今村翔吾「海を破る者」 #018
元軍は難なく志賀島を占拠した。
志賀島は水の確保の難しい島であり、そう長きに亘っては陣を張れない。故に幕府としても重要視はせず、石築地を講じることも、兵を配することもなかったからである。
そのことには元軍もすぐに気付くだろう。だが今や、元軍もそう長く居座る必要はない。十万と称される江南軍を待ちさえすれば良いのだ。江南軍が現れれば、兵を割いて二方面で戦わねばならぬため、こちらとしては一刻も早く志賀島から敵を追い落としたい。
本陣に集まって対策が練られることとなった。鎮西東方奉行の大友頼泰、鎮西西方奉行の少弐経資、そして新たに編成された後詰め軍の大将少弐資能。その他、一手を任されるほどの有力な御家人が集まっている。後詰め軍からは、資能の他は六郎のみが加わっている。少弐経資が厳かに口を開いた。
「まずは浜の上陸を防いだことは重畳。皆の働きに執権に代わり礼を申す」
経資は精悍な頰を一層引き締めて続けた。
「だが昨日、勝手な振舞いをした者がいるのは存じておろう」
元軍が志賀島に上陸した六日の夜半、一部の御家人たちが奉行に諮ることもなく、勝手に夜襲を仕掛けるということがあった。両奉行は慌てて停止の命を発したが、すでに戦が始まっており、すぐには収拾がつかない。ようやく朝方になって全員の引き上げが済んだ。
大した成果も上がることはなく、結果はこちら側の負けといってよい。折角、初戦に勝って士気も上がっていたのに、それが帳消しとなったようなもので、経資も怒りが収まらないといった様子である。
「夜襲を行った御家人は後方に回すことに決めた。此度の評定にも加わらせぬ。貴殿らは当然解っていようが、麾下の者たちにも気儘を許さぬように、改めて申し付けて頂きたい」
皆、一様に頷く。六郎と資能は顔を見合わせて微かに苦笑した。昨日、夜襲の騒ぎを聞きつけた竹崎季長は飛び起きるなり、
——くそっ、出遅れた! こうなれば大将首を獲ってやる!
と、自らの郎党を率いて駆け出そうとした。そこに六郎が駆け付けて制止したのである。まだ短い付き合いであるが、季長がこのような行動を取るのはよく判っていた。
此度の夜襲は奉行の指示ではない。恐らくは一部の御家人が勝手に行った抜け駆けであろう。故に功とはならず、むしろ加われば罪を蒙り、今後一切手柄を立てられぬはめになる。六郎はそう必死に説得し、季長もようやく落ち着いたということがあったのだ。予想通りの結果に、二人とも安堵したという訳である。
「明日、志賀島を攻める」
経資は力強く言い切った。
「知らぬ者もいるだろうから改めて言うが、志賀島には海の中道を通って行くことが出来る」
示し合わせたかのように、今度は大友が話を引き取った。
志賀島は完全な孤島ではなく、続く一本の道がある。古くは打昇の浜、吹上の浜などと呼ばれていたが、海を割ったような道であるから、今では海の中道と呼ぶ者が多いという。
長さは約三里、幅は広いところで半里もあるが、その一方、狭いところでは潮が満ちれば、道切と呼ばれる海に沈む箇所もあるらしい。
明日の朝、潮が引いた時を見計らい、一挙に海の中道を渡って攻め入り、元軍を志賀島から追い落とすというのが両奉行の立てた策である。
「東西の奉行麾下から選りすぐった五千の兵を出し、合わせて一万。これで志賀島を攻めることと致す」
一万というのは、海の中道の幅を鑑みて弾き出した数。昨夜、勝手をした御家人は除いた上で、人選はすでに終えているらしく、大友はその名を次々に発表していった。
全ての名を告げたところで大友が視線を送ると、経資が再び口を開いた。
「とはいえ、海の中道だけで敵の守りを破るのは難しいと見ている」
何しろ狭い。半里の幅といえどもそれはごく一部。件の「道切」ならば、潮が引いていても五町ほどだという。当然、元軍もそこを押さえるように布陣することになろう。
道の狭まるところを押さえるのは兵法の基本。しかも元軍が弩を用いるのは先の襲来でよく判っている。一方、日ノ本では武士に騎射の巧拙を競いあう風潮があったためか、弩の構造自体は知られていても、広く普及することはなかった。
