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ピアニスト・藤田真央エッセイ#23〈憧れの赤絨毯――コンセルトヘボウ・デビュー〉

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▼#22 バンクーバーからアムステルダムへ

 そして迎えたコンセルトヘボウ・デビューの時。
 20時15分、私の部屋がノックされ、エレベーターで1階(日本でいう2階)に向かい、あの階段へと続く扉の前に立った。

 シャイーに「素晴らしい音楽作りをしよう」と声をかけられ、それを合図に2人のステージマネージャーが寸分違わぬタイミングで両扉をバッと開いた。

 視界に飛び込んできたのは、赤い絨毯じゆうたんの階段と、ぎっしり詰まった満員のお客様、美しいコンセルトヘボウの会場、そして真ん中には堂々たるオーケストラ。そこにはあまりにも幸せな景色が広がっていた。

 大階段を降りながら、不意に「緊張を背負ったときは、それにどう対処するのかではなく、それ自体を受け入れ、極限まで音楽に集中することが大切」という言葉を思い出していた。偉大なるピアニストにして指揮者、ウラディミール・アシュケナージの言葉だ。

 いざピアノの前に座り、シャイーに目くばせをすると、その瞬間スッと集中のスイッチが入り、曲の始まりの和音を深い音で鳴らすことができた。演奏中常に緊張と興奮が入り混じった昂ぶりがあったが、一方でどこか自分を俯瞰ふかんしてもいた。オーケストラとのコミュニケーションも、驚きと駆け引きに満ちていて、非常に濃密な時間だった。

 1楽章が終わったタイミングで、シャイーは私の方へ向き直り、胸に拳をあてて震わせる仕草で私を鼓舞した。それを見てさらに集中度が増し、途切れることがなかった。最後の一音を弾き終えた瞬間、会場は割れんばかりの大歓声とスタンディングオベーション。私はほっと胸を撫で下ろし、階段を上がった。拍手が鳴り止まず、シャイーと一緒に何度も階段を上り下りする。お客様の期待に応えられたことを実感できるこの瞬間はこれ以上ない時間だ。このために辛い緊張に耐えて演奏しているといっても過言ではない。


 2日目も夜公演だったが、私はまた朝からコンセルトヘボウにいた。やはり楽屋は寒かったものの、事務室を訪れたら、ヒーターボーイと彼らは覚えていてくれ、私の姿を見るなりすぐヒーターを貸してくれた。

 初日が成功したこともあって幾分余裕が生まれ、コンセルトヘボウのひとり探検ツアーを敢行した。すると、食堂に電子レンジがあるのに気づいた。良かった、助かった……。アムステルダムはお店が閉まるのが早く、中心街のコンセルトヘボウやホテルの周辺も夜10時で閉まる店がほとんど。前日は仕方なくコンセルトヘボウの前にあるピラミッドの形をしたスーパーで冷凍食品を買ったものの、ホテルで温めはout of serviceだと言われ、頭を悩ませていたのだった。
 この日以降私は、スーパーで牛丼らしきものや焼き鳥を買っては食堂で温め、ホテルに帰って食べることになるのだが、この電子レンジの存在がどんなに救いになったことか。この日に探検ツアーをして心底良かったと思う。

 今回のように同じホール、同じプログラムで4回の公演となると、最初のリハーサルと初日のGP以外、本番前にオーケストラと音を合わせることはなく、シャイーとも舞台裏でしか顔を合わせない。毎日ぶっつけ本番のような形になるので、なかなかの緊張感である。

 2日目は4日間通して唯一、1楽章で拍手をいただいた。だからなんだと言われればそれまでだが、1楽章から良い音楽だと感じてもらえたのならば嬉しい。

 私は自分のことをスロー・スターターだと思っている。曲が終わりに近づくほどに気分がのり、指がさらに鍵盤に吸い付き、最初とは別人のようになると自負しているのだ。それ故、リストの協奏曲のような、全ての楽章がアタッカで繋がり、且つ20分弱で終わるような曲は自分の調子が上がる前に曲が終わってしまうため苦手だ。1楽章から満足のいく演奏ができたということは、ものすごく調子が良かったのだろう。

 3日目にもなるとオーケストラの団員の顔も覚えてきて、親密になってきたと感じられた。すでに会場の響きもピアノの構造も音の飛ばし方も熟知し、初日のようにステージに向かうドアの前で慄くようなこともなく、自分の演奏ができるようになってきた。だが、裏を返せば緊張感が薄れてきていたということでもある。人の感情や性格というのは、音に全て現れるもので、私は徐々に、《第2番》の随所に現れる、葛藤や和音のうねりといった内面的要素の表現が弱まってきたように感じていた。

 オーケストラのパフォーマンスも安定した分、少しずつではあるが、音が間延びするようになってきているようだった。本来であればスムーズに解決する和音に到達するはずが、長く音を捉えるようになりワンテンポ遅れたりする。ただ、それは私が音を正確に感じ取れば修正は可能で、シャイーのサジェスチョンのおかげもあり、結果的にどっしりとした雄弁なラフマニノフになった。シャイーからもこの日の演奏後に、「君のことを見なくても、どのタイミングで君が入るのか、息遣いや音楽の方向性も完全にわかるようになった」と言われた。

©Eduardus Lee
Concertgebou workestのFacebookページより

 3日間続けての公演ののち、ようやくオフの日がきて、私は前々から熱望していたアムステルダム国立美術館へ行き、特別展覧会のフェルメール展を観覧した。

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