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今村翔吾「海を破る者」 #015

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 こう家一行の船が博多湾に入ったのは、を出てから七日後のことであった。
 ろくろうの手勢が百、みちときの手勢が五十の、合わせて百五十余騎である。これは全て実際に戦いを行う武士であって、もの、水夫、さらに帯陣の世話をする女中は含まれていない。それらを含めると総勢は五百を超えた。
「見事なものだ」
 みちたちまるの船上、六郎は目を凝らして呟いた。
 湾に入ってまず目に入って来たのは石造りのついである。見渡す限りに続いており、壮観の一言に尽きる。さらにその前の博多の浜には、らんぐいさかがあちこちに打ち込まれている。もし己が攻め寄せる立場であったならば、これを見ただけで諦めかねないほど堅い守りであった。
 次に岸で動く人影が目に飛び込んで来た。日頃から海の見張りに相当な数の人員を配置していることがうかがえるが、それにしても多い。河野家が近づくに従って、さらにその数が増えているようにも見える。築地に上ってこちらを眺める者、さらにはそれを越えて砂浜に降り立ち、波打ち際まで来ている者もいる。
 船の形状はもちろん、数も違い過ぎるため、げん軍とはよもや思うまいが、念のために備えておこうという訳であろうか。すでに岸からも河野家の家紋である「しきに揺れ三文字」が描かれた旗が見えているはずだ。
 それでもなおも人が増え続けている訳がふいに解った。岸で此方の方を指差す者が続出している。道達丸を見に来ているのだ。湾には御家人の船も幾つか停泊している。しかし、百石積みほどの船が大半で、大きくとも百五十石積みから、二百石積み程度のもの。道達丸と同じ三百石積みの船はない。故に道達丸の大きさに目を奪われているのであろう。
 船上でもまたきっきょうしている者がいる。はんである。凝らしていた目を見開いて訊いてきた。
「あれが全て御家人か……?」
「そうだな」
「本当に沢山集まっているのだな」
 繁は大陸から売られて来る間に幾つかの港を経由してきたものの、伊予に来てからは一歩も国の外に出ていない。日ノ本には六十余州が存在し、それぞれの国に御家人がいるとは教えたものの、具体的には想像出来なかったらしい。
「あれでほんの一部だぞ」
 六郎は舌を巻く繁に向けて言った。
さんべつしょうとは比べ物にならないな」
 聞いたところに拠ると、繁の故郷であるチンに逃れてきた三別抄の軍勢は千ほどであった。それでも当時の繁は、
 ——この国にはこれほど多くの人がいたのか。
 と驚いたというから、この光景に信じられぬ思いになるのも無理はなかろう。
 元の来襲に備えて博多湾の警護をしているのは、主に西国の御家人だが、それでも相当な数になる。具体的な数は解らないものの、全てを合わせれば二万は超え、これから参集する御家人を加えると、三万にも届くのではないだろうか。
「これならば防げるかもしれないな」
 繁の声にやや興奮が含まれていた。
 繁が商人より聞いたところに拠ると、三別抄を攻めた時に元が動員した軍勢は一万二千だったらしい。前回、この国に攻めて来た時がおよそ三万三千ほど。いしついや乱杭などを駆使して守れば十分に勝機があると思うのも無理はなかった。
「どうだろうな」
 六郎はあいまいに答えた。
 元も事前にこの国のことを調べ、様々なことを摑んでいると見ている。築地のことも、動員兵力のこともある程度は把握しているだろう。
 それでもなお、攻めてこようというのだ。何か打破する策があるのか、あるいは前回以上の、想像を絶するほどの大軍でやって来るのか。恐らくはその両方ではないかと六郎はしていた。
 道達丸を始めとする三十六そうの船は岸へと乗りつけた。すでに出迎えと思しき御家人の姿も数人見える。渡しの板が掛けられ、六郎を先頭に陸へと降り立った。
 出迎えの御家人を代表し、一人の男が前へと進み出た。その所作、目の力から、実直そうな印象を受けた。
せっしゃしょうつねすけろうとうふくどめこうろう。河野家の方々をご案内するようにと命じられております」
「河野六郎みちありだ。福留殿、よろしく頼む」
