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大迫傑に感じたロマンから生まれた、ノンストップ・サスペンス『アキレウスの背中』――長浦京インタビュー

 長浦京さんの最新作『アキレウスの背中』のカバーを飾るのは、2021年夏の東京五輪マラソンで6位入賞を果たし、日本中を熱狂させたランナー大迫傑さんだ。先日、現役復帰を表明した。
 このカバー製作の舞台裏や、著者の持ち味である壮大なサスペンスと、マラソン界への刺激的な提言を融合させた新作について、長浦さんに話を聞いた。

たった1度の五輪のために


 今作の主人公の一人である日本人マラソンランナーが走るのは、東京ワールド・チャンピオンズ・クラシック・レース(東京WCCR)。日本政府が初めて公認した、世界規模の公営ギャンブル対象のマラソンレースだ。 
 世界ランキング上位の招待選手らが、賞金総額300万ドル(3億4000万円)をかけて戦う。競馬や競輪と同じように、どの選手が1位、2位、3位に入るかを予想し、的中すると賞金が支払われる、というものだ。 

 「コロナ禍の東京オリンピックを見ていて、アスリートとは関係ないところでの巨額な費用や巨大な利権があるということが明白になったと思います。たった1度のオリンピック・パラリンピックのために、莫大な資本を投下する意味はあるのか、という議論もおきました。
 スポーツの未来を考えると、少子化が進む中で、競技人口は減っていく、かつ五輪方式による限界も見えた。将来的に、魅力的なスポーツイベントを運営していくためにはどうしたらいいか。 
 私は、単独競技による開催で、公営ギャンブルの対象とするのもありだと思っています。ギャンブルというと、日本では印象が悪く聞こえるかもしれませんが、スポーツを支えるための投資、と考えることはできないでしょうか。選手にベットすることで自分が応援している感覚を得られて、勝てば配当というリターンもある。選手と観客が一体になれるシステムになりうると思うんです」

 実際、欧州などでは、サッカーや競馬などを対象に、様々なスポーツイベントの結果を予想し、賭ける「スポーツベッティング」が存在する。アメリカでも一部の州で合法化が進んでいる。
 小説内でも、サウジアラビアの王子がこう主張している。

東京オリンピック・パラリンピックは当初の予算を超える約3兆円の出費を補塡するため、東京都民らの負担がある。建設した各会場の維持費に、今後、毎年十数億単位の税金が投入される。それはスポーツ行政や運営の失敗であり、今もスポーツ自体の魅力は損なわれてはない。投票券を買うのは、ギャンブルというより、その競技やアスリートたちへの支援であり応援である。

 その舞台で、真のチャンピオンシップが行われるのだとしたら、多くの観客を惹きつけるのではないだろうか。

大迫傑さんの魅力を主人公に重ねて


「登場する日本人ランナーを描くにあたって、大迫傑さんの本を何度も読みました。驚いたのは、あれだけのトップ選手であっても、日々の練習において気持ちをニュートラルに保つことは難しいということでした。
 日々のモチベーションの有無に左右されていては一流になれないという”人間味”と、目標から逆算して練習メニューを作り、それを徹底的に遂行する”常人離れした強さ″を感じました。
 実際に大迫さんのレースを見ると、素直な気持ちで感動してしまう。走る姿にとてつもない魅力があるんです。そのことを脚色せずに描きました」

2021年8月の東京オリンピックで、力走する大迫傑選手

 ゲラを読んだデザイナーが、大迫傑さんの写真展などを開催しているフォトグラファー松本昇大さんに声をかけ、このカバーが実現した。
 タイトルの由来も興味深い。マラソンやトラック長距離のトップランナーの中には、「アキレウスの背中」を見た人がいる、という逸話がある。自分の前には誰も走っていないはずなのに、誰かの背中が見える。まるで導いてくれるように――。主人公のランナーは、未だ見ぬ、この存在を追い求め、マラソンレースに挑んでいる。

「何かを追求するときには、ロマンが必要だと思っています。夢を追うときにみる神話的なロマン、その象徴が『アキレウスの背中』なんです」

 破壊的な国際テロリスト集団からランナーを守れ!

