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冲方丁「マイ・リトル・ジェダイ」#017

WEB別冊文藝春秋

この戦いに、息子の人生がかかっている――
オンラインゲーム『ゲート・オブ・レジェンズ』の
世界大会に出場するため、暢光はシンガポールへと向かった。
大舞台を前に緊張を隠し切れない暢光だったが……

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第七章 ヒーローは戦う Game start

 のぶみつは、ゆうすけとともにシンガポールのチャンギ空港に降り立ち、その南国風の未来都市といった感じの広大なターミナルを進んでいった。すぐ隣には人工の滝を備えたアトラクションやショッピングモール付きの複合施設があり、到着してすぐ現地のテーマパークに入り込んだようだ。
「うわあ、こんなのあったっけ」
 暢光は目を丸くして感嘆し、左右へ蛇行しながらトランクを転がしてあちこち見て回ろうとした。シンガポールには、子どもたちが生まれる前、まだお金がずいぶん手元にあった頃にと二回来たことがあった。当時の記憶とはかけ離れているほどの派手さに暢光は大いに驚き、家族全員で旅行に来てたら楽しかっただろうなあ、と寂しさを覚えた。
「うろうろしすぎだろ。観光に来たのかよ」
 裕介が、暢光の腕を引っ張って注意した。
「いやあ、すごいねえ、最近のシンガポール」
「ネットで見たけど、毎年なんか話題になる施設ができてるらしいからな。それより、いかにも観光客って顔してると変なのが寄ってくるから気をつけろよ」
「変なのって?」
「ちょっと荷物を持っててくれとか、両替してくれとか言って近づいてくるやつがいたら、絶対に無視しろ」
「なんで? 別にそれくらい――」
「荷物の中に麻薬が入ってたり、両替してもらうふりして財布の中に幾ら入ってるか見てから盗んだりするんだよ。あんたみたいなのが運び屋にされたり、財布やパスポート盗まれたりするんだぞ。マジで気をつけろよ。シンガポールで麻薬持ってたらガチで死刑だからな」
「うわ、怖いねえ」
 そういえば、亜夕美と一緒に来たときも似たようなことを言われたな、と思い出して、またちょっと切なくなった。
 裕介のほうは、暢光が期待する以上にアテンド役に徹しており、さっそくポケットWi―Fiに携帯電話をつないで、マシューの会社のスタッフと連絡を取っている。
 空港を出てすぐ、日に焼けた顔に晴れやかな笑みを浮かべる若い男が、白いバンの前で携帯電話を握る手を大きく振ってみせ、「ウエルカム・トゥ・シンガポール! プリーズ・エンジョイ!」と言って出迎えてくれた。
 暢光は裕介とともに礼を述べ、彼に荷物を渡して車のトランクに入れてもらい、互いに自己紹介をした。相手は、デズモンド・ウォンという、マシューの会社で働くドライバー兼ディレクター補佐とのことであった。
 さっそくバンの後部座席に乗り込むと、すでにエアコンがしっかり効いていた。空港から出たとたん汗だくになりそうなほど蒸し暑かったので、「大助かりです」と暢光は真面目に感謝し、デズモンドに面白そうに笑われた。
「暑さが苦手でしたら、慣れるまでは無理をして外を歩かない方がいいでしょう。建物の中はどこも涼しいですよ」
「寒いくらいです。上着がいりますね」と裕介がこれまた真面目に言った。意外に寒がりで、飛行機の中でもずっとカーディガンを羽織り、毛布にくるまっていたのだ。
「せっかく来たので、大会の会場の周りくらい見ておきたいですね」暢光が言った。
「ホテルから会場へは歩いて行けます」デズモンドが言った。「周囲はショッピングエリアやレストランも多いです。少し足を延ばせばギャラリーや博物館もありますし、あと会場から橋を渡ってすぐのところにマーライオン公園があります」
「ああ、いいですねえマーライオン、見たいなあ」暢光が言った。
「観光で来たんじゃないだろう」
 裕介が日本語でぼそっと呟いたが、デズモンドは快く応じてくれた。
「マシューとの食事の時間までまだだいぶありますから、ホテルに行く前に寄りましょう」
 空港からホテルまでは車で二十分ほどだったが、さらにその少し先にあるマーライオン公園まで連れて行ってもらった。暢光と裕介は、自分たちの携帯電話をデズモンドに渡し、口から水が噴き出す大きなマーライオン像を背景にして撮影してもらった。
「横を向いて、大きく口を開けて下さい」
 デズモンドが言うので、暢光と裕介はかわりばんこにそうした。デズモンドが、しゃがんで上手い具合に角度を調整した。そうして、マーライオンが放つ水を、暢光や裕介が大口を開けて飲んでいるように見える写真を撮ってくれた。
「ウケるな、これ」裕介が、観光しに来たんじゃないと言っていた割には面白がって笑い、デズモンドに礼を言った。
「せっかくですから。お二人に行きたい場所があれば、お連れするようにとマシューから言われています」
 デズモンドはにっこりとして言った。このちょっとした観光を楽しんでのち、速やかにホテルに行ってチェックインした。デズモンドは夕食の時間にまたロビーに迎えに来ると告げて去り、暢光と裕介はエレベーターに乗って部屋へ向かった。
「高所恐怖症になりそうなくらい高いな」
 裕介が、そう呟くほど高い吹き抜けをエレベーターがのぼっていった。二人とも同じフロアに降り、トランクを転がして隣同士の部屋にそれぞれ入った。
