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門井慶喜「天下の値段 享保のデリバティブ」#006

堂島米市場を支配するべく江戸商人が大坂に乗り込むも、迎え撃つ大坂商人もさるもので――。
江戸からやってきた紀伊国屋たちは、知恵比べで負けてなるかと策を練り……

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第3章(承前)

 翌日、くには、早朝から大工たちを呼び入れた。
 彼らに木の箱状のものを作らせて、土間に置くことで、もう1つ帳場を増やそうとしたのである。
「報酬ははずむ。すぐ作ってくれ」
 そう言ったのが効いたのか、大工たちはいったん出て行って、おなじ日の午後にはもう完成したものを運んで来た。
 既存のみせがまちの横へ置いてみると、高さがぴったり揃っている。ここに帳場格子と机を置き、奉公人を座らせて、3つめの帳場が稼働を開始したときには、しかしもう土間はしんとしていた。
 ほとんど誰もいなかったのである。ときおり風が吹きこんで来て、土間へ砂を散らせても、足あともつかぬほどだった。
 朝のうちは、まだしも押し合いし合いしていたのである。きのうと同様、商人たちが、
よ、してんか」
「またや。また損するわ」
 ごちゃごちゃ言っていた。ところが紀伊国屋が様子を見に出たところ、そのうちの1人がにわかに近づいて来て、気持ち悪いほど丁重なものごしで、
「いや、あんた親方さんでっしゃろ。こんなとこで何もせんと暇つぶしとったら、わしの店がつぶれます。いったん市場へ戻らせてください。敷銀はあとでまとめて、5件なら5件のぶん、10件なら10件のぶんいう具合に払えばよろしいですやろ。な。な」
「とんでもない。そんなこと……」
 と、紀伊国屋がいまだ返事し終えぬうちに、そいつは、
「ほな」
 体の向きを変え、飛ぶようにして行ってしまったのである。ひとりがやれば、
「俺も」
「俺も」
 紀伊国屋はその背中、背中、背中が波の引くように入口ののれんの外へ消えてしまうのを見ながら、あんぐり口をあけるほかなかった。すっかり静かになってから帳場を見ると、手代と目が合ったので、
「……心配いらん。こっちは名前わかってる」
 と言ったのは、名前が登録ずみだから彼らは支払いをごまかせない、ごまかさない、という観測を述べたのである。
 が、その口調、我ながら、
(言い訳じみて)
 実際は、きっと逆だろう。馬鹿正直に納めに来ることはしない。紀伊国屋はそう思った。いや、納めに来ることは来るだろうが、しかし彼らは、たとえば10件取引したとしたら、そのうち7件ぶんとか、3件ぶんとか、数をごまかして申告して来るのではないか。
 要するに、あとで「納めましたよ」と主張できる程度の、最低限の既成事実づくり。もちろん紀伊国屋たちの側としては、取引の実数を調べ上げれば不正を暴くことはできるわけだが、それは理屈の上の話であり、現実には、そんなこまごましい捜査に割くだけの人手はない。
 いうなれば法律あって警察なしの状態なのだ。そもそも考えを巡らせば、おおさかの商人はこれまで市場を円滑に制御するため、こめかいしよけしあいという中枢的機関をみずから設け、たくさんの店員を送りこんでいる。
 この日も業務をおこなっている。ということは要するに十数軒ものおおだながよってたかって運営しているようなものなので、それと同規模のよう会所を、たった3軒の、それも数えるほどの人数でもって機能させなければならない紀伊国屋たちは、文字どおり多勢に無勢、
(どだい、成り立つはずもない話だった)
 紀伊国屋げんの強い決意がはじめて大きくゆらいだのはこの瞬間である。だが事はこれで収まらなかった。さらに深刻なのは大名の蔵屋敷のほうだった。この日も朝から2、3人、どこかの蔵屋敷から侍が来て苦情を持ち込んだものだったし、その内容もたいてい昨日の役・わたがいもんのそれとおなじだったが、ほどなくして、やっぱり誰も来なくなった。
 結局、それで日が暮れてしまった。翌日にも、その翌日にも……なるほど少しは来た。ぽつりぽつり御用会所ののれんをくぐり、帳場でいくばくかの金を出して行った。けれどもその金はいずれも商人どうしの取引に伴う敷銀で、あの既成事実づくりの行為であり、大名の蔵屋敷での落札者のほうは誰ひとり姿を見せることはなかった。
 既成事実づくりすらしなかったのである。いくら何でも、
(これは、暴く)
 紀伊国屋は、心に火がついた。特別に4人の人数を割き、いわば手製のにわばんをこしらえて、なかしまじようあんうらまちの久留米藩蔵屋敷へと放った。
 4人はべつだん変装もせず、江戸ことばを隠しもせず、ただ蔵屋敷のまわりで役人、ちゆうげん、下男ら、関係者らしき者をつかまえては内部の様子を尋ねるだけだったが、こんな簡単な聞き込みだけでも訳なく真相が判明したのは、4人以上に、蔵屋敷のほうが手口を隠そうとしなかったからだろう。その報告を聞いて、紀伊国屋は、
「あっ」
 目をきそうになった。
(渡瀬め)
 大義づらして、何という狡猾なやりようか。
 いや、いくら何でも、こんなことを武士が思いつくはずがない。実際には渡瀬ではなく出入りの商人、たとえば渡瀬の話に出て来た古株のしおなにがしあたりの発案かもしれない。かりに塩屋とするなら、彼はたぶん、まずお触れの[二]の規定を熟読した。

