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小田雅久仁 「夢魔と少女」〈前篇〉

人間の夢を喰らって生を得る〝夢魔〟たる私が出逢ったのは、
大男に監禁された可憐な美少女だった。
彼女を救うため、夢に入り込むことにした私は――

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 亡霊のほとんどは場所にくもので、ひとところに執着して来る日も来る日も道端に立ちつくしたり、打ち捨てられた屋敷のなかを果てもなく歩きまわったりする。人や物に憑く亡霊もいて、そういう連中はその人や物の行く先ざきにどこまでもついてゆく。いずれにしても、亡霊というやつは、自らの意思で自由に歩きまわることがない。言葉が通じるやつもいるが、空気が読めず、自分のことばかり話したがり、ろくに人の話を聞かない。かと思うと、ただただぼうっとしてひと言も口をかないのがいたり、猛犬さながらにうなり声ばかりを垂れ流しつづけるようなのもいる。要するに、亡霊というやつはなべて愚鈍で、意思の疎通が難しい。馬鹿の一つ憶えみたいに会うたびに同じ話をくりかえし、精神の発展というものがなく、存在の根底からうつろなのだ。おそらく亡霊が人の霊魂そのものであるという考えは間違っている。写真が世界の一部を紙に写しとっただけの偽物であるように、亡霊もまた霊魂の断片を写しとって世界に焼きつけただけの偽物ではあるまいか。つまり亡霊とは、死んだ人間の残像に過ぎないのではないかと私は考えている。
 一方、はどうだろう。夢魔は亡霊と同様、物理的な体を持たないが、何に取り憑いているわけでもなく、自由気ままに動きまわることができる。望むなら女風呂に忍びこんで飽きるまで裸を眺めまわすこともできるし、映画やドラマに出てくるような銀行の馬鹿でかい金庫にだって好き勝手に出入りすることができる。ならばなんの執着もなくただ漫然と存在しているのかというとそんなことは全然なく、夢魔はつねに飢えにさいなまれており、その飢えを満たすべくじよくをさまよいつづける宿命さだめにある。つまり、夢魔は一種のなのだ。
 何に飢えているか。もちろん夢にだ。夢魔は基本的に夜行性の存在で、夜ごと人間の枕元に立っては、夢をむさぼっていやしい腹を満たすのである。これが伝え聞くところの幻獣のばくならば悪夢を選んでうのだろうが、夢魔は子供の夢が新鮮でうまいとか大人の夢のほうがに富んでいるとかそれぞれに好みがあって、みな口に合う夢を求めて夜の街をほうこうするのだ。かく言う私も、若い時分は老若男女・良夢悪夢を問わず手当たり次第にがつがつと夢を喰らい歩いたものだが、近ごろは年寄りのまったりとした薄味の夢のあとに子供のめりはりの利いた濃い夢をちょこっとデザートのようにたしなむのがおつだなどと考える生意気な舌になってきた。しかし私なんぞまだまだうるさくないほうで、若者のみだらな夢しか喉を通らぬと言いはるスケベにも会ったことがあるし、何者かに追いかけられるとうそうの切迫感が味わい深いとか、どこかから落ちるついらくの刺激がたまらぬとか言って目をぎらつかせていた夢魔もいた。夢魔の世界には〝〟という言葉があって、まさに〝駄夢喰う夢魔も好きずき〟なのである。
 亡霊が死者の残像であるならば、夢魔はいったいなんなのか。これはまったくひとすじなわではいかない問いなのだ。外見が人間にそっくりであるために、元来は人間であったとする説が主流ではあるが、不思議なことにその証拠がない。私ももちろんそうだが、どの夢魔も人間だったころのたしかな記憶を持たないのだ。いや、どこそこの町で暮らしていたとか海でおぼれて死んだ気がするとか言いはる夢魔もいるにはいるが、これは人間の幼児が、母親の赤暗い腹のなかでモーツァルトを聴いていたと言いだすのと同じで、ありがちなばなしとして片づけられてしまうのである。しかしまったく証拠がないかというとそうでもなくて、夢魔は一人残らずちゃんと人間の言葉を話す。しかもそれぞれになまりがあって、故郷の記憶はなくとも、人間としての生まれ育ちを思わせるのだ。
