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今村翔吾「海を破る者」 #009

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 した赤船は釣島にえいこうし、海賊たちのうち無傷の者は牢へ、怪我を負った者には手当を、死んだ者は弔った。六郎は生き残った海賊に何故、瀬戸内に姿を見せたか尋問した。すると返って来た答えは意外なものであった。
「向こうにいては元に殺される」
 彼らは生まれながらの海賊という訳ではない。もとは南宋に拠点を置いた商人であった。だが南宋が屈服すると、元に協力的であった商人だけが今後も商いをすることを許され、彼らは船を持つことも禁じられた。故に海に逃げだしたのだが、元は執拗に取り締まり、行く当てをなくしてここに逃げ込んだというのだ。まさかこの件にまで元が絡んでいるとは思わず、六郎は喉を鳴らした。
「船は返す故、二度と瀬戸内に現れるな。次に現れれば容赦はせぬ」
 かしらは唐人で前の海戦で死んだ。己が斬ったらしい。そのため生き残った副頭に向けて言った。唐人であるが商いで使っていたため倭語が解るらしい。
「解った……」
 副頭は震える声で言った。牢に繫いだ者には簡単な普請役を与え、怪我人の治療が済んだ初夏の頃、赤船は水居津の湊から出て行った。当初は最低限の食糧だけを与えるつもりだったが、十分な量を持たせることにした。
 二度と海賊をせぬこと、瀬戸内の河野家は海賊を決して赦さぬと吹聴することが条件である。そしていま一つ、
「鎌倉へ向かえ」
 と、六郎は付け加えた。幕府は元の激しい侵略を見て、海の重要性に今更ながらに気付き、琉球など元に支配されていない国との交易で力を蓄えようとしている。二百石の船を持ち、それを操る技を持つ彼らを取り込もうとするはずだ。
 六郎は幕府に宛てた文を書いて持たせた。彼らは商人であったが、元の圧迫を受けて海に逃れた。途中、食うために海賊行為をしたが人は殺していない。河野家が捕らえ厳格な罰を与えた。鎌倉で商いに携わらせれば役立つと思うといった内容である。
 副頭は何度も詫び、感謝の意を示して鎌倉に向けて旅立っていった。こうして伊予の海に平穏が戻ったのである。
 弘安三年の秋も深まる頃、鎌倉から二通の書状が届いた。一通目の内容は、
 ——海賊を止めたとのこと。船大将の勇名に相応しい働きである。よって河野家のほんがんであったかざはやぐんの一部を返す。
 という恩賞の沙汰であった。
「やりましたな‼」
 庄次郎は飛び上がって歓喜した。
 河野家の本貫地である風早郡は、現在誰かの領地になっている訳ではなく、幕府が直轄として代官を派していた。その半分を返すとともに、元々居を置いていた双子山城も河野家に戻すというのだ。約五十年ぶりの帰属が許されたことで、河野家中は沸きに沸いた。
 だが六郎は冷静であった。まず加増はともかく、双子山城に対し魅力を感じていない。土地の多くを失った河野家は、海によって生計を立てて来た。今後もそれは継続していかねばならない。そうなると山城で、なおかつ水居津から遠い双子山城はかなり便が悪いのだ。とはいえせっかく返して貰った双子山城に移らねば、幕府の心証を悪くするだろう。
「双子山城には移るが、この屋敷には半分の郎党を残す」
 あくまで海においてはこちらが本拠であるという考えである。これには庄次郎も含め、反対する郎党は皆無であった。あと一つ気に掛かることがあった。
 ——何故、今になって加増なのだ。
 と、いうことである。承久の乱以降、幕府は五十年に亘って河野家を冷遇してきた。元が来襲した時にも船を出せずに功を立てられていない。それが海賊を追い払った程度での加増は訝しい。
おもてに立たすつもりだな」
 六郎は書状を見つめながら零した。海賊を止めたということは即ち、河野家が船大将の威勢を取り戻しつつあるということ。いよいよ元の再来が現実となろうとしている今、河野家にさらに力を戻し、最前線で働かせようという意図が汲み取れた。
 書状にはまだ続きがあった。恩賞の沙汰に沸く中、六郎だけが絶句して手を震わせた。そこに並んでいた文字は、
 ——海賊は死罪に処した。
 と、いうものだったからである。六郎の文は何の役にも立たなかったことになる。
「何故だ……」
 彼らは確かに罪を犯した。が、人をあやめた訳ではなく、またその行為に及んだ情状はむに値する。こちらが罰を与えたとも付け加えたのに、そして幕府に対して有益になるにも拘わらず、全てを殺す意味があろうか。その時、六郎の頭に過ぎったのは、
 ——お前は……何も解っていやしない。お前が思うほどこの世は美しくはない。
 という繁の言葉であった。
 あの日以降、繁とはまともに会話もしていない。かといって罵る訳ではなく、己を見るとすっと姿を消してしまうのだ。
 その夜、宴会が行われた。皆が浮かれる中、六郎は末席にいる繁に目配せをして立ち上がった。繁も何かを察したらしく腰を上げる。
 二人、無言のまま廊下を歩み自室へと入る。今宵は満月である。あんどんに火を入れずに戸を開け放った。宴会の陽気な声に誘われたように、虫が一斉に鳴き始めた。
「なあ、繁……」
「ああ。俺も話したいと思っていた」
 六郎が振り返ると、繁はこちらを見つめていた。互いに向き合って座る。心地よい秋の風が部屋へと吹き込む。繁と過ごす三度目の秋である。
「お主の過去を教えてくれぬか」
 六郎ははきと言った。繁の蒙古人に対しての怨嗟は並々ならぬものと感じていた。だが繁はその蒙古人より、同朋であるはずの高麗人がさらに憎いと言った。繁の過去にその答えがあるのだろうことに察しはつくが、ずっと聞けずにいた。
「何故、知ろうとする。聞いたところで、何も奪われたことのないお前には解るまい」
「確かに解らん。だが解りたいと思っている」
 それが悩み抜いた六郎の答えであった。口で「解る」というのは簡単なことだ。しかしそのような経験がない者には決して解るはずなどないのだ。必要なのは解ろうと努め続けることではないのか。今度は半端でなく、逃げることもなく、全てを受け止める気でいる。

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