今村翔吾「海を破る者」 #013
郎党たちが進み出るのを制して、布江は六郎が負ぶった。そして一歩、また一歩と踏みしめるようにして戻る。襲撃者の男には縄を掛けて連行し、残りの郎党には探索に出た者を集めるよう命じた。令那は泣き止みはしたが茫然自失といったふうで、繁に手を引かれている。令那の痛ましい様子が余程応えるようで、繁の手は小刻みに震えていた。
襲撃のあった地点で合流した通時は、何があったのか一目で察したようだった。
「やはり、大祝家です」
「左様か」
短いやり取りの後、戻った郎党全員に向け六郎は叫んだ。
「合戦じゃ!」
「応‼」
どの者も怒りと哀しみの混じった目で、猛々しく声を上げた。通時もまた止めはしなかった。ここまでのことをされて、黙っていられる者がどこにいよう。三島社も何も関係ない。河野家の総力を挙げて大祝家を潰す。大祝家に味方する者があれば、その者たちも打ち破る覚悟である。
軍勢を整えようと河野屋敷に戻る最中、砂塵を上げてこちらに近づいてくる騎馬が見えた。数は三騎。どうも河野家の者ではない。
「御屋形様」
通時が呼んだ。大祝家の者ではないかと思ったのだ。
「そのようだ」
郎党の半分に令那も含めた女中、難波衆の負傷者を連れて先に行かせた。繁にも令那に付き添うように頼む。
六郎は通時、残った半数の郎党と共に待ち構えた。やがて騎乗の者の顔も見えてくる。
「安俊……だと」
三騎のうちの一騎は老軀、越智安俊である。家督は息子の安胤に譲ったとはいえ、未だに大祝家の権はこの安俊が握っている。その安俊が僅かな供を連れただけで現れるとは如何なことか。しかも、その顔は苦悶に歪んでいる。
安俊は近くまで来ると馬から降り、六郎の前に進み出て突然、地に膝を突いた。
「申し訳ございませぬ……」
「どういうことだ」
己でもひやりとするほど冷たく言い放った。
「此度のこと……愚息安胤が一存にて……」
大祝家の狙いは、六郎が考えていたものとほぼ符号していた。伊予衆の旗頭の地位に就こうとしていたのである。安俊が大勝負と定めていた正月に河野家を失脚させる機会を逃してしまった今、伊予の旗頭としての出陣は諦めた。長期を見据えて大祝家を盤石とし、徐々に勢力を伸ばす方策に切り替えたのである。
だが血気盛んな安胤は諦めなかった。表向きでは安俊に従うふりをして、盗賊たちを集め、河野家女中が行楽するという情報を得て急襲させたのだった。
「と、いう言い訳か」
「そう思われても仕方なきこと……」
安俊はか細い声を発して項垂れた。通時も首を捻っていたが、やがて小声で、
「あり得るだろう」
と、囁いた。
大祝家は純粋な兵力では河野家には遠く及ばない。陸軍の兵力も大祝家を「一」とするならば、河野家は「五」ほど、そこに新造船の道達丸を含めた水軍を加味すれば、十倍ほどの差となるだろう。それを重々解っているからこそ大祝家は正面衝突を避け、三島社の大神主であるという自家の強みを生かし、幕府の前で河野家を貶めようとした。
安胤の策が上手くいき令那を奪取できれば、この安俊も嬉々としてそれに便乗しただろう。だが、しくじればこのように河野家から総攻撃を受けるのは火を見るよりも明らかなのだ。伊予の大小の地侍も河野家に味方し、事情を説明すれば幕府は大祝家に援兵を送るどころか、反対に全面的に河野家を支援しかねない事態である。
「仮にそれが真であろうとも、安胤が当主であることは変わらぬ。この場にて討ち取ることはせぬ故、急ぎ戻って戦支度をされるがよい」
六郎が淀みなく言い放つと、安俊は地に額を擦り付けて声を震わせた。
「何卒……ご無礼をお許し下さい……」
正月に見せた老獪さは消え去り、哀れな老人の姿である。いや、老獪であるからこそ、もはやこの方法しか大祝家が生き残る道はないと見ているのだろう。全て正直に吐露したのもそのためである。
「戦場で相まみえよう」
「お願い致します……領内には無辜の民が」
どの口が言う。喉までその言葉が出かかったが、六郎の脳裏に浮かんだのは今しがた旅立った布江の姿であった。布江は己を河野家の争乱に巻き込むなと、自らが罪を受ける覚悟で六郎の父に迫った。そんな彼女ならば何と言うだろうか。大祝家の存念はともかく、多くの民が苦しみ、死人も必ずや出る。しかもいつ蒙古が迫り、食うにも困るかもしれない今である。
——布江……俺は……。
心中で何度か問答を繰り返し、六郎は細く息を吐いた。
「安俊」
「はい……」
「難波衆に被害が出た」
「当家から弔い金を出します」
「安胤はどうする」
「蟄居を命じて押し込めております。拙者にはあの愚息しかおりません……しかし此度の罪はあまりに大きく……」
当主の座から降ろして腹を切らせる。安俊はそう言いたいのだろう。
「今後、河野家に刃向かわぬという誓紙を書け。三島社に誓え」
「承りました。しかし安胤は……」
「河野家は遺恨という呪いの恐ろしさを重々知っている。今ならば互いに引き返せる」
安俊は平伏して何度も感謝を述べると、誓紙を交わす日取りを決めたのち、急いで領内に向けて取って返していった。
「よいのか」
姿を見送りつつ通時が尋ねる。
「甘い処断だったかもしれませぬ」
「いや……儂も同じことを考えていた」
「ありがとうございます」
「六郎」
御屋形様ではなく名で呼ぶのは、伯父としてということだろう。
「はい」
それ以上、言葉を交わさずとも解った。己たちもまた、今からでも引き返せるのではないか。そう思ってくれていると確信した。通時は配下の郎党に離れるように目配せし、やや迷いつつ話し始めた。
「お主の父を貶めることにもなる。ここで儂が折れればよいのかもしれぬ……だが噓はつけぬ。やっていないものは、やっていない」
「私もそう思っております」
六郎が即答したのが意外であったようで、通時は目を瞬かせた。
「だが儂に責がない訳でもない……」
通時は何があったのか真実を話そうとしている。だがその苦悶の表情から、語りづらいことだと察しがついた。
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