 私のもっとも古い記憶となると、四十年以上も前の話になる。これはあとから鏡を見て気づいたことだが、当時の私は七、八歳ぐらいのせっぽちの少年の姿をしていた。赤いTシャツに青い半ズボンを穿いていたのだが、なんでそんな格好をしているのかもわからぬまま、S市の住宅街にある公園のすべり台の上に腰かけた状態で、夜更けにはたとおのれが存在していることに気づいたのである。この〝はたと気づく〟覚醒の感覚は、夢魔ならば誰しもが知るもので、〝自己かいびやく〟とでも名づけたくなるような、実に劇的な経験だ。自分がどこのだれだかわからないし、いまのいままで何をしていたのかもわからない。ただ眼前に、夜更けの公園がひろがっている。しかし右も左もわからぬ赤ん坊というわけではなく、あれは砂場で、それはブランコで、と人間の子供が知っていそうなことはたいてい知っている。人間にも記憶喪失者というものがいて、見知らぬ土地で突然に意識が目覚めるらしいが、まさにそれと同じだろう。
 しかし夢魔が人間の記憶喪失者と違うのは、覚醒して早々、夢魔としての本能に突き動かされるところだ。飢えを感じ、しかもその飢えを満たすには、母親の乳房にむしゃぶりつくのではなく夢を喰らうしかないと知っているのである。人間の食べ物と同様、夢にも香りがある。眠った人間からその香りが立ちのぼって夜の町を漂い、夢魔の飢えを刺激する。自分は何者であるかというけいじようがく的疑問はさておき、夢の香りに誘われるまま、幼い私は、公園のそばの一軒家に忍びこみ、川の字になって眠る三人家族の夢を片っ端から喰らいに喰らった。味もへったくれもない。腹をかせきった子犬がごたまぜの残飯に鼻先を突っこんで貪るようなものだ。このように〝夢魔の誕生〟とは、往々にしてすいで野蛮なものなのである。どういう理屈かはわからないが、夢魔の覚醒は、まず例外なく若いうちに起こる。年齢は推測に過ぎないが、下は三、四歳から、上はせいぜい二十代前半ぐらいまでだ。中年老年の姿で目覚めたというたしかな話はとんと聞かない。この事実について話しだすと、みなあれこれ意見を述べるが、いまのところこれといって有力な説はないようだ。

 夢魔のなかには、数人の集団をつくって一つの町に陣取り、縄張りらしきものを形成する連中もいるし、男女のつがいとなって駆け落ち者みたいにあちらの町こちらの町と放浪するのもいる。ふるつわものみたいな夢魔があどけないなりたての夢魔を連れ歩いているのにも出会ったことがあるし、群れる連中をさげすむ一匹狼の風来坊もいる。
 かく言う私がどれに属するかと言うと、いまとなっては、やはり一匹狼の風来坊だろう。若い時分は仲間が欲しくて群れにもぐりこんだこともあるし、色気を出して女の夢魔と行動を共にしたこともある。また、親友と呼べる夢魔がいたこともあるし、しばらくのあいだ右も左もわからぬ幼い夢魔の面倒を見てやったこともある。しかしここ十年ほどは一人きりで気楽にやっている。夢魔も年季が入ると気難しくなって独り者になりがちだとは若いころから聞いていたが、まさにそれを地で行っているわけだ。だからといって私がすでに夢魔として老境に差しかかっているわけではない。四、五十年ものぐらいでは、まだまだ中堅のとば口と言ったところで、極端なところだと、幕末から令和に至る日本の移り変わりを見つづけてきたと言いはる夢魔に出くわしたこともある。そんな突拍子もない話でも噓かまことか判じかねるのは、夢魔は外見から年齢をはかることができないからだ。夢を喰らいつづけていれば、いずれ子供から成長して大人の姿かたちにはなるものの、そこからはもう人間のようには歳を取らない。