「この後も船で参陣する方もおられます。まずは船を湾の端へ移して停めて頂きたい」
「承った」
 六郎は振り返ると、道達丸の船上のむらかみよりやすに向けて呼び掛けた。
じんすけ
「聞こえて候。お任せ下され」
 頼泰はよく通る声で答える。
 船の番を頼泰を始めとするしましゅうしもじま衆で行うことは事前に決めていた。六郎、通時が直に抱える郎党、りようむら衆、かわ衆、まさおか衆、なん衆の面々は陸の上での戦いを担う。もっとも上からの命で船戦となれば、皆が船に乗る局面もあろう。
「では」
 福留は荷下ろしが済む頃合いを見計らって言った。船に残った百五十人ほどを除き、河野家三百五十人は福留の案内で、逆茂木の合間をうように砂浜を歩み始めた。
「どこから入れるので?」
 六郎は福留に向けて尋ねた。
 石築地に切れ目がない。一見したところ、高いところでは約一丈もある。男でも乗り越えるのは容易たやすくないのに、女ならばかなり厳しいだろう。ましてや荷を持ったままだと無理というものである。
「この石築地はおおよそ半里ほど続いています」
「半里も……」
 六郎は感心するあまりおう返しになってしまった。
「切れ目を多く作ってしまえば、そこを敵にかれますので。しばらく先に一箇所あります」
 福留が指差した先、石築地の切れ目らしきものが見えた。それもわずか一間足らず。敵襲があれば塞ぐのだろう。縄で縛った逆茂木が近くに置いてあった。
「かなり堅牢ですな」
 脇を歩くしょうろうは、遠くまで延びる石築地を見渡しながら言った。
「ああ、そう容易くは越えられまい」
 幾ら元が大軍をようして来たとしても、この長大な石築地を乗り越えようとすれば多大な被害が出る。やはり何かしらの手立てを講じるだろう。
 切れ目から石築地の向こう側へと入る。そこからはそれぞれの御家人の陣がある。数年にわたって滞陣している御家人がいることもあり、幕を張っただけの簡単な陣だけではなく、幾つもの掘立小屋が乱立していた。中には簡素ではあるが、屋敷と呼べるほどの規模のものもある。御家人たちを目当てに商いをしようと、商人が集まって市のようなものまで出来ており、小さな町の如き様相を呈していた。
 本陣はその奥深きところ。最も初めにしんされ、時を経て何度も増築、改築が行われており、小さな国の政庁といってもおかしくないほどの造りになっているらしい。
「御屋形様、あれを」
 庄次郎が顎をしゃくるようにした。
「着いているようだな」
 少し離れた場所に張られた陣に、見慣れた家紋のある陣幕が張られている。河野家とよく似た「折敷に三文字」の類いである。河野家の「三」が波打っているのに対し、こちらは真っすぐに引かれている。あのおおほうり家である。
 鎌倉からの使者は河野家に西国への出陣の命を伝えた後、次に大祝家を訪れて同様のことを告げた。鎌倉が河野家に一番に伝えたということは、これまで通り伊予国御家人の旗頭と認めたことを意味する。少し前までの大祝家ならば、地団駄を踏んで悔しがるところであっただろう。だが今は違った。
 ——子息のやすたねは病み上がり。拙者のみの出陣でお願い致したい。
 と、やすとしが使者に断りを入れたのである。
 鎌倉の心証が悪くなることは承知の上、先の一件の始末で交わした、息子を謹慎させるという河野家との約定を守ったのである。
 使者としても何かいぶかしいものを感じていたのだろう。だが使者は己の一存では判断出来ぬ。明日、再び訪ねて来るから、今一度返答を考えろ。断るならば改めて鎌倉の判断を仰いで来ると言い残して引き下がった。
 そのようなやり取りがあったことを、六郎はその日の夕刻に聞いた。使者が次に大祝家に向かうことは解っており、再び野心をたぎらせぬかと念の為に探らせていたのである。
 大祝家の郎党の中には、河野家との約定をにすれば良いという者もいたという。そうすればれいを誘拐しようとしたことを河野家に公表されてしまうだろう。だがそれ以上に、鎌倉ににらまれるのはまずい。ならば後は野となれ山となれと、鎌倉の意向に従ったほうが良いのではないかという意見である。だがこれにも安俊はだくとしなかった。

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