弩は大鎧を難なく貫く威力を誇り、射程距離も弓より遥かに長い。代わりに、矢を装塡するのに時を要する。だが此度のように守る戦いならば、その弱点も克服されるだろう。
加えて元軍が使用する火薬の兵器「てつはう」も、この場合はかなり厄介な存在になり、単純に正面から攻めるだけでは、こちらは甚大な被害を受けるだろうと経資は見立てた。
「故に海からも同時に攻める」
経資が凜乎として言うと、一座からどよめきが起こった。
「それは無謀ではないか」
見かねて資能が苦言を呈した。
皆があの雲霞の如き大船団を見ている。広がって博多の海を埋め尽くすほどだったのに、それが今、志賀島の周辺に密集しているのだ。それを突破して志賀島にまで到達するなど、陸から攻めるよりも遥かに難しいであろう。
「敵の気を引く必要があるのは、先の奉行殿ならば重々お判りのはず。厳しくとも、やらねばならぬのです」
公私の区別を付けるためか、経資は自らの父に他人行儀に言った。
元軍は海の中道を突破された時のことも考えている。その時、船に乗って退くことも視野に入れているはず。船が沈められては逃げ道を潰されることになり、その不安を煽ることで元軍を狼狽させることが出来るかもしれない。そうでなくては海の中道を突破することは能わぬと経資は静かに伝えた。
「海より攻める面々を言う」
幕府の恩賞奉行の父を持ち、肥後国の守護代で此度の戦にも船団を率いて来ている安達盛宗。肥前の御家人で古強者として評判の福田兼重、その子の福田兼光など、経資は順に名を告げていく。
「そして最後……伊予の河野通有殿。叶うならば先陣を務めて頂きたい」
経資はこちらをじっと見据えて言った。今日一番のどよめきが一座から起こった。
先陣は誉には違いない。しかも今の河野家よりも、遥かに幕府要職につく安達一族を差し置いてである。
だが、皆が吃驚するのはそれが原因ではない。先ほど思わず資能が声をあげたように、陸からの攻撃より、海からの攻撃のほうが危険である。ましてやその先陣ともなれば、
——元軍の気を引いて真っ先に死ね。
と、言われているに等しいのだ。
河野家に先陣の栄誉を奪われても、安達が文句一つ零さないのはそのためである。火中の栗を拾いに行くような真似はせず、そしらぬ顔で違う方向を見ていた。
暫しの無言の後、経資は続けて訊いた。
「如何」
「西方奉行殿——」
資能が再び口を開こうとするのを、六郎はすっと手で制した。
「承った」
再び低いざわめきが起こる中、六郎と経資は互いに視線を逸らさずに見つめ合った。
「河野殿は何故、ここに来た」
経資は静かに問うた。
多くの者が意味を解しかねて首を捻る。幕府に命じられたから行く。ほとんどの者がそう思っているからであろう。それは東方奉行の大友でさえ同じらしく、怪訝そうに口を尖らせる。この問いの真意を解っている者は、資能などほんの一握りではないか。
「命を賭して手柄を立てようとするか」
重ねて経資は訊いた。
「手柄など」
「幕府のため……いや、日ノ本のためというか」
「そのような大層なことを申すつもりは。ただ……」
「ただ?」
経資は惹き込まれるように鸚鵡返しで尋ねた。
「この愚かな戦を止めるのに訳はいらぬかと」
六郎は凜然と言い切った。
令那の故郷のるうし、繁の故郷の珍島の情景。そこに生きた人々の笑顔と涙。見たことも、出逢ったこともないのに、今の六郎には脳裏にありありと思い描くことが出来てしまう。
日ノ本が、伊予が同じ目に遭わぬようにしたいとも当然思う。だがそれ以前の話である。人の愚かさの骨頂たるこの戦を止めろと、内なる己が連呼してくるのだ。
これで陣立てが全て定まった。明朝、志賀島に向けて総攻撃が行われる。
まだこの国難は続く。が、明日が一つの分水嶺になると誰もが感じており、それぞれから零れる興奮と不安の入り混じった、異様な雰囲気の中で評定は終わった。
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