夢を喰らわずにひと月も過ごそうものなら栄養不足で顔はしわくちゃ、背も腰も曲がってくるが、充分に腹を満たしていれば若々しさを末長く保っていられる。つまり老けて見える夢魔は腹を空かせているだけで年寄りとはかぎらないし、はだつやがいいからといって若いともかぎらない。しかし百の坂を越えた夢魔たちが口をそろえて言うことには、歳を重ねると食も細ってだんだん夢を喰うのがおつくうになってくるらしい。そしてその億劫がさらに進行すると、このままかすみのように消えてしまおうかというくたびれきった気持ちになって、実際に一片のむくろも残さずにこの世から消え去ってしまうのだという。それが夢魔の死だ。〝人〟の〝夢〟と書いて〝はかない〟と読むが、まさに人の夢がついえるように、夢魔は気力をかつさせて儚いさいを迎えるのである。
 しかし幸いにも、私はまだまだ若く、食欲も充分、俗世への好奇心も失っていない。昼間はだいたい空き家に忍びこんで空っぽの部屋で寝転がり、陽が落ちると町に出てうろつきまわることをくりかえしている。町が眠りにくまでの時間は、だいたいテレビ好きの年寄りの家にあがりこんで、一緒にテレビを見ることにしている。もちろん人間は夢魔の姿を見ることができないから、私は部屋の隅に立つなり空いた席に座るなりして勝手に視聴にあずかるのだ。私の持つ人間社会についての知識のほとんどは、そうやってテレビから得たものなのである。子供のころはアニメが見たくて子供のいる家にあがりこんだものだし、クイズ番組に傾倒していたころは、そういう家を探しまわったものだ。十年ほど前からはニュースやドキュメンタリーが好きになってきて、その手の番組を好む家を選んで足しげく通うようになっている。
 夜が更けると、そこかしこからしゆじゆざつな夢の香りが漂いはじめる。夢魔は夢を喰いに出ることを〝狩り〟と呼ぶ。甘い香り、苦い香り、酸っぱい香り……これぞと思うような夢を求めて町々をさまよう。あせることはない。人間の夢は、朝方に向けてしだいに味わいが豊かになるのだ。若いころは空腹に耐えきれずあっちの家こっちの屋敷とひと晩じゅう喰い漁ったものだが、この歳になると夢が熟するのを待てるようになっている。覚め際の夢のほうじゆんさは格別で、みずみずしく、かつコクがあり、ひと晩のしよくの締めくくりにふさわしい。腹が満たされると、今夜もいい狩りだったと脳裏で数々の夢をはんすうしながら、朝焼けに染まった町を歩いてねぐらに帰るのである。

 私が夢魔として目覚めてまだ二年目だったろうか、M市の山のふもとの一軒家にすぎもとという六十がらみの男が暮らしていた。ひと言で言ってしまえば、杉本は落ちぶれていた。のっぴきならぬところまで落ちぶれていた。だの紅葉もみじだのの立つ庭は田舎のぱらみたいに草ボウボウ、家は得体の知れぬつるが四方八方から二階の棟までむらむらといあがり、廃屋さながらだが、そのふところの暗がりで、杉本は一人、かろうじて生きていた。喰うや喰わずの暮らしでがいこつに皮を張りつけたみたいに痩せさらばえ、ごろりと浮いた頰骨の上で、頑固そうなかなつぼまなこがどんよりと鈍く光っていた。両親はとうにうるしりの仏壇に収まり、元よりいないのか、それとも縁が切れたか、妻子もいない。当然、職もなく、風体は浮浪者そのもので、あかじみた服に身を包んでおぼつかない足取りで歩き、電気もガスも、水道までもが止められて、日一日と飢え死にという終着への道すじをたどっていた。正気を失っていたわけではないようだが、しきりに独り言を言った。それでもなおでっかいきようが胸のど真ん中に居すわり、死という一度きりの訪問者が一歩一歩近づいてくるのを両の目をかっぴらいて見届けてやろうという腹づもりらしかった。
