『別れる決心』――パク・チャヌクに流れる“猥雑さ”の源流をたどる|透明ランナー
パク・チャヌク(1963-)の6年ぶりの新作長編映画、『別れる決心』がついに公開されました。
私はパク・チャヌクの「猥雑さ」が大好きです。脚本も撮影も到底想像の及ばない超絶技巧を駆使し、綱渡りのようにギリギリのタイミングでつなぎ合わせながら、奇跡的に1本の映画として結実しています。『別れる決心』も、一見クライムサスペンス映画のようでありながら、ラブロマンス映画でもあり、アクション映画でもあり、コメディの要素も忘れず、いやそのどれでもなく……。ジャンルにくくることが不可能な作品です。
私は本連載で撮影技法についてたびたび触れていますが、『別れる決心』は奇想天外なショットの連続です。パソコンの画面の奥からこちら側を覗きこむようなショットや大胆なドローンの活用などは他の作品でもまあまあ見ますが、「遺体の目から生者を見上げる」ショットはさすがに驚きました。こんな映画作家は他に思いつきません。唯一無二です。
このような奇跡的な猥雑さの「源流」は彼の青年期にさかのぼることができます。1980年代の韓国は軍事独裁政権下にあり、文化の流入が厳しく制限され、ハリウッド大作以外の国外映画を観るのは容易ではありませんでした。そんな中でもシネフィル青年たちはどうにかこうにか映画を輸入し、浴びるように吸収していったのです。
パク・チャヌクと親友イ・フン
パク・チャヌクを知るためには、彼の盟友イ・フン(1962-1996)について知らなければなりません。パク・チャヌクが「僕の映画に対する態度に根本的な変化をもたらした人物です」と述懐するイ・フンとはどのような人物なのでしょうか。
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