 
 今作のもう一つの読みどころは、女性刑事が、国際テロリスト集団に立ち向かう、緊迫感あふれるサスペンスであることだ。
 優勝者となれば高額の賞金を得ることができるレースは、アスリートやベットする観戦者たちの熱狂を生み出す。
 スポーツメーカーによる最先端のランニングギアの開発競争は、まるでF1レースのようであり、巨額の金額が動くビジネスであるため、中国やロシアなど大国の思惑も絡み合っていく。

 大会まで1カ月となったとき、レースへの参加をやめなければ、本人および家族の「命にかかわることが起きる」という脅迫状がランナーに届く。
 この捜査にあたるのが、もう一人の主人公の女性刑事だ。新手の犯罪に対応するために、警察庁が発足させたミッション・インテグレイテッド・チーム(MIT)に招集され、リーダーに任命される。
 テロリストは、ランナーへの脅迫だけでなく、関係者への様々な妨害工作を仕掛けてくる。
 こういった見えない敵に対峙する不安を抱えたまま、女性刑事はランナーと交流を重ねていく。

「連載をはじめるにあたって、編集者から『主人公の刑事が大きなトラウマを抱えていて』というような設定はもういらないですよね、というディレクションを受けました。私が書きたかったことと一致したんです。
 日々暮らす中で、何の不満もなく、万全の状態でいられるひとって、ほとんどいないはずで、誰もが小さな傷を抱えていると思うんです。自分自身を引っ張っていってくれる、小さなモチベーションを丁寧に描いて、警察組織の中であがきながらも、困難に挑む女性刑事の姿を描いたつもりです」

 天才ランナーに寄り添い、テロリストに対峙する、ごく普通の人間として描かれた女性刑事の等身大の葛藤と成長が、読み手の胸に迫る。
 攻撃性や行動パターンが日本の犯罪者とは比較にならない、国際テロリスト集団の襲撃から、ランナーと大会を守ることができるのか。

デビュー10年目に抱いた確信


「2011年に『赤刃』(小説現代長編新人賞)でデビューしてから10年が経ちました。2作目の『リボルバー・リリー』では、映画を見るような小説を作りたいと、3作目の『マーダーズ』では、自分の暗部に秘めた欲望をストレートに吐き出す、4作目の『アンダードッグス』は、中高年の読者の胸を躍らせたいというテーマをクリアすることにこだわっていました。今作は、多くの読者に受け取ってもらうためにどうすればいいか、納得がいくまで取り組むことができました。
 個人的なことですが、コロナ禍で手術を受けることになって、よせばいいのに手術の翌日に点滴をぶら下げながら、ゲラに赤字を入れていました(笑)。なぜそこまでしたんだろう、と振り返った時に、やっぱり楽しかったんですよね。この物語がどうなっていくのか、自分自身に期待をしながら、書き続けることができた小説でした。本当の意味での胸をはれる『デビュー作』が書けたと思っています」

 限界を超えたものだけに見えるというアキレウスの背中。それを捕らえた著者会心の一冊をぜひ手に取ってほしい。

長浦 京(ながうら・きょう)
1967年埼玉県生まれ。法政大学経営学部卒業後、出版社勤務を経て、放送作家に。その後、闘病生活を送り、退院後に初めて書き上げた『赤刃』で2011年に第6回小説現代長編新人賞、17年『リボルバー・リリー』で第19回大藪春彦賞、19年『マーダーズ』で第2回細谷正充賞を受賞。21年『アンダードッグス』で第164回直木賞候補、第74回日本推理作家協会賞候補となる。


『アキレウスの背中』第1章を公開中!



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