 当時、私はまだ夢魔としてひよっこもひよっこだったが、しだいに夢の旨い不味いがわかる生意気な歳ごろになりつつあった。鼻先をかすめた豊かな夢の香りに誘われ、あるときぼろ屋の八畳間でせんべいとんに寝転がる痩せこけた初老の男の夢を喰ってみたら、外見に相違してべらぼうに旨かった、それが杉本との出会いだ。人間、歳を取ると、生活と同様、見る夢までめりはりがなくなって退屈になってくる。しかし杉本の夢は、いまだ若々しくて鮮烈で五感に強く訴えてくるものがあった。ならば味が濃いだけの子供じみた夢なのかというと、決してそんなことはなく、複雑で奥行きがあり、何より驚きに満ちた壮大な光景がくりひろげられる。私は杉本の枕元に座して夢を味わいながら、思わず驚嘆の溜息を漏らしたものだ。以来、杉本邸の二階の一室をねぐらにし、亡霊よろしく取り憑いて、夜な夜な杉本の夢を喰らうようになったのである。
 しかし夢が旨いだけなら、二年ものあいだ杉本邸で寝起きはしなかったろう。同じ人間の夢ばかり喰らっていると、いくら美味でもさすがに飽きが来るのだ。これはもう夢魔なら誰しもが経験することで、夢の旨い人間を見つけてしばらく通いつめることを〝のぼせる〟と言うのだが、〝のぼせ〟はやがて冷めてしまう。私の初めての〝のぼせ〟も半年ももたずに冷めてしまったのだが、それでも杉本のもとから去らなかったのにはわけがあった。杉本は、私が出会った初めての〝り〟だったのだ。
〝気取り〟とは、夢魔の気配を感じとることができる人間のことである。ちなみに夢魔の姿を見ることができる人間は〝見取り〟と言って、俗に百万人に一人とか言われているが、〝気取り〟もずいぶん数が少なくて、一万人に一人とか言われ、その数字の真偽はさておき、滅多にお目にかかれない人種であることは間違いない。〝気取り〟は、私が部屋に入ってゆくと、はっとこちらを見ていぶかしげに首をかしげたり、なかには何かがいると決めこんで話しかけてきたりするのもいる。
 夢魔にとって〝気取り〟の存在は厄介なので、そんな家には近づかないのが上策だ。しかし私は最初、杉本が〝気取り〟であることに気づかず、彼が目覚めたあともぼろ屋にとどまってあっちの部屋こっちの部屋とうろうろしていた。そして杉本のいる居間に戻ったとき、彼は私の気配を感じとったらしく、口をひん曲げて自嘲めいた笑みを浮かべると、新聞紙をこするみたいなざらついた声で、
「とうとう来たか」と弱々しくつぶやいたのである。
 私はぎょっとして敷居の上に立ちつくした。もしや〝見取り〟か、と思ったのだ。が、違った。こちらが動いても視線がついてこない。ならば心を病んで幻聴でも聞いているのかと言うと、そうでもないらしい。私が部屋のなかを歩きまわると、まゆをよせて懸命に気配を探るふうで、なんとなしに杉本の意識がまとわりついてくる感じがある。ああ、これが噂の〝気取り〟か、と思った。杉本は得体の知れぬ気配に臆する様子もなく、
「そろそろ俺もねんおさめどきか」と深く溜息をつき、喉の奥でかさこそ笑った。「やるならひと思いにやってくれ」
 どうやら死神か何かと勘違いしているらしかった。夢魔は夢を喰らうが、人間の命までは喰らわない。というより喰らえない。夢を喰われた人間は寿命が縮むという噂は聞いたことがあったが、河童かつぱに尻子玉を抜かれたら死ぬみたいな話と同様、本気で信じている夢魔はまずいない。
 私は試しに、
「死神なんかいないぞ」と声をかけてみた。「誰も迎えになんか来ない。人間はみんな望んでもないときに勝手に死ぬんだ」
 杉本は何かを聞きとったらしく、やまびこでも聞くみたいに耳にひらいた手を立てると、眉をひそめて「ん?」と声を漏らした。
 それからもあれこれ話しかけてみたが、杉本はこちらの気配を感じとることはできても、意思の疎通ができるほど声をはっきり聞きとることはできないようだった。正直〝気取り〟というのも案外つまらないなと思ったが、杉本のほうはそれが日ごろの習慣なのだろうか、お構いなしにぶつぶつと独り言を続けた。
