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ピアニスト・藤田真央エッセイ #60〈矢代秋雄のカデンツァーー山田マエストロとの日本ツアー〉

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 5月下旬、私たちは日本に帰ってきた。飛行機を降りるとふわりと香る醤油や出汁の匂いで故郷を実感する。沢山の大谷翔平選手の広告に迎えられて入国したが、その数が帰国の度に増えている感じがするのは気のせいだろうか。

 実家の猫と戯れるも束の間、7公演の怒涛のツアーが始まった。兵庫、館山(千葉)、東京、名古屋、京都、そして横浜。オーケストラの楽器を運搬する大きなトラックに私の衣装と靴も預け、団員の荷物と共に次の公演地へ運んでもらう。まるでオーケストラ・メンバーの一員のようで心が躍る。ピアニストはたった一人で舞台に立ち、一人で移動するため、誰かと旅を共にするのは珍しい。楽団員やスタッフと毎日顔を合わせ、「ボンジュール!」と挨拶をする。日を重ねる度に会話が増えていく。そんな組織に属する社会人にとっての当たり前が、とても新鮮に感じるのだ。

 ヤマカズさんは毎日楽しそうだ。ウキウキという言葉が似合う。きっと今回の日本ツアーを待ち望んでいたに違いない。そう、このツアーは彼がモンテカルロ・フィルの監督に就任してから初めての日本ツアー。山田監督が、このオーケストラを我が子のように愛していることがひしひしと伝わってきた。
 音楽はもちろん、団員・職員の採用や、セクションの人間関係にもいつも気を配っている。楽団の顔として全ての手を尽くすという彼の気概に、監督という冠の意義を知った。

 毎公演前、マエストロは私の楽屋へ訪ねてきてくれ、その日の音楽設計図を打ち合わせた。彼の魔法のような言葉にピアノで答えていくと、螺旋階段を駆け上がるように音楽がみるみるブラッシュアップされていく。天使と悪魔のように、「動く歩道」に乗るように邁進して……といった絵が浮かぶ彼の言葉使いは魔術のようだ。
 普段、英語でコミュニケーションやリハーサルを行うことに不自由はないものの、ヤマカズさんと日本語で細かいニュアンスまで共有できる喜びは何にも代え難かった。感じたままを、ストレートに隅々まで伝えあえると、深いところまで繋がれる気がする。母語を使った深い言語コミュニケーションと、音楽上での高次元なやり取りの両方を共有できる相手は、ヤマカズさんしかいないのではないだろうか。

 同じ演目で複数の公演を行うツアーでは、旅の疲れも相まって日を追うごとにどうしても単調になっていき、新鮮さが失われがちだ。しかしそんな現象はヤマカズさんとは無縁だった。常に真新しく、刺激的で、チャレンジングな音楽。特にオーケストラとピアノの掛け合いが多用されるベートーヴェン《ピアノ協奏曲 第3番》では、その魅力が顕著に見られた。さながらアトリブの漫才のように、ステージ上でヤマカズさんの強烈なボケに、負けじと私も少しスカしてワンテンポ遅れたツッコミで返したり、時には探りつつこちらからボケてみたりすることもあった。
 台本や打ち合わせもない即興的なやりとりは、アドリビトゥムそのものだ。日を追うごとに鮮度が増して行き、ベートーヴェンの最終日となった5月27日のサントリーホール公演では”今まさに凄まじい音楽を奏でている”という自負をステージ上で感じた。
 その日はおまけに、特別なカデンツァを演奏した。普段はベートーヴェン自身が書いたものを採用しているのだが、サントリーホールで私が披露したのは、矢代秋雄が作曲したカデンツァだった。

 遡ること2か月前、3月某日、私は故矢代秋雄先生の奥様にお目にかからせて頂いた(ちなみに、奥様がお元気であることを知ったのはヤマカズさんの雑誌の連載のお陰である)。矢代先生の《ピアノのための24のプレリュード》をレコーディングしたので、一度ご挨拶に伺いたかったのだ。矢代先生のお人柄、ご趣味、作曲に向かわれる際のこだわりやご自宅での過ごし方など、山ほどお聞きしたいことがあった。
 奥様は素晴らしい記憶力をお持ちで、おまけにとてもお話し上手な方だ。奥様が「5月、サントリーホールで行われる貴方様の公演に伺いますわ」と仰ると、私は嬉しさのあまり思わず飛び跳ね、「来てよかったと思って頂けるよう頑張ります」とお答えした。

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