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ピアニスト・藤田真央エッセイ #53〈ビシュコフが伝えた極意――バイエルン放送交響楽団〉

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 その劇薬を初めて手にしたのは5年前のことだった。持っているだけでカッコよく見える――そんな安直な理由がきっかけだった。小箱は愛煙家たちが集う大人の世界へのパスポートでもあり、亡き恩師・野島稔先生とお近づきになるための道しるべにもなってくれた。
 野島先生のことを思い出せばいつも、煙を燻らせている姿が脳裏に浮かぶ。私は最初はピース、次は先生が愛用していたマルボロ・ゴールド、その後は仲間内で流行ったメビウス・プレミアムメンソール・オプションパープルを持ち歩いた。このメビウスは中にカプセルが入っていて、噛むとブルーベリーの味に変化する。思い出せば一瞬、舌に甘い味が蘇るようで、たった一年前のことなのに既に懐かしい。

 タバコをやめて一年が経った。
 2023年の2月から一本も吸っていない。公演終わりの一服は、コカ・コーラに代わった。毎公演、炭酸の喉越しを楽しんでいたが、あっという間に6キロ増。健康診断に行くと脂肪肝だと診断された。ついにコカ・コーラすら辞めざるを得ず、嗜好品が次々と奪われていく今日この頃である。
 そんな私が今回、終演後のご褒美なしで挑んだのは、世界屈指のオーケストラ・バイエルン放送交響楽団の定期公演だった。

 2024年2月6日、最初のリハーサルに向かった。本公演はモーツァルト《ピアノ協奏曲 第20番 KV466 ニ短調》を演奏する。指揮は昨年10月にチェコ・フィルハーモニー管弦楽団のアジアツアーで共演したばかりのセミヨン・ビシュコフ。彼の目には父のような優しさが滲んでいるが、佇まいやオーラには畏敬の念を覚えてしまう。そんな、親しみやすさとカリスマ性をあわせ持つ人柄が魅力だ。4ヶ月ぶりの再会に熱い抱擁を交わし、早々に打ち合わせが始まった。

 私が一通り曲を弾き終えると、ビシュコフは前回共演したときと同様に様々なアイディアをプレゼントしてくれた。さらに、彼は私の癖を鋭く見抜いた。
 私は一音出した後、すぐに次の音の響きや色へと意識が向く。だがビシュコフは、出した音を最後まで聞き続け、その果てに次の音を導くべきだと説いたのだ。

 なるほど、確かに私は打鍵するや否や、次の打鍵の準備に全神経を尖らせている。それはピアノという減衰楽器に親しんできた者の性かもしれない。ピアノやギター、太鼓といった減衰楽器は、発音する瞬間には響きをコントロールできるが、音は消失するだけである。持続楽器であるバイオリンやフルートのように、ビブラートをかけたり、徐々にクレッシェンドさせたりすることは不可能だ。それゆえどうしても、鳴らした音の行方に無頓着になりやすい。
 ビシュコフはピアノという打楽器を弾く身でも、弦楽器や管楽器のように全身の運動を伴って、苦労して音を出すことの大切さを語ってくれた。実践してみると息の長い音楽へと変貌した。ピアノは指一本を上げ下げすれば音が出るが、歌や管楽器は息を吸って吐く動作が伴うし、弦楽器で音の跳躍をさせるには指を滑らせるための時間がかかる。マエストロが求めていたのは指先に留まる器楽的な演奏ではなく、深い呼吸を伴うモーツァルトの”歌”だった。

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