「ちくしょう、変なやつが家に居ついちまった。それもこれも俺が死にかけてるから、死肉喰らいみたいなのを呼びよせちまうんだろうな。しかし考えてみりゃ、それはそれで都合がいいかもしれん。俺が死んだあと死体をれいさっぱり平らげてくれたら、こんなにありがたいことはないもんな。人間てのはもう、どうしたって自分の死体だけは片づけられんから……。それができるようなら、自分のえりくび引っつかんで空を飛べるだろうな。え? そう思うだろ?」
 とまあそんな調子だ。みたいに痩せこけた死に損ないだというのに、妙に口は達者で、ときおりこちらに同意まで求めてくる。言葉を返したところで聞こえないのはわかっているが、人間から声をかけられるという感覚が新鮮で、つい返事をしそうになった。杉本は〝気取り〟のなかでもずいぶん勘のいいほうらしく、不意に、
「お前、まだ餓鬼みたいだな。え?」と言いだしたときは、ちょっと驚いた。「といってもまあ、なんの餓鬼かわからんが……。さあ、どうなんだ。お前はいったいなんの餓鬼だ。言ってみろ? え?」
 ちょうどそのとき、間が悪いことに、庭先からからすがけたたましく鳴きながら飛び去っていったものだから、
「そうか。お前は鴉の餓鬼か」と独り決めされてしまった。「俺は鴉が嫌いだ。うぐいすが鳴けば、春の陽気に心もさわやか、すずめが鳴けば、可愛らしいし、鳩が鳴けば、ほのぼのせんこともない。しかし鴉が鳴けば、そこは墓場かゴミ捨て場と相場が決まってる。言われてみれば、鴉はたしかに死肉喰らいの一味だな。なるほど、なるほど……」
 以来、杉本は私のことをがらすと呼ぶようになった。おい子鴉、こんなじじいの死肉は筋張って不味かろう。おい子鴉、そのくちばしで背中をちょいと搔いてくれ。おい子鴉、夕焼け空に鴉ってのはさすがに悪くないな。おい子鴉、おい子鴉……そんな調子で呼ばれつづけていると、もともと名乗る名前も持たぬ身だから、かあと鳴いてゴミでも漁るかとはならないまでも、子鴉という呼び名がその空白に居ついてくる感じがあった。
 杉本と二人、一つ屋根の下、夢魔と人間の奇妙な同居生活を続けるうちに、だんだん杉本の人となりがわかってきた。杉本の家にはずいぶんとあちこちに本棚が立ちならび、蔵書はざっと数えただけでも数千冊はくだらなかった。杉本の独り言につきあっていると、問わず語りに過去の話がぽろぽろと出てくるのだが、どうやら彼はかつて小説を書いて口をのりしていたらしかった。その言葉どおり、二階の六畳間の本棚には〝杉本しげあき〟と著者名の書かれた本が何十冊も並んでいた。『王樹物語/シラクモとはくの女王』『王樹物語/シラクモと時間の街』『アルマニア銀河鉄道』『2100年の子供たち』などなど、どうやら子供向けのファンタジーやSFを書いていたようだ。しかも表紙に「文・絵/杉本繁昭」とあるから、さしまで自分で描いていたことになる。大した才人だったのだ。ずらりと並ぶ背表紙を眺めながら、杉本の豊潤な夢の源泉は、なるほどここにあったかと納得させられたのである。
「杉本繁昭というペンネームはな、俺の親父のしげるとお袋のあきの名前をくっつけたもんなんだ。若いころに、ちょっとでも親孝行になるんじゃないかって考えたんだな。でもそれが悪かったのか、八年前に父親と母親がぽんぽんと立てつづけに死んでしまうとな、途端に書けなくなった。ペンネームまでが死んじまったみたいに頭んなかはすっからかん、なんにも思い浮かばなくなったんだ。それでこのざまよ」