[二]諸大名の蔵屋敷から入札により米を買う場合、落札した者は、1こくにつき銀1分のこうせん(手数料)を御用会所に対して支払わねばならない。

 そうして文中「入札により」に目をつけた。この1句があるということは、逆にいえば、入札を経ないで米を買うなら口銭納入の義務はないわけである。
 少なくとも、そう読むことができる。彼はこの発見を渡瀬に告げて、入札の実施をただちに止めさせると同時に、渡瀬に対して——久留米藩に対して——金を貸した。
 藩から見れば借金である。担保を差し出す必要があるので、その担保として米切手を発行する。もちろんこの場合、借金だの担保だのは単なる形式にすぎないので、塩屋としては金を出して米切手を手に入れたのだから事実上の購入である。それでいて口銭を納める義務はない。
 そう、これは入札を経てはいないのである。まことに巧みな法の網の目のくぐり抜け、一種のお芝居。ここでは武士と商人がはっきり共犯というか、共演関係にあるのだった。そうして久留米藩以外の蔵屋敷でも同様のお芝居がおこなわれたことは想像に難くなく、だからこそ御用会所には誰も来なくなり、紀伊国屋から見れば、口銭納入が激減したわけである。お触れの[二]の条文は、おそらく誰かが不用意に入れてしまったのだろう「入札により」の短句によって、たった1日で全文が空文と化してしまったのだ。
 翌日も、翌々日も同様だった。紀伊国屋も、むらも、大坂屋も、ただ御用会所の一室で茶などすすりつつ、遠くから市場の喧噪がぼんやり響いて来るのを聞くばかり。大坂どうじまでもっとも暇な3人となって、ものを考えることも少なくなった。
 2月に入って間もなくだろうか。紀伊国屋はどこぞへ出て昼めしを食った帰り、道でばったり渡瀬外門に会った。反射的に立ち止まり、
「あなた、ひどいじゃありませんか」
「何じゃと。おお、おぬしは……」
「紀伊国屋ですよ、紀伊国屋。あなたたちのせいでひどい目に遭った。とんだこんじよわるだ。金を借りるふりまでして」
「借りるふり?」
「とぼけても無駄。ちゃんと種は割れてるんです」
 と一歩ぐっと近づいたら、渡瀬は平然と、
「先納米のことか」
「先納米って」
「わしらだって、ほんとうは堂々と入札をやりたいわい。特定の商人とこそこそ話を合わせるよりも、数人の申し出た値段を比べるほうが高く売れる。まったくご公儀のなさりようには困った、困った」
 紀伊国屋は内心、
(よく言うよ)
 最近この藩がふたたび少しずつ入札をやりだしているらしいことは、噂で聞いているのである。要はその事実を公表しなければ、結局のところ、口銭逃れの目的は果たすことができるわけなのだ。渡瀬はため息をついて、
「ご公儀は世の中を良くするつもりで、かえって悪くしておるのじゃ。そうは思わぬか、紀伊国屋」
「ええ、まあ」
「そうそう、おぬし、江戸へは舞い戻ったのか。ご政道を改めるよう進言せよと申したはずじゃが」
「手紙は何度も送りました。町奉行のおおおかえちぜんのかみ様へ」
「梨のつぶてか」
「まあ」
「はっきり存念を記したのであろうな」
 と念を押され、紀伊国屋は少しためらったのち、深くうなずいて、
「ええ、はっきり。一日も早く大坂を引き上げるべきだと」
「そのほうが、おぬしらの傷も浅くてすむのう」
 と、渡瀬の口調がにわかに温かくなったので、紀伊国屋も苦笑いになり、
「貧乏くじを引きました」
「達者でな」
「渡瀬様も」
「うん」
「皆様によろしく」
「では」
 妙にしみじみした別れになった。

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