 ちょっと狼狽うろたえそうになるほど、広くて綺麗で豪華な部屋だった。暢光はベッドの足元のオットマンに座って部屋を見回し、緊張を覚えた。こんなに良い部屋を用意してもらえるとは思ってもいなかったのだ。マシューなりの心遣いなのはわかるし、会社の経費として支払われるのであって、個人的にまかなってもらっているわけではないだろう。だがそれでも経済力の差を見せつけられるし、どれだけこちらに塩を送ろうとも勝つのは自分だとマシューから宣言されているようで落ち着かない。むしろこれから負ける自分たちを、あらかじめ慰めてやっているのだと言わんばかりだ。
 家族で来たらすごく楽しそうな場所なのに、目に見えない圧力をかけられている感じがした。暢光はその感覚を追い払うために、立ち上がってトランクを開き、大会のために持って来た品々を、オットマンの上に並べていった。
 ゲーム機、カスタマイズされたマイ・コントローラー、チャット用カメラとヘッドセット、電源プラグ、さんから渡されたじゆが作ってくれたミサンガ、たつくんからもらった必勝祈願のお守り、亜夕美がくれた姿勢の維持に役立つというチェアクッション、とう先生がくれた盛り塩、よしひとくんとさんが作ってくれた『TEAM RINGINGBELL』『KNOB7』『必勝』と胸や背にプリントされたTシャツ、そしてじようまえたけから押しつけられたシンガポールの旅行ガイドブック。それらに加え、暢光が個人的に旅の必需品だと思っている、ルイボス・ティーの箱入りティーバッグとインスタント味噌汁の六種パックを置いた。
 それから、携帯電話を手にしてジェダイのフィギュアの画像を表示させると、ようやく見知らぬ豪華な部屋の中に、自分の空間ができたような気になった。
 暢光は気を強くしながら、壁掛けの大きなテレビモニターの下に、チェアクッション以外の品々を並べ直した。モニターにゲーム機と付属機器を接続し、『ゲート・オブ・レジェンズ』を起動してサーバーに接続できることを確かめた。
 ゲーム・ロビーを表示させると、チームで接続しているのはりんいちろうだけだった。
 カメラで自分と部屋を撮影しながら『シンガポールに到着!』と凜一郎にメッセージを送ると、すぐにゲーム・ロビーに凜一郎のアバターが現れ、「やったね!」のECを披露してくれた。時差があまりないおかげで生活時間帯がずれることもなく、こうしてつながることで凜一郎や家族から遠く離れているという感覚が、すっと薄れてくれた。
《すっご! なにその部屋!》
「マシューさんが会場に近いホテルの部屋を用意してくれたんだ。なんか申し訳なくて、ちょっと緊張しちゃうな」
《それ、マシューさんの作戦だったりして》凜一郎が、「そう、それそれ」のECを披露しつつ、あながち的外れではないと確信しているような調子で言った。
「お父さんもそんな気にさせられるよ」暢光は笑った。「今日、お前を個室に移すって亜夕美が言ってたけど」
《あー、その部屋にゲーム機をセットするって言ってた。あとカメラとか》
「ユースケくんが、携帯型のゲーム機のほうでつなげてくれるから、お前とみんなに会場の様子を見せられるよ」
《いよいよ明日かー。ひゅー、緊張するね》
「緊張するよなあ」暢光はまた笑った。実を言えば、こうして凜一郎と話しながら、テレビモニターの下に並べられた品々を眺めるだけで、緊張はあまり感じなくなっていた。あるのは、戦うぞ、という強い気持ちだけだ。
 そんな暢光の表情を見て取ったのか、凜一郎が「行こうぜ!」のECを披露した。
《緊張するけど、めっちゃ、やる気出る》
「お父さんもだよ。頑張って、マシューさんに勝とう」
 ふいに裕介のアバターがゲーム・ロビーに出現し、丁寧なお辞儀をするECを披露した。すかさず凜一郎も、同じようにお辞儀をしてみせた。
《こんにちは、ユースフルさん》
《ああ、リンくん、こんにちは。ノブさんも無事に接続できてるな》
「うん、これでギリギリまで作戦を立てられるね」
《リンくんの緊張をほぐす程度にやろうぜ。あんまり考え過ぎて寝られなくなっても、よくないだろうし》裕介が、すっかりセコンドかトレーナーのような調子で言った。
《おれ、大丈夫だよ。めちゃめちゃ、やる気ばっちりだから! うおー、テンション上がるー!》
 凜一郎が「行こうぜ!」を連発し、裕介が「グッジョブ」のECを同じくらい連発した。
《その調子だ。おれがお父さんを通して状況を教えたりサポートするから。リンくんは好きなように思い切りプレイしてくれ》
《うん! ありがとう》
 暢光は、二人のやり取りのおかげで、さらに胸を熱くさせられた。ものすごく勝てる気がしていた。それ以外の結果を考える気が起こらなかった。不安で眠れなくなったらどうしようなどと思いもしない。ただ熱くたぎったやる気に満ちるばかりだ。
 これもひるがえって、マシューの態度のおかげかもしれないと暢光はちらりと思った。勝つことをとことん求め、ちっとも不安を見せず、無邪気なほど自信満々な彼の態度に、いつの間にか感化されていたのだとしたら。それこそ、マシューと出会って得ることができたどんなテクニックやレア武器よりも貴重な、最高の力なのではなかろうか。
「準備はばっちり。あとは勝つだけだぞ」
 暢光は言った。そして最後は「行け行け!」のECを、三人とも笑いが込み上げるくらい連発し合った。

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