「おい子鴉。教えといてやろう。人間には二種類いるんだ。なんにも生み出さなくても平気で生きていけるやつと、何かを生み出しつづけないと生きていけないやつだ。俺はもうおむつを脱いだころからずっと、頭んなかでああでもないこうでもないと空想を巡らしてな、息をするみたいに物語をつくりつづけてきたんだ。それがどうだ。親父とお袋が死んだ途端、なんの物語も湧いてこなくなった。こうなったらもう、俺は世界一の役立たずよ。あとはもう死を待つばかりって身だけどな、これがなかなか死にゃあしない。腹が減ったらひもじくて、どうしたって喰っちまう。何もきょう慌てて死ぬこたあない、あした死にゃあいいじゃないか、と思うんだな。寝るときゃあ寝るときで、もう二度と目覚めさせんでくれと祈りながら目ェつぶるんだけどな、しぶといもんで朝が来るとやっぱり目が覚めちまう」
 そうは言いつつも、杉本はやはり日に日に衰弱していった。ときどき蔵書を大きなリュックに詰めこんでいくばくかのカネに換えてどうにかこうにか喰いつないでいたようだが、きっと体のどこかを悪くしていたのだろう、いつしか本を売りに行く体力もなくなってしまった。ときおり町内会の人だの行政の使いみたいな人だのが心配顔で家に来て、杉本を病院に入れようとしたり喰い物を恵もうとしたりするのだが、彼は誰の世話にもならんと石みたいに硬い顔つきで追いかえしてしまう。「おい子鴉、誰も近づけるなと言ったろう」と息も絶えだえのささやき声で言ったものだ。出会ったころは、寝床のまわりに副葬品みたいに本を散らかして、日がな一日読みふけっていたものだが、とうとうそれもやらなくなった。本を持ちあげる力もなくなったのだ。あとはもう弱々しく目をつぶり、こんぱくを吐き漏らさんばかりにぽこんと口を開け、来る日も来る日もいびきをかきながらうとうとするばかり。六十過ぎと見ていた顔が、いまや七十とも八十とも見まがうほどにしなびに萎び、浮かぶ死相は一目瞭然。二年にもわたったつきあいから、そのころにはもうすっかり杉本に情が移っていたし、さんざん旨い夢を喰わしてもらったという義理もあったから、どうにかしてやりたいと気をむのだが、夢魔ごときが人間にしてやれることなんか何もない。いや、あるにはあったのだが、幼い私にはまだそれを杉本にしてやることができなかった。
 夢魔は本来、夢を喰うばかりでなく、人間に夢を見せることもできる。それまでに喰ったあまの夢のかけらから新たな夢をねあげて、眠る人間の頭に吹きこむことができるのだ。それは〝吹きこみ〟と呼ばれているのだが、夢をこしらえるのは手間がかかるし腹は減るしで、夢魔にとってはいちもんの得にもならないから、誰もあえてやろうとはしないし、となるといつまでも上達しない。私も面白半分で幾度か試してみたことはあったが、コツもわからないし手ほどきしてくれる者もなしで、すぐにやめてしまった。だから、の眠りに就こうとする杉本の枕元に座したまま、最後にいい夢を見せてやることも叶わず、ただもう刻一刻と命の細ってゆくのを見届けることしかできなかった。
 私が杉本の死から学んだことは数多くあるが、その一つが、人間というものは、いよいよという最期の瞬間においてもどうやら夢を見るらしいということだ。さんの川を渡るだの、一面のお花畑の向こうから先立った者が手招きするのを見るだの、巨大なトンネルを通ってゆくだのという話は聞いた憶えがあったが、その手の夢を見ていたかどうかはわからない。夢というものは、眠った者の体から色とりどりの煙のように立ちのぼっており、夢魔はその煙を吸いこむことで腹を満たすわけだが、私は興味をかれつつも、どうしても杉本のまつの夢を喰らうことができなかった。というのも、細ぼそと立ちのぼるその夢が、杉本の命の輝きそのものに思え、それを喰らえば、私がとどめを刺すことになるのではと恐れたからだ。この二年間さんざん夢を喰わしてもらった上に、最期の一滴までをもしぼりとるなどというむごいことはできなかったのである。
