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河野裕「愛されてんだと自覚しな」#004

WEB別冊文藝春秋

幻の古書・徒名草文通録あだなぐさぶんつうろくを奪取するため、
神戸・六甲山麓のホテル「金星台山荘」に潜入した祥子と杏。
そこにはまた、文通禄への並々ならぬ執着をみせる人々の姿が……

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浮島龍之介の野望と彼の本日の出来事

 ——だって、ここにはなにもないもの。
 そう言って初恋の女性が去ったとき、浮島りゅうすけに野望が生まれた。
 我が故郷・英城郡に、全国に誇れる名物を生み出そうという野望である。
 英城郡は姫路市に隣接している。けれど、お隣との力の差は歴然だった。あちらには「日本の城ランキング」でトップを定位置とする姫路城がある。西の比叡山と称されるしょしゃざんえんぎょうも、奈良時代に創建されたというひろみね神社もある。食の面では瀬戸内海の海の幸に加え、いつの間にかインスタント食品になりその名を轟かせた「まねきのえきそば」だとか、生姜醬油を添えただけでオリジナルだと言い張る「姫路おでん」だとかがある。対して英城郡にあるものといえば、山と田畑と空と綺麗な空気くらいのものだ。
 姫路市に勝とうとは思わない。けれど、負け方にも質がある。城も神社仏閣も食も——旅行誌に掲載されるトップスリーをすべて押さえているのは、さすがにずるいのではないか? どうにか一矢報いたい。
 よって浮島は、姫路市との一方的かつ無謀な闘争に身を投じた。彼は野望を抱き、努力を苦とせず、夢を追う悪あがきこそを美徳とする男だった。
 眼光鋭く英城郡を見渡して、目をつけたのは景観だ。奇をてらうことはない。我が故郷の美点を信じ抜けば良い。他のなにがなくとも、英城郡には自然が隙間なく詰まっている。なだらかな山は雄大で美しく、空は高く、四季折々の景色は改めて眺めてみれば絵になった。英城郡の自然は美しい。問題は、誰もわざわざこの自然を改めて眺めようとはしない点だ。
 ——つまりこの中に、明確な特徴があれば良いのではないか?
 自然の中に、なにかひとつ、胸を張って誇れる歴史的特徴。
 浮島は図書館の風土の棚に並ぶ書物を読み漁り、そして希望を見出した。
 その希望の名を、鹿しかざくらという。

 桜とは、繁栄と淘汰が繰り返されてきた花である。
 たとえば現在、この国の桜の八割はソメイヨシノだといわれるが、その品種が生み出されたのは江戸時代後期のことだ。ソメイヨシノが栄える裏では、それまで広く植えられていた園芸種の桜がいくつも滅んでいる。また、桜は薪や建材としても使われ、あまの木が人の手で切り倒されてきた。
 鹿磨桜はこういった事情で「滅んだ桜」のひとつとされる。かつては英城郡を含むはり一帯に自生していたようで、いくつかの文献にその美しさが記されているが、現存する木は一本もみつかっていない。
 それはヤマザクラに似た傘状の樹形だという。一方、無数の花が同時に咲き乱れ、それが散り終えてから新緑が芽吹く特徴はソメイヨシノに一致する。花弁は六枚で小さく純白——木全体を眺めても「桜色」と呼ばれて思い浮かべるたんこう色ではなく、輝くほどに白いその見栄えから雲桜とも呼ばれた。
 浮島は、そのまっ白な桜が英城郡の山々に並ぶ景色を想像する。自らの胸の中で咲き誇る、何万本もの鹿磨桜は美しく荘厳で、自然と涙が滲んだ。
 ——なんとか、この景色を現実にできないだろうか?
 もしも鹿磨桜が残っていたなら。ただの一本で良い、どこかに生き残っていてくれたなら、増やし育てることも叶うだろう。
 人に話せば、「そんな桜などあるわけがない」と笑われた。本当にそれが際立った桜なら、現代でも注目を集めていないわけがない。鹿磨桜はすでに滅んだか、そうでなければ他の桜と区別がつかない無個性な木だ。誰もがわかった風に、そう言った。
 だが浮島は諦めなかった。
 鹿磨桜こそが我が生涯の運命なのだと決めていた。
 そうだ。本来、運命とは天から与えられるのではなく、自ら名づけるものなのだ。心惹かれるひとつを身勝手に運命と呼ぶことが、あらゆる困難を乗り越える力となる。
 浮島は鹿磨桜への細い糸を手繰り続けた。植物学について学ぶ傍ら、桜に関する文献を数多く収集し、近隣の野山を歩いて回った。そしてあるとき、徒名草文通録という奇怪な古書の話を耳にした。
 ——文通録の中には、滅んだ桜が押し花になったページがあるそうです。それは小ぶりな桜の花で、白い花弁が六枚あると言います。
 これを聞いた浮島は、「満開の鹿磨桜」という理想へと至る道筋を、はっきりと思い浮かべた。
 徒名草文通録から、鹿磨桜の押し花を手に入れる。もしそこに種が残っていたなら言うことはないが、そうでなくともかまわない。
 押し花を調べれば、鹿磨桜がいかなる系統に属す桜かがわかるだろう。そして遺伝的に類似する桜の種に、押し花から採取したDNAを加えることで、鹿磨桜を再生させる。一度では上手くいかなくとも、鹿磨桜の特徴が色濃く現れたものを根気よく掛け合わせる。するといずれ、純白の桜が蘇る。かつてこの地に咲き誇った、そして今もまだ浮島の胸中で咲いている桜が、もう一度花開く。
 なにも怖れることはない。人類は、存在しないはずの青い薔薇まで生み出したのだ。かつて存在した花を取り戻せない道理などない。
 浮島は万難を排し、その押し花を手に入れようと決めた。

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