の体験談などを打ち明けてくれる。その中には今回のようないわくつきの品を引き取って欲しいという要望も少なくない。
捨てるのは恐ろしいから誰かに譲渡したい、はやせならば引き取ってくれるのではないだろうか? という切実な思いがそこにはある。しかし、僕自身その全てを手当たり次第に引き取るわけではない。相談を受けると僕はまず入念な取材をすることを心がけている。一口に「いわくつき」といっても、その品々にどんな経緯があってそう呼ばれるように至ったのかは千差万別だ。そのストーリーを知り、所有者の思いを掬い上げたうえで、自分が迎え入れるべきかどうかを判断する。
もちろん取材時に所有者から語られる「恐ろしい出来事」や「不幸な出来事」の全てが呪物に原因があるとは考えていない。こじつけのようなエピソードも少なからず存在する。そんなときは所有者に「思い込みである可能性」をはっきりと伝え、場合によっては引き取りを断ることもある。
しかし、客観的にみて「怪異」と呼ばれるものが確かにそこに発生していて、なおかつ体験談とともに僕にそれを打ち明け、いわくつきの品を受け渡すことで、現所有者が抱えた不安や恐怖心が少しでも和らぐのであれば、喜んで迎え入れている。
こう書いてしまうと、まるで僕が依頼者の悩みをサクッと解決しているように思えるかもしれないが、僕自身は霊感と呼ばれるような特別な力を持っているわけではないので、あくまで取材という名目で話に耳を傾けることしかできない。そこで解決策を一緒に考え、必要に応じて知り合いの神社や寺を紹介することはあれど、僕自身が根本的な解決をするわけではないのだ。それでもいいですか? と確認した上で、なおも話を聞いて欲しいという方とは真摯に向き合い、耳を傾けるようにしている。
冒頭のメールをくれた村川さんも他の依頼者と同じように、身の回りで起こった不幸な出来事は〈呪いの銅鏡〉によってもたらされたと考え、大きな不安を抱えているように見えた。それを今、僕に打ち明けようとしてくれているのだ。
僕はすぐに「是非、詳しく話を聞かせて欲しい」という旨を返信した。
村川さんの実家は○○県××市にある。
その歴史は古く、江戸時代まで遡る。その地で商いに成功した村川家は、一帯に野球場ほどの広大な土地を手に入れ財を築いたという。そんな村川さんの一族には、歴代の家長にしか伝えられない不可解な言伝があった。
〈鏡を見るな。見ると自分以外の誰かが映り込んで死ぬ〉
これがいつ頃から伝わっているのかは定かではない。その謂れも理由も一切が不明である。この〈鏡〉が不特定多数の鏡を指すものなのか、ある特定の鏡を指すものなのかすらも分かってはいなかったが、長男である村川さんは物心ついた頃から「曾じいさんは鏡が原因で死んだんだ。だから鏡は覗くな」と父親に何度も言い聞かせられていた。
とはいえ村川さん自身はこんなものは良くある昔話、下らない迷信だろうと疑ってやまなかった。
しかし12年前、祖父が亡くなった際にこれがただの迷信ではないと思い知ることになる。
「蔵で〈鏡〉を見つけた」
家族にそう漏らした6日後に祖父は死んだ。
祖父が亡くなったあと、祖父が見つけたという鏡を必死で探したがどこにも見当たらなかったという。以来、家族は気味悪がって蔵に寄りつかなくなった。
そしてつい先日。村川さんは、蔵の中で12年前から行方が分からなくなっていた例の鏡を偶然見つけてしまった。
祖父が蔵から持ち出したはずの鏡。
一族の家長に伝わる〈覗くと死ぬ鏡〉——。
どこかの霊能力者に依頼して引き取ってもらうか、お祓いをしてもらうべきだろうか。「覗き込めば死んでしまう」など、荒唐無稽であまりにも馬鹿げている。頭ではそう理解しているつもりだった。どう考えてもあり得ない。
しかし、本当にそうなのだろうか——?
一度心に浮かび上がった不安は、まるで淀みのように音もなく胸に染み入ってきた。鏡を蔵で見つけた家長が現に数日内に死んでいる。それも二人も。
そして祖父の死後、どこを探しても見つけられなかった鏡が今、自分の目の前にある。まるで自ら意思を持って村川さんの前に現れたように。
そうだ。どうせ蔵を壊すのなら鏡も一緒に埋めてしまえばいい。解体工事の際に地中深くに埋めてしまえば。けれど、万が一鏡が戻ってくるようなことになればそれこそ恐ろしい。一刻も早くこの鏡を手放したい——。
困り果てた村川さんがある日YouTubeを眺めていると、画面に映った男が声高に何かを叫んでいた。
『——世界中の呪物よ! 全て俺のところに来い‼』
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