 秋の夜更け、三時ごろだったと記憶している。弱々しく夢を立ちのぼらせていた杉本の頭の辺りから、ある瞬間、ひと抱えもあるごくさいしきの濃密な夢が入道雲のようにむくむくと立ちのぼり、天井すれすれにかたまりとなって浮いたかと思うと、もだえするようにかたちを変えながら漂いはじめた。私はぜんとしてそのさまを見あげた。全体的に青みがかっており、そのなかに赤、緑、黄、紫などの淡い光がうごめいていて、まるで生きたオパールのようだった。本当にあれは夢だろうか、と内心、首をひねったが、じゃあなんなのかとなるとわからない。いや、思うところはあった。もしやあれが魂なのではあるまいか、あれこそが杉本の本体ではあるまいか、と。すでに亡霊はあちらこちらで見かけていたが、しかし似ても似つかない。亡霊は人のかたちを取り、歩きもすればしやべりもする。一方、目の前の光の塊は、早送りで見る雲のようにかたちを素早く変えながら浮かんでいるだけだ。じっと見ていると、どうにもこうにも焦点が合わず、しだいに意識が吸いこまれそうな、全身が虹色の雲に包まれてゆくような感覚におちいる。
 ふと気づいた。杉本の額の辺りから一本の糸のようなものが出て、虹色の雲とつながっているではないか。その糸はよくよく見るとちらちら白く輝きながら、風になびくようにゆっくりと揺らめいている。その糸も初めて目にするものだったが、直感が働いた。ああ、この糸が切れれば杉本は死ぬんだな、と。とつに、この糸をって雲を杉本の体に押しもどしたらどうだろう、という考えがひらめき、糸に手を伸ばしかけたが、の糸よりもなお細くて頼りなく、触れただけで切れてしまいそうで、手を引っこめざるを得なかった。これは、というより人間の死というものは、一介の夢魔ごときにどうこうできるしろものではないのだ。
「おい子鴉。この世界ってのはな、人間の数だけ物語があって、人間の数だけ主人公がいるんだ。どんなクズみたいな物語だって、誰かが主人公をやらなくちゃならない。悲しいもんだよなあ。切ないもんだよなあ。そう考えると、俺はまだマシだ。大した人生じゃなかったけど、やれることは全部やりきったからな。いや、違うな。きっと人間だけが物語を生きてるってわけじゃないんだろう。お前が何者かはわからんが、お前はお前で自分の物語を生きてるんだろうな。そして俺は、そんなお前の物語のなかに、脇役として登場するんだろうな。……おい子鴉、そこでお前に頼みがある。俺の死を見届けてくれ。お前の物語のなかに、俺の死を書きこんでくれ。人間は、自分の死体を片づけられんのと同じように、自分の死を書くこともできんから……」
 そんな杉本の言葉を思い起こしていると、なんの兆しもなく、糸がふっと切れ、かすかにきらめきながらくうに消えた。虹色の雲は、その後も天井際に漂っていたが、そこから線香の煙のようにいくすじもの光がいろせながら立ちのぼりはじめると、しだいに全体がしぼみはじめ、やがて跡形もなくなってしまった。私はしばしのあいだ、その何もない空間をぼんやりと見つめていた。見おろすと、いまだ杉本の肉体は薄汚れた万年床に仰向けに横たわっていたが、そこに彼がいるという存在感は搔き消え、ただ乾いた抜けがらだけが投げ出されているのだった。
 こうして私は、杉本の言葉どおり、その死を見届けたのだ。そしてそのことは、たしかに私という物語の一部となった。その後も私は幾度か人の死に立ち会う機会を得、そのたびに色とりどりの雲のようなものがその身から浮かびあがるのを見たが、杉本の雲ほど色鮮やかなものを見たことがない。その鮮烈さは、杉本が夜な夜な見る夢の鮮烈さそのものであるようにも思え、もしかしたらあの雲は、魂などではなく、人間がいまのきわに見る、人生の終幕を飾る夢なのではないかなどと考えたりもするのだ。
 私はおよそ二年に亘って杉本の家にぐうしたが、彼の死後、その町を離れ、長い放浪生活に入った。子鴉は巣立